6 計測不能の更に向こう

「なんで戻ってくるんだよ……」


 逃がしたはずの奴が俺を斬りに戻ってくるなんて、こんな不条理あって堪るか。

 仮面との距離が見る見る縮んでいく一方、右からは村雨を振りかぶったルキが迫る。

 ど、どっちから躱せばいいんだよ。


『仮面だろ。仮面のほうが距離が近いぜ』


 いや、ルキが早い。早くなる。


『なんでだよ』


 ルキが近づくことで、仮面は標的を俺から本来の相手へと変えるかもしれない。しかしルキは確実に俺を狙ってくる。クソ忌々しいが、村雨の軌道にブレは一切ない。


『まあ今までの傾向で言えばそうだわな』


 俺は思い切ってルキの懐へ飛び込んだ。


「山田さん!?」


 驚いて立ち止まるルキ。だがその左腕はひとりでに横へ動く。

 俺はギリギリのところで大地に突っ伏した。

 仮面の振り下ろした剣と、皮一枚の差で避けた刀が交錯する。

 戦の女神が放つ絶叫のような、甲高い金属音。

 一際高く疾風が渦巻いたかと思うと、剣と刀の接触点から太陽光のように鋭い光線が幾筋も零れ出した。

 二つの刃は離れない。そこだけ時が止まったかのように、ルキと黒衣の仮面は生きた彫像と化した。

 光は更に膨れ上がり、二人を呑み込まんばかりに大きくなる。


「うあっ!」


 サナギたちのいる辺りで悲鳴。

 謎の煙を発するサングラスを、異国の少女が地面に叩きつけたのが見えた。


「カウンターが壊れた。計測不能の更に向こう側。霊子エーテロンの励起が、臨界点に達した」


 地表の揺れを感じて俺は首を持ち上げた。確かに揺れている。地震だ。こんなときに。

 何かの予兆か?


「ルキ……お前、なんで動かない? 動けないのか?」

「で……です……腕が、固まって、しまって」


 静かに起き上がり、空を見上げる。雲の流れが恐ろしく速い。俺たちを取り残して、周囲の世界だけが早送りを始めたかのようだ。

 冷や汗が背を伝う。イヤな感じだ。途轍もなく、イヤな予感。


『どうしたよ』


 ヤバい。ヤバいぞ。ここにいるのはまずい。まずすぎる。


『なんだよ急に。突発性の心配性か何かか?』

 

 逃げないとヤバいんだよ。とにかく、一刻も早くここから逃げないと。だが間に合うか?

 いや、ちょっと無理くさいな。


『だから何がだよ』


 俺にも判らん。ただ、なんとなくそんな気がする。なんとなくだが、メチャクチャヤバい。

 こうなったら……!

 俺は頭を押さえてもう一度地面に伏せた。

 万策尽きた後は、ふて寝しかない。


『お、お前さあ、そりゃあさすがに、あんまりじゃねーか』


 次の瞬間、二人を白く包んでいた眩い輝きが、数秒前まで俺の立っていた空間を抉るように突き破り、その先にある校舎の玄関口をいとも容易く刺し貫いた。

 視界を焦がす光の帯はすぐに消えたが、それから間を置かずに、

 ……崩壊が始まった。

 這い伝う霊子の伝播でんぱ

 それから校舎全体が内側から発光し始める。

 壁という壁、ガラスというガラス、教材という教材全てに行き渡った光は、内部からその堅固な構造を侵食し、やがて建物は自重に耐えかねた砂の城みたく、上方よりザラザラと崩れていった。

