第2話 深夜、ブロムリー家にて
アーリーン・ブロムリーは、それはそれは美しい少女だった。夕陽に溶けて消えてしまいそうなプラチナブロンドの髪を揺らしながら、天使のように街をかけていた。その麗しい髪は、今、醜い赤で染められている。
毎日の小さな事に幸福を見いだしながら、懸命に少女は生きていた。聡明なダークブルーの瞳は、色を無くし虚空を見つめ続ける。
少女は、両親と妹の4人暮らしだった。成長するにつれ身体を壊すことが多くなり、最近ではほとんど外に出ることは叶わなかったという。家の役に立てないのが後ろめたかったのだろう、少女は部屋に籠もりがちになり家族と顔を合わせるのも食事の時くらいになっていた。
けれど、少女は確かに両親の愛を感じていた。
少女の部屋には、少女に与えられた愛で溢れていた。誕生日ごとに増えていく大好きなぬいぐるみ。花瓶に飾られている野花は妹が摘んできてくれた物だ。箱いっぱいに詰め込まれた友人達からの手紙。可愛らしい少女に相応しかった部屋も、荒らされて見るも無惨な姿になってしまっている。手当たり次第に中身をぶちまけられたクローゼット。幼い少女から、犯人は一体これ以上何を奪おうというのだろうか。
唯一の目撃者である少女はもうこの世にはいない。
血の気の失せた物言わぬ骸が、静かに眠っている。
その殺人現場には、明らかに異質な物が鎮座していた。
――――棺桶だった。
足を踏み入れれば飲み込まれてしまいそうなほどに深い闇の色をした、無骨な棺桶が部屋の中央に在った。その棺桶の真っ赤なベルベットに沈み込み少女の骸は眠っていた。厳かに瞼を下ろし、両手を真っ赤な穴の空いた胸の上で組んでいる。可愛らしい桃色のワンピースに身を包み、満足そうに微笑みすら浮かべて眠っている。
徐々に部屋に光が差し込む。
少女が気持ちのいい朝を迎えられるようにと与えられた東向きの部屋は、家の中で一番早く明るくなる。もう目覚めることのない少女の頬に暖かい陽光が手を伸ばす。
陽光が少女の頬を撫でた。
いつものように、トントンと穏やかな音を立てながら少女の母親が階段を上ってくる。少女を起こそうと、扉をノックした。
「アーリーン、朝よ。ご飯が出来たから下りていらっしゃい」
少女が、返事をすることはない。
「アーリーン?」
いつもなら、すぐに返ってくる少女の声が聞こえないことを心配しもう一度扉を叩く。
「アーリーン? 具合が悪いの?」
少女は、眠り続ける。
「本当に具合が悪いのね。入るわよ」
少女が、朝日が昇る頃に目覚めていなかったことはない。きっと、具合が悪くて返事すら出来ないような状態なのだろうと母親は少女の部屋に足を踏み入れる。
そして、目に映った光景にその場に倒れる。あまりの光景に悲鳴すら上げず、現実から逃れるように。
その音を聞きつけて、父親が階段を上がってくる。
「どうした、大丈夫か」
寝ぼけ眼を擦りながら歩いて来た父親は、倒れた妻と、棺桶の中で目を開けない娘を見、慌てて声を上げる。
「パトリシア、キッチンで待っていなさい!」
母に何かあったのだろうかと、父親の後をついてきていた幼い子供にしかりつけるようにして言う。
しかし、遅かった。
「きゃああああああああああああああああ!」
見てしまっていた。
惨い頃され方をした姉の姿を、父親が制止するまもなくすぐ近くまで来ていた幼い妹は見てしまった。金切り声をあげ、大粒の涙をこぼす。どれだけ泣いても、涙が涸れることはない。身体中の水分がなくなってしまうくらい、ただひたすらに涙を流していた。
平凡な家族に、当たり前に訪れるはずだった平穏がまた一つ奪われた。
家には慌ただしく警察関係者が出入りし、集まった野次馬達が何事かと覗き込む。
新聞の一面には吸血鬼の被害者として大々的に取り上げられるのだろう。
徐々に、街の様子も変化していた。
吸血鬼などあり得ないと嘲笑していた若者達は、ニンニクや十字架を持ち歩くようになった。
実態の見えない吸血鬼への恐れが、街を覆い尽くそうとしていた。
「それじゃあ、いってらっしゃい。お父様。フレッドも、頑張って」
「ありがとうございます、お嬢様。いっていまいります」
父と今回の供であるフレッドを見送る為、リディアは眠い目を擦りながら起きてきていた。フレッドは、きっちりと礼をするが、肝心の父は唸りながら顔をしかめる。まだ、リディアをこの街において出掛ける事に踏ん切りがつかないのだろう。一日経って色々と最悪の想像をしてしまったのか、若干顔が青ざめている。
その様子を見て、リディアと供に見送りをしていたエイベルが呆れた様に言った。
「旦那様。お嬢様のことは私が間違いなくお守り致します。どうか、ご安心下さい」
「お父様、私良い子にしているわ。屋敷の外に出るのも我慢する。お散歩に行けないのは残念だし、お買い物が出来ないのはつまらないけれど、お父様に心配をかけたくないもの、約束できるわ。だから、心配しないで。私のせいで、お父様のお仕事が上手くいかなかったら、私、そっちの方がずうっと嫌だわ」
「ああ、可愛いリディー。お前が良い子にしていてくれるのなら何一つ心配は無くなった。………行ってくるよ。帰りを待っていておくれ」
娘の言葉に背を押されながら、ウェントワース家当主と付き人は出かけていった。姿が見えなくなるまで見送って、リディアとエイベルは二人して顔を見合わせる。
「貴方の言葉が、一番旦那様には良い薬のようです」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
朝食の支度が出来ているようなので、リディアはそのまま食事を取った。食後はエイベルの入れてくれた紅茶を飲む。さて、今日は何をしようかと嫌に明るい空を見ながら考え始めた。
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