2 目には目を歯には歯を透け透けには透け透けを
学校を離れ、麓町行きのバスに乗り込む。
事務所があるという雑居ビルの住所は、この丘を挟んで麓町の反対側に位置する。直通のバスはないので、町に着いたらタクシーを拾わなくてはならない。
例の如くどこからともなく忍び寄る多国籍追跡者たちの魔の手を掻い潜り、麓町到着より十分後、俺たちは一台のタクシーを捉まえた。
「乗ったはいいけど、金どうすんだ」
助手席に座り、早速訊いてみる。まさかとは思うが。
「当然あんた持ちでしょ」
やっぱりそう来たか。
「無茶言うなって」
「問題ない。カードがある」
と言い、アルティアは高校生に似つかわしくない高級そうな財布から瞳と同じ黒色に輝くクレジットカードと思しき物体の一端を覗かせた。
「ちょっと! すっごいじゃん」それを見たサナギの眼も輝きを増す。「さっすがエーテロンなんとかの権威だけあるね」
「そういうの、高校生が持ってていいのか」
「即払い用なら、高校生だろうと法律上なんの問題もない。昨日実家から寮のほうに郵送されてきた」
「だけど、あんまりお金使っちゃまずいでしょ」
「使わなくてどうする? それでは金を持つ意味がない。金は使うためにある」
何を今更、とでも言いたげに後部座席に凭れる異国の少女。同じ島国出身なのに、家柄が違うだけでこうも経済観念が異なるものなのか。
「ただ、首尾良く暁月を見つけても、タクシーでは帰れない。山田がいると村雨が暴れ出すから」
「じゃあ追一は駅までダッシュね」
『だとさ。なら直接丘を登ったほうが早くねーか?』
「…………」
そんな殺生な話が飛び交いつつも、タクシーはやがて目的地に到着した。
建物は多いけれども駅側ほどには活気のない、少々落ち着いた趣のある町並。
日曜日にはそのままシャッター街と化してしまいそうな通りのど真ん中に、その雑居ビルは建っていた。
「ここで合ってる?」
「うむ。ここの五階。しかし看板も出てないのか」
「商売っ気ゼロね」
人気の絶えた薄暗い玄関ロビーを横切り、古めかしいエレヴェーターに乗る。
「ルキちゃんいるといいね」
「物陰に潜んでいて、山田に斬りかかるかも」
「冗談だろ」
五階に出る。
左右に二つずつ通用口が並んでいて、右奥が賢すぎるコンシェルの事務所らしい。
「これは……!」
「ちょっ、何これ」
出入り用の扉を見て、俺はここでも大した情報は入手できないだろうと直感した。
ドアの蝶番が破壊され、廊下側に倒れている。足早に駆け寄り、室内の様子を窺う。
中はもっとひどかった。棚も調度も、室内にあるもの全てが、直下型地震の直後のように乱雑に荒らされていた。
「ひどいね……」
周りの部屋の人たちは誰も気づいていないのか?
そんなはずはない。誰もいなかったからこそ、侵入者はここまで盛大に室内を引っ掻き回すことができたのだろう。
「
アルティアの言う通り、何かを探していたような形跡に見えなくもない。
ただ、足の踏み場もないほどの荒らされようを考えると、相当慌てていたのか、もしくはこうすることで日頃の鬱憤を晴らしたかったのか、そのどちらかとしか思えない。採光のための窓ガラスが一枚も割れていないのが、むしろ不思議なくらいだ。
空調は長時間動いていないらしく、戸口付近は割合蒸し暑く感じられた。
「まさかルキちゃん、ここで襲われて」
「狩魔、早合点が過ぎる。まずは中を探そう」
「そうね、ほかの部屋も調べなきゃ」
二人に続いて事務所内に突入する。
間取りからして応接スペースのようだ。人の姿は見当たらない。ルキも、事務所の人間も。
サナギとアルティアは慎重に歩を進め、隣室に至るドアを開けた。俺は足場を選びながら、一人残って室内の無残な有様を見回していた。
と、廊下のほうで微かな物音。
悪寒が走る。
まずい!
