番外編

僕のヒーロー

「ディンさん、ディンさん! ちょっといいですか?」


「ダメだ。うぜぇ。こっち寄んな」



 まとわりついてくるアレクにディンは顔をしかめ、しっしと手で追い払おうとする。しかし、どれだけあからさまに態度に出そうと、少年はひるむことなく寄ってくる。


 カルム領からリベア国までの道中で合流してからというもの、いくら冷たくしようとアレクは果敢に話しかけてきた。



「あのっ、やっぱり僕のこと覚えてないですか!?」


「アレクだろ」


「いや、そうじゃなくてですね」


「じゃあ知らん」


「そうですか……」



 アレクは興奮気味だった様子を一転させ、大げさなほどに眉を下げてうつむいた。そんな顔をされても覚えていないものは覚えていない。


 自分を崇拝するような人間が好きではないこともあり、ディンはフォローしようとも思わなかった。



「そんなに落ち込んでどうしたの、アレク」


「会ったことあるらしいんだが覚えてなくてな」


「へえ……それで?」


「それでってなんだよ」


「いや、これからその出会いの話をするんじゃないの?」



 先を歩いていたユーシャが様子を見て声をかけてくる。その言葉に、それまでしょんぼりしていたアレクがバッと顔を上げた。


 しかし、ディンはなにかを言われるより先に口を開く。



「どうでもいいっつの。興味ねぇし」



 冷めた声で言い切って、ディンは驚く。アレクがぼろぼろと涙を流しはじめていた。



「ごめっ、なさっ……迷惑、ですよね」



 ようやくアレクが離れ、後ろのほうをとぼとぼ歩き出す。そんなアレクを一瞥したユーシャが、ディンを小突いた。



「あーあ、ディンが泣かせたー」


「んなこと言われてもな。オレは尊敬されるような人間じゃねぇよ」



 眼差しや言葉の端々からのぞく、純粋なあこがれがまぶし過ぎて痛かった。


 知られたらからかわれるだろうから言わないが、ユーシャは察したように笑う。



「これから少しでも良いから優しくしてあげなよ。一応仲間だからね」



 ディンは答えなかった。











 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎











 あれは本当にあの時の人と同じ人なんだろうか。見た目は間違いない。でもそれ以外は……?


