番外編 美春の失恋(後編)

「謎って?」

「なんで、けん兄に彼女がいないか」

 兄は直接、従兄に聞いたのだと言った。

「ちょっと待って」

 これは心の準備が必要だ。でも。

「それ、聞いたらなあんだ、って感じ?」

「いや、オレはかなりびっくりした」

 うーん。美春なりにいろいろ考えてみた。

 1、性格が真面目過ぎて恋愛まで発展しない。

 2、実はすでに隠し彼女がいる。

 3、理想が高過ぎて相手が見つからない。

 4、昔一度愛した人がいて(彼女が亡くなったか別れたかで)その人以外に好きにならないと心に決めている。

 5、男性しか愛せない。

 6、相手が女性だろうが男性だろうが恋愛自体に興味がない。

 お兄ちゃんがびっくりしたなら、1と2はナシ。3、6も普通過ぎる。

「わたしは4であってほしいけど、まさか! ってことで5。どうかな」

「はずれ」

 ほっとしつつも、はずれたのはちょっと悔しい。

「オレ、5は思いつきもしなかったな。でも」

 まだその方が、美春には受け入れられるかも、と兄が言った。確かにお互いに想い合っているなら相手が同性でも構わないと美春は思う。もちろん、従兄がそっち志向の人だったというのはかなり衝撃的だけど。

 それよりも受け入れにくいことってなんだろう。

「今挙げた中なら、6が一番近いかな」

「6? 6でどうしてびっくりするの?」

「興味がない、っていうのは好きにならないってことだろ」

「そうだね」

「けん兄は誰にも惚れない。女の人見て可愛いとかきれいとか、まったく思わねえんだって」

 だからずっと独りなんだよ、と兄が少し哀しそうな顔をした。

「そう、なんだ……」

 確かにびっくりだ。でも、あのめったに笑わないけん兄なら、そういうことを言いそうな気もする。寂しい生き方だとは思うけど。

「神様に人生を捧げる修道士みたいな感じだね」

「いや、それとは真逆」

 え?

「ナンパすりゃあ引っ掛かるんだから、彼女なんか要らないってさ」

 はい? 途中から、兄の言葉が頭に入ってこなくなった。

「お兄ちゃん、何言ってんの?」

「顔も体型も関係ねえって。そもそも好みのタイプがないんだから」

「えっと」

「要は誰でもいいんだよ」

「……」

 んなわけあるか! 生まれて初めて(たぶん)兄に突っ込んだ。

「わたし、もうけん兄のことは諦めたって言ったじゃん。だから、そんな作り話しなくてもいいよ」

「作り話なんかじゃねえって」

「けん兄は、そんな人じゃないよ!」

 修道士の後くらいから、他の人の話に変わっちゃったんだ。きっと。

「まあ、そういう反応になるよな」

 兄は苦笑している。

「お前もこないだ言ってたろ。大人の男の人なんだって」

 けん兄にも裏の顔があったってことだよ、兄は言った。

「裏の顔……」

 もしかして、あのワイルドモード?

 いや違う。絶対信じたくない。百歩譲って時々ナンパ(友達に誘われて仕方なく)してるとしても、可愛いと思わない人に声なんかかけない。

 気づいたら電話の受話器を取り上げていた。あんまり悔しかったので、呼び出し音が鳴っている間に兄をにらんで言ってやった。

「お兄ちゃんが、大師匠のこと変態ナンパ師扱いしてる、って言いつけちゃうから」

 やっぱり、さっき写真撮っとけば良かった。

 兄が怒ったような困ったような顔をした、と思ったら相手が出た。

「今、電話大丈夫?」

“構わないよ”

「お兄ちゃんが言ってること、ウソだよね?」

“それじゃ分からないな。健太は何の話をしたんだ?”

「なんで、けん兄に彼女がいないか」

“ああ、その話か”

 いつものように淡々とした返事があった。

“健太が話した通りと思ってくれていい”

 従兄の口調には、ばつの悪そうな感じがまったくない。あの、女子中学生が兄からどんな話を聞かされたか分かってますか? 

「ナンパするから要らないんだとか言ってるよ? しかも誰でもいいって」

“その通りだよ”

 あっさり認めた。この潔さが怪しい。そっか、お兄ちゃんと口裏を合わせてるんだ。

「あのさ、わたし、もう彼女になってあげるとか言わないからさ」

 本当のこと話して、と美春は真剣な声で頼んだ。

“嘘をついても仕方ないだろ? 俺は、健太や美春がこんなことで大騒ぎしてるのが不思議だよ”

「え……?」

 なんだか気分が悪くなってきた。

「ほんとに、誰も好きになったことないの?」

“ああ”

「お兄ちゃんみたいにさ、年上好みとか絶対巨乳がいい、とかもないの?」

「おい、“絶対”じゃねえぞ!」

 背後で兄が抗議した。

“ない――いや、あるな。絶対条件だ”

「絶対条件?」

 とたんに兄が駆け寄ってきて、受話器に耳を寄せた。

“18歳以上で、病気持ってない人”

「……」

 胸が苦しくなってきた。

「分か、った」

 力が抜けた。受話器を置くと、美春はその場に座り込んだ。

 頭がぼーっとする。気持ち悪い。それにどうしてだろう、顔が熱くて、ほっぺたやおでこがあちこちかゆい。

「ほら、作り話じゃなかったろ?」

 頭の上から兄の声がする。

「うん……」

 美春はぼんやりしながら顔を上げた。

「ん? お前、顔赤い――じゃねえ、まだらになってるぞ!」

 やっべえ……と発した兄が、どこかへ電話している。その姿がだんだんかすんできて、見えなくなった。


* * *


 その後、美春の記憶にあるのは、泣きそうな顔で大丈夫か? と美春に何度も呼びかける兄と、ひんやりした何かを美春の額や頬に当てながら美春を心配そうに見つめていた母の顔だ。

 父の声も聞こえた。“お前、当分出禁な”と美春が今までに聞いたことがないくらい低い声で、誰かに言っていた。


 後で聞いたら、美春は高熱を出し、病院で三日三晩眠り続けたらしい。顔から体中に広がったじんましんは目が覚めた時には消えていた。その後、うっかり兄が“大師匠”の名前を出した時に、再び美春にじんましんと吐き気が出たため、それから竹中家では、本人の名前はもちろん“甥”“従兄”“金魚”などなど、彼に関する言葉は厳禁ワードになった。

 美春が倒れてから3か月ほどの間、父が金髪にし、家の中でだて眼鏡をかけ続けたのは、美春が父にそっくりの男を思い出さないようにとの配慮だと思う。


 新しい恋を見つけよう。顔は普通でいい。背も高くなくていい。お笑いのセンスもいらない。“顔も性格も含めて美春ちゃんが丸ごと好きだよ”って言ってくれる普通の男の子。どうかそんな人に(なるべく早めに)出会えますように。

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Dragon-Jack Co. 美春の恋 千葉 琉 @kingyohakase

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