出入り口を振り返る。
……ドアのない戸口に立つ、ローブ姿の人間が数人。謀られた。脱出口はそこしかない。
「サナギ、アルティア、敵だ!」
「えっ?」
戸口を向いた二人の表情が驚愕に歪む。
「いつの間に!」
俺たちは袋の鼠も同然だった。
ローブの一人が、手にしていた何かをいきなり投げつけてきた。正体不明のそれをどうにかよけると、付近の壁が鈍い音を発して蜘蛛の巣状にヒビ割れた。
『おいおいおい』
まずい。これは、かなり。一発でも当たったら致命傷になりかねない。
正体を確かめる間もなく、ローブたちが今度は続けざまに謎の凶器を投げてきた。
慌てて右の壁際に飛び込む。ソファと事務机の陰に隠れれば、一時しのぎにはなるだろう。
俺を捉え損ねた円形の球体が、壁にめり込んで白煙を立てていた。鉄球か? だが普通の凶器ではなさそうだ。鉄球の表面が不自然に光っている。
「
「〈魔痾薬胃〉、防御だ!」
サナギたちも、
「えいっ!」
鉄球を拾い上げたサナギがそれを逆に投げ返したが、連中はドア脇の死角に身を潜め、難なく躱した。そして更なる鉄球攻撃。事務所のこのひどい荒らされ具合は、どうやら俺たちを襲撃するための罠だったようだ。つまり最初から仕組まれていたのか。
てことは、もしここにルキが来ていたら……あいつも、先にこいつらに襲われて?
最悪の事態が脳裏を掠める。俺は自分の胸倉を掻き毟りたくなった。
『それにしちゃ、お嬢ちゃんがここにいないのは妙だぜ』
ほかの部屋かもしれない。
『いや、いねーよ』
なんでお前にそんなことが判る?
『俺じゃねえ。あいつらがそう言ってんだ』
あいつら? あいつらって……。
そこのローブたちか?
『おう。耳を澄ましてよーく聞いてみな』
事務机からそっと顔を出す。
連中は絶えずこっちや向こうに鉄球を投げつけていたが、時折仲間うちで二言、三言耳打ちしているようだった。
ダメだ。声が小さすぎる。
本当に言ってたんだな? ルキはここにいないって。
『ああ。刀の女はとっくに連れ去ったとよ』
連れ去った?
ルキは連れ去られたのか。だとすると、事態は全く好転してないぞ。
『連れ去ったってことは、裏を返せば無事ってことじゃねーの』
そうか。そうだな。まだ望みはあるってわけだ。じゃあ、一体どこに連れ去られたんだ?
『さあな、そこまでは俺にも』
「あっ……!」
アルティアが悲鳴を上げた。床のがらくたに足を取られたのか、左足首を押さえて
「アルティア! ……
未曾有の危機を救ったのは、サナギの例のハレンチな法術だった。すんでのところで二人は輪郭のみの姿となり、矢継ぎ早に繰り出される鉄球を全部やり過ごした。
「追一! すぐ行くから」
「おや、山田の前で裸体は見せないんじゃなかったのか」
「い、今はそんな場合じゃないでしょっ!」
「なんで顔が紅いのだ」
「紅くなんかないよ!」
手を繋ぎ合った二人の輪郭が、俺の許へ近づいてくる。しかし足の裏は通常通りなので、足場の悪い室内をすぐには横切ることができない。
ローブたちの行動は更に迅速だった。攻撃が通じないと知るや、次は手にした鉄球に何事かを囁き始める。徐々に色褪せていった手の中の球体は、これまた輪郭を残して中身をすっかり消してしまったのだ。
「隠形法!?」サナギが叫んだ。「う、嘘でしょ……!」
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