 文字通り、そう、文字通り学校が崩壊していくさまを、俺は地べたに這いつくばったまま茫然と見ているしかなかった。

 学校なんてなくなればいいのに。夏休み明け初日に俺が抱いたそんな大願は、思わぬ形で成就を果たしたわけだった。

 土台の部分は所々残っていたが、校舎の眼に見える部分はほぼ完璧に光の粒子と化し、地表をたゆたうように漂い、そして消えた。

 異変を伝える大地の震動もいつしか収まっていた。

 ……どこからともなく聞こえてくる、生徒たちのざわざわという騒ぎ声。

 随分と見晴らしの良くなった校舎跡の先に、害を被らずに済んだ別棟の校舎と体育館が見える。その近辺にいた部活中の生徒が、当然の権利をもって大いに騒ぎ立てていた。

 はっと顔を上げ、さっきの光の発信源に視線を転じる。

 既に四肢の自由を取り戻したらしいルキは、糸の切れた操り人形の如くその場にくずおれ、感情を失った虚ろな表情をしていた。それを見る今の俺も、同じような顔をしているんだろうな。

 その遥か後方を走り去る黒衣の姿を視界に捉え、俺はやっと、心の底から安堵した。偶然の連鎖ではあったが、こうして衆目を集め、人目に晒すことで相手を隠れさせることに成功したのだから。

 それが一時的退避に過ぎないのだとしても、この安堵を享受する権利は完全に俺の掌中にあった。


「ルキちゃん!」

「暁月、大丈夫か?」

「追一は?」


 サナギとアルティアがやって来た。大きな怪我もなく、思ったよりずっと元気そうだ。若き追儺士に天才少女。女は強し。


『女ってのはつえーな』


 同感だが遅い。俺のほうが数瞬早かった。


『いつからそんな勝負になったんだよ』

「悪い、アルティア。マークⅡ壊しちまった」俺は済まなそうに頭を掻きながら口を開いた。「しかも一個はさっきの奴に持っていかれたらしい」

「微妙に違う。ちゃんと漢字を思い浮かべてるのか? 〈魔悪痛〉と呼んでくれ。〈魔〉〈悪〉〈痛〉、もしくは〈悪〉の代わりに〈痾〉と〈苦〉を……」


 この期に及んで、まだそこにこだわるか。


「それに、一つくらい取られたとて問題ない。なければ新しく作るまで。それにしても、想像を絶する霊子エーテロン励起。よもや分子構造を決壊するレベルにまで達するとは」

「俺も今度ばかりは死ぬかと思った。間一髪ってやつだな」

「……ぷっ」

「くく……」


 ん?

 俺を見るサナギとアルティアの様子が、どこか変だ。何やら笑いをこらえているような。


「ぎゃははははは!」


 サナギの口からせきを切ったように放たれる笑い声。


「……ヒッヒッヒッヒ」


 アルティアまで頬を引き攣らせて笑い出した。なんだその気持ち悪い引き笑いは。


「な、なんだよ、何がおかしい」

「だ、だってあんた……その頭」

「ククク……は、反則、そのヘアスタイルは。残念ながら、間一髪の謂は甚だ不適当」


 髪型?

 まさか。

 俺は頭頂部に手をやり、その異様な感触に思わず腕を引っ込めた。

 

 決して短くなかったつむじ周辺の頭髪が、あろうことか、平らに刈り取られている。


「……ふふっ」


 口許を押さえたルキが、限界に達したように声を洩らした。


「す、すみません、ごめんなさいです……ふふふ」


 笑顔を取り戻してくれたのは何よりだが、こんな形で笑われるのは不本意極まりない。

 と、遠くのほうから、


「狩魔さーん、アルティアさーん、暁月さーん、大丈夫ー?」


 聞き憶えのある女性の声がした。


「あ、寺島先生」

「おーい、何があったんだー?」


 騒ぎを聞きつけたのか、寮の方向から寺島先生を含む教師一同やほかの生徒たちが、群れを成してこっちに向かってくるのが見えた。

 あれだけの人数に、この頭を見られたら。死刑宣告に等しい、哄笑こうしょうの嵐を想像して悪寒に打ち震える。

 あの仮面ヤローが逃げ出したタイミングで、俺も逃走するべきだったんだ……。


『お前、どっかに隠れたほうがいいんじゃねーの』


 隠れようにも、隠れるための障害物が綺麗さっぱりなくなっちまってるんだよ。

 俺はこのまま土の下にでも潜って消え入りたい気分だった。

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