第8章 クシナイアン

1 一人少ない保健室にて

 烈火の如きサナギの怒りは、まさに筆舌に尽くしがたいものがあった。

 日本語として存在するありとあらゆる悪口雑言を浴びせられ、そのくせ反論はことごとく遮られ、俺は暴風雨が過ぎ去るのをひたすら待ち望む憐れな一農民の如き心持ちだった。こんなときにサナギのあれが使えれば、壁を通り抜けて逃げられるんだが。


『全裸でか? 指名手配されるわ』


 全くだが、今はちょっと静かにしててくれ。これでも結構堪えてるんだ。


「狩魔さん、もうその辺にしてあげたら?」


 見るに見かねたのか、長らく沈黙を保っていた寺島先生がとうとう口を開いた。


「それだけ絞れば、さしもの山田も反省しているだろう」アルティアも続けて言う。「それより、暁月の行方を捜すのが先決ではないか」

「そりゃそうだけどさ、なんか頭に来ちゃって」サナギはとどめとばかりに俺の鼻先にルキの書置きを突きつけ、「あんたがひどいこと言うから、ルキちゃんいなくなっちゃったんだよ!? 肝に銘じなさいよ。ったくもー」


 やっぱり俺のせいなのか。


『女心は複雑なんだよ』


 知ったふうな口叩くな。

 眼の前にぶら下がるメモ用紙を改めて見る。線の薄い、いかにもな文字で、


〈お世話になりました。捜さないでくださいです。ルキ〉


 寺島先生が今朝方見つけたものだ。昨日は別件でルキよりも早く学校を出たらしく、その後にルキが置いていったものと思われる。


「近寄れば山田を攻撃してしまうことを、あるいは気に病んでいたのか。ワチキらの思っていた以上に」

「ルキちゃんが気にすることじゃないのにね」


 いや、ほんの少しくらいは気に留めてほしいんだけど。


「警察に連絡しなくていいのかしら。最近なんだか不審人物多いみたいだし」


 眉根を寄せる先生に、サナギは首を大きく振って、


「先生が心配するのも判りますけど、今はあたしたちだけで捜させてください」


 サナギの決意が固いのを悟り、先生は観念したように息を吐いた。


「判ったわ。担任の先生には、わたしが適当な言い訳考えておかなくちゃ」

「本当にすいません。助かります」

「いいのよ。それで、捜す当てはあるの?」

「実家……には帰ってないですよね、多分」

「ワチキもそう思う。捜すなと書き残しているくらいだ。そんな簡単に見つかる場所にはいないだろうな」

「だよね。電話もメッセージも梨のつぶてだし、取り敢えず三人で手分けして近場を当たるしかないね」

『お前は強制参加か』


 当たり前だろ。これを逃げたりしようものなら確実に殺されるわ。


「大丈夫なの? あなたたち、物騒な人たちに追われてるみたいだけれど」

「うーんどうしよっか」


 悩ましげに顎を押さえる幼馴染み。


「確か、暁月は最初、どこか別の所に助けを求めたのではなかったか?」


 アルティアの言葉に、先生が何かを思い出して眼を見開いた。


「賢すぎるコンシェルね! そういえば、あれから何度も電話したのに、ちっとも出てくれないのよ」

「先生、そこの住所判ります?」

「ダイレクトメールがあるわ。暁月さんから借りたのが」


 机の抽斗に仕舞われていたカラフルなハガキを取り出し、先生はアルティアに手渡した。よくよく考えると、紹介状みたいなものをルキに託したり、その後行方が判らなくなったりと、このコンシェルに関しても奇妙な点は少なくない。


「借ります」短く言って、アルティアはサナギの肩を叩いた。「視聴覚室に行く。付き合ってくれ。山田も」

「視聴覚室?」

「ネット環境はあそこが最適。あそこでワチキのタブレットを使う」

「学校のパソコンじゃダメなの?」

「閲覧先に制限がかかっているからな。クラッキングすればわけはないが、後々面倒だ」

「アルティアさん」先生が苦笑いを浮かべている。「ほかの先生方よりはずっと寛大なつもりだけれど、あんまりそういうことを堂々と口にしちゃうのは、ちょっとどうかしらね」

「これは失敬」異国の少女も苦笑しつつ、「閑話休題。麓行きのバスが来るまでまだ時間がある。その〈賢すぎるよ! す~ぱ~こんしぇる〉について、先に調べておきたいのだ……山田」


 アルティアは例のバッグを俺に押しつけて、


「中にタブレット端末が入っている。ワチキと〈マグヌス〉を繋ぐ命綱。くれぐれも壊さぬよう丁重に扱ってくれ」


 逃避行の次は人捜しか。授業ほど退屈はしないだろうが、外を出歩く以上、危険がつきまとうことは疑いない。


「サナギ」


 久しぶりに出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。


「何よ」


 感情の消えた声。こういう態度が一番恐ろしい。


「一昨日のあれ、もう使えるのか?」

「あんたの前じゃ金輪際こんりんざい使わないからね、このバカ!」


 脇腹に襲いかかる鋭い蹴りを飛び退いて躱し、俺はそれ以上話しかけるのをやめた。


「山田よ。少しは暁月の身にもなってみるがいい。彼女は誰も護ってくれないのを承知の上で、独り寂しく出て行ったのだ」

「……ああ」


 アルティアのその言葉は、心の奥底におりのように溜まり、視聴覚室へ向かう足取りをいよいよ重いものにしていった。


『お前とは、覚悟のほどが違うってわけだな』


 …………。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ネット上に〈賢すぎるよ! す~ぱ~こんしぇる〉の情報は全く流れていないようだ」


 モスグリーンのカーペット地が眼に優しい、広い視聴覚室。

 雑誌ほどの大きさをしたタブレット端末を稼働させたアルティアは、手を尽くして様々な情報筋を当たったらしかったが、手懸かりは何も得られなかった。


「サイトがないのはもちろん、口コミの評判もない。完全なる欠落。厳格な情報規制がされている秘密結社でさえ、多少の情報は洩れているのがネット社会の常というのに。よほど巧妙な情報工作をしているのか、あるいは単にマイナーすぎるのか」

「マイナーなんじゃない? あんまりこう、知性を感じさせるネーミングじゃないしね」

「うむ」


 タブレットの画面を消し、アルティアは面を上げた。


「となれば、後は実地検証しかない」

「そうね。早いとこルキちゃんを見つけなきゃ」

「山田。早くバッグを」

「お、おお」


 急かされ、慌ててバッグを差し出す。


「あんた相変わらず気が利かないのね」

『一拍遅いんだよ。荷物持ちとしての自覚が足りねえ』


 サナギと内なる声に詰られ、もう溜め息も出なかった。

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