初飛行
飛行機はИР四型というのだとエンドーさんが教えてくれた。機体に機種名が刻まれていたのだという。
「イーエルよんがた……」ネルは口の中で復唱した。
操縦者に関しては、操縦席は狭かったので、かえってネルのように小さいやつが乗るのが良いかもしれんと、小暮川も角川老人も口を揃えて言った。
ネルは一度でいいから空を飛んでみたいと想っていた。飛行機のことを知ったのは。まだ十才にも満たない頃だった。エンドー先生に鳥のように空を飛ぶ機械があると教わってから、その憧れは日増しに増していた。
既に空を飛んでも攻撃衛星になど殺られないことも知っていた。東政府の僧侶の奴らが黄色いアドバルーンを飛ばして、飛行可能かどうか確かめていたが、アドバルーンが攻撃されることは一度も無かった。それはここ蹴里瀬村からもよく見えた。
下野毛山脈の中腹にある蹴里瀬村の上まで黄色いアドバルーンは下野毛山脈の上まで飛んできていた。
ネルは毎日、夜遅くまでシミュレーターで操縦練習をしていた。横風やダウンウインドに対する対処法も学んでいた。
とうとうネルが初飛行する日がやってきた。爆撃主席にはエンドーさんが、後部銃座にはシュウタロウが乗ることになった。
スロットルは十四段プラス逆噴射の合計十五段のレバーになっていた。
ネルはお助けシステムを使い操縦することにした。
ネルはキャノピーを開けて操縦席に付いた。
ネルは各種電気系統のスウィッチを入れて、イグニッションボタンを押す。
キーーーーンとエンジンが唸った。
「肝は座っているかね?」エンドーさんが間延びした声で訊ねた。
ネルは黙って頷くと、操縦桿を握りしめた。
操縦桿を左右上下に動かし、ラダーペダルを左右交互に踏んだ。
「ラダー、エレベーター問題なし」シュウタロウが報告した。
「離陸準備出来ました。フラップを全開にして、スロットルを十四段まで押し上げて下さい」中年女の声がした。ネルは言われた通りにした。
「私達は準備良いですよ」エンドーさんがネルの右後ろの席から言ってきた。
ネルはスロットルを全開にした。
「離陸するぞぅ」ネルはエンジン音に負けないように叫んだ。ИР四型はガタガタと滑走路を疾走した。整地したとはいえ、舗装されていない滑走路だから揺れが酷い。
「操縦桿を軽く引いて下さい」アナウンスが流れた。
ネルが震える手で操縦桿を引くとИР四型はふわりと浮いた。山間迷彩に塗装された機体が煌めいた。
「飛んだぞー!」ネルが興奮して叫んだ。
「うおぅ』エンドーさんも唸った。
地上で見守っていた小暮川村長達も歓声を上げた。赤目と鼻高が手を振ってくれていた。
ИР四型はふわりと離陸した。
ネルは操縦桿を左に倒した後、軽く引き、左旋回してみた。軽くGがかかる。
「エンドーさん、俺達飛んでいるよ」ネルはすっかり興奮していた。
右へ左へと旋回してみせる。飛行機は思い通りに動いてくれた。
「高度を上げてみる」ネルは操縦桿を引いた。
高度は見る見る上がっていき、蹴里瀬村が小さく見えた。
「どうですか、調子は!」シュウタロウが大声で訊ねてきた。
「このまま黒天狗団のところまで行って、奴らを驚かせてやろう」エンドーさんが提案した。
遠くから見えないように、ネルは崖沿いを飛び、黒天狗団へと向かった。
崖沿いを飛ぶと上昇気流に乗り、更に高度が上がった。山肌も小さく見えた。
空中散歩はネルにとって爽快だった。楽しくて堪らない。
「ひょーっ」とネルは叫び、拳を振り上げた。
突然、シュウタロウが崖に向けて後部銃座で連射した。
ダダダダダダン。
「弾の無駄打ちはいかんよ」エンドーさんがたしなめた。