 何度も何度も、同じ自問自答をアレクは繰り返していた。前を歩く大きな背を見つめる。


 あの時のこと、〝疾風の義士〟と出会った時のことは今でも昨日のことのように思い出すことができた。



 傭兵を始めた頃、アレクは何も分かっちゃいなかった。なにかを守ればそれで良いと思い込んでいた。


 数十回目のお仕事、貴族の屋敷の一室でただ高価なだけの首飾りを護衛していた時、その人は現れた。



「うわっ……なんだこのちっこいの」



 当たり前のように窓から入ってきたその人は、想定外だとでも言うようにつぶやいた。


 展示ケースの周りにシールドを広げると、眉根にしわを寄せる。そして槍を構えたアレクに、心底面倒臭そうな顔をした。



「倒すのが手っ取り早いだろうが……少しやりにくいな」


「僕が子供だからって馬鹿にしてるんですか? あまりなめないほうがいいですよ!」


「ああ、そう」



 会話で集中を切らそうとしているのかもしれない。相手のどんな動きも見落とさないように注意していると、その人は話を続けた。



「お前、室内でその槍を存分に振るえるとでも思ってんのか? 明らかに形勢不利だろうが。これは雇い主に問題があるな」



 アレクは何も言わなかった。



「その歳で傭兵してるってことは何かしら事情があるんだろ? 大なり小なりの」



 アレクは何も言わなかった。



「それでお前……本当にそんなものを守りたくて傭兵してんの?」



 アレクは何も言えなかった。


 槍を持つ手が震えて、展示ケースに近づかれるのを止められなかった。


 その人が取り出した短剣の柄でシールドを叩くと、あっけなく砕けてしまう。アレクの動揺がそのままシールドの強度に表れていた。


 首飾りが取り出されたのを見て、やっと身体が動く。仕事は仕事だ、一度受けた以上果たさないといけない。


 去ろうとする背へ放った突き。一撃目は回避されるだろうと読んでいたが、その人は軽く身をひねって致命傷だけを避けた。


 アレクの一撃が脇腹を穿つ。



「どうして……」


「クハッ、いい腕してんじゃん。その力の使い方、間違えんなよ」



 避ける気がなかったとしか思えなかった。血がだくだくと流れているというのに、その人は平然と笑う。


 また身体が動かなくなった。鼻に付く甘ったるい香り。それが催眠薬のものだと分かったのは目を覚ましてからだった。


 依頼主に怒られるかと思ったけれど、そんなことはなかった。首飾りの代わりに残されていた手紙により、あまり良くない経歴がバレて失脚していたからだ。


 アレクが〝疾風の義士〟の名を知ったのはその時だった。


 後ろめたいことをしている貴族や富豪の財宝を盗む正義の味方。すごくかっこいいと思いながら、そんな人に助けてもらったことがうれしくなった。


 〝疾風の義士〟は誤ちを正してくれただけでなく、チャンスをくれた。首飾りを守りきれなかったためその後の依頼は減ってしまうと思っていたのに、かえって急増したのだ。


 あの〝疾風の義士〟に傷を負わせた傭兵として。


 アレクはとても返しきれないものをもらった。そしてあの時、〝疾風の義士〟は僕だけのヒーローだった。



 忘れるはずがない、この恩は必ず返すと決めていたのだから。


 過去に想いを馳せたアレクは自分の気持ちを再確認する。だが、疑念は晴れなかった。


 ディンは冷淡だ。アレクが抱く〝疾風の義士〟の印象とはかけ離れている。



「この先少し道を逸れるよ。魔物もいるから、いつでも戦えるようにしておいてね」



 悶々としながら歩き続けるアレクは、そんなユーシャの声が耳に入ってなかった。それどころか、考え事をしながら歩いているせいで仲間との距離が開いていくのに気がつかない。


 ふと我に帰った時には、顔が見えない位に離れていた。



「ま、待って下さいっ!」



 慌てて走り出したアレクは、むにゅっと何かを踏む感触に足を止めた。驚いて下を見るより先に、ふぎゃあっという鳴き声を上げて声の主が飛び上がる。


 尻尾を踏まれて怒る、鋭い爪と牙を持った大きな猫がそこにいた。



「わっ、ま、魔物っ!」



 慌てて槍を構えようとするが、焦り過ぎて中々背中から下ろせない。猫は牙を剥いて威嚇していたが、アレクが隙だらけだと分かると襲いかかってくる。


 もうダメだと思ったそのとき、目の前で血飛沫が上がった。



「ったく、ワイルドキャットごときに手こずんなっつの」



 それは、猫の首筋に刺さった短剣によるものだった。倒れた猫に、アレクは投擲主へ感謝と敬意の入り混じった目を向ける。



「ディンさんっ! ありがとうございますっ!!」


「おい馬鹿、まだ仕留めきっては……チッ」


「へ……? うわぁああっ!」


 致命傷を負いながらも立ち上がる猫に、アレクは気づいていなかった。最後の力を振り絞ってアレクへ飛びかかってくる猫。


 しかし、頭に食らいつく寸前で一本の腕がそれを阻んだ。


 自分の腕に牙を立てる猫へ、ディンは顔色一つ変えずに首に刺さっていた短剣をねじりながら押し込む。事切れた猫は、ずるりと地に落ちた。



「で、ディンさんっ! 血が、腕がぁっ!!」


「別にこの位で死にはしねぇだろ」



 腕は今にも千切れそうなのに、強がっているようには聞こえないのはディンだからだろうか。


 そこへユーシャたちが駆け寄ってくる。



「ごめん、気づくの遅れた!」


 どうやらディンはいち早く異変を察知して戻ってきてくれたようだった。


 ユーシャがディンの怪我を癒すのを見ていて、アレクの頬が緩む。


 自分のせいで怪我をさせてしまった。その事実に申し訳ない気持ちを抱きながらも、とても強い喜びが湧き上がるのをアレクは抑えきれない。



「ディンさん! 本当にありがとうございますっ!!」


「ああ。次はねぇからな」



 欲を言えば、出会った時のことを思い出して欲しかった。ただの〝疾風の義士〟のファンでなく、あの時助けたアレクとして認識して欲しい。


 でも、ディンは今、アレクを守ってくれた。アレクに守る価値があると思ってくれた。このカッコいい人が自分のために動いてくれた。それ以上にうれしいことはあるだろうか。


 ディンが本当に〝疾風の義士〟であるかなど、アレクはもう気にしなかった。



「あの、ディンさんカッコよかったです!」


「へいへい」



 まぶしそうに目を細めながら、ディンがわしゃわしゃとアレクの頭をなでる。


 アレクは心底うれしそうに笑った。

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