「すいませ~ん」シュウタロウの間延びした返事が返ってきた。
やがて、黒天狗団本部村へと辿り着いた。
黒天狗団の連中は驚いたようだった。
予め飛行機を手に入れた事を話していたので迎撃されることはなかったが、本当に飛行機を飛ばせるなんて思っても見なかったのだろう。みんな驚いて、作業していた手を休めて首を上げた。
キャノピーを開いて、手を振ると、地上の黒天狗団も手を振ってくれた。
後部銃座でもシュウタロウが手を振っていた。
「やつら驚いてるよ」ネルが気持ちよさそうに言った。
「何だか爽快ですね」右後ろでエンドーさんが言った。
ネルはИР四型を三回旋回し、勇姿を見せつけた。
タタタタタタンと小銃を連射する音が聞こえてきたが、こちらを狙ってきたものではなく、祝砲のようなものだった。
シュウタロウが祝砲返しを撃ちたがったが、エンドーさんに再びたしなめられ、諦めた。
「ネル、そろそろ戻ろう」エンドーさんが提案した。
「はい」ネルは素直に同意した。
黒天狗団本部から蹴里瀬村までは車で何時間もかかるのに飛行機ではあっという間だった。
やがてすぐに飛行場が見えてきた。
「フラップを目一杯下ろして下さい」と中年女の声。「風が正面から吹いていることを確認して下さい」
フラップをいっぱいに下ろして、揚力を稼ぐ。
横風は吹いてないようだった。
ネルは、この飛行機には捕虜か政治犯の脳や鳥の脳がが使われているとエンドーさんは言っていたが、それは女なのだろうか、それとも音声システムのみが女の声なのだろうかと疑問に思った。
「スロットルを五まで絞って下さい」中年女の声が言った。
ネルは言われるままにした。
「操縦桿を少し引いて下さい」女の声がすると、操縦桿を引き、機体を引き上げ
た。
ИР四型がふわりと降りてきた。
後輪と前輪が同時に着地する。
「スロットルを一にして下さい」鷹揚のない声が言った。
機体がズルズルと滑走路を滑った。
「逆噴射」女の声が言った。
ИР四型は滑走路の隅まで滑り、ややオーバーラン気味にして止まった。
「初めての操縦でここまで出来れば充分ですね」エンドーさんが言った。
エンジンを切るとネルの手はわずかに震えていた。武者震いだった。
小暮川村長兼賊長と角川老人が駆け寄ってきた。
「大したもんた」角川老人はネルを褒め称えた。
「こいつで空中から攻撃されりゃ誰だって腰を抜かして逃げていくな」小暮川賊長は嬉しそうにそう言ってИР四型の機体をポンポンと叩いた。
山崎さんとマルさんも寄ってきて、ネルの初飛行を讃えた。
「さて、こいつの正式乗務員を決めなくちゃならん」と小暮川賊長が言った。
「エンドーさんたちじゃないんですか」ネルが訊ねた。
「エンドー先生には他にやって貰うことがある」と小暮川が言及した。。
「俺にも乗せてッ」と山崎さんの二人の息子が寄ってきたが、山崎さんはそれをいなした。
話し合った結果、副操縦席には角川老人が、後部座席にはマルさんが乗ることに決まった。山崎さんは重度の高所恐怖症だったし、弄られ衆の二人は興奮すると何をするか解らなかったからだ。
小暮川は地上部隊を率いる必要があったし、山崎さんの息子たちもネルと大して年が違わなかったが、山崎さんが強固に止め、乗ることが許されなかった。
搭乗員が決まると、角川老人とマルさんを乗せてもう一度飛ぶことになった。
ネルも腕を鳴らしたかったので、二つ返事で了解した。
ИР四型は少し傾きかけた太陽に照らされながら再び飛び立っていった。
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