番外編 美春の失恋(前編)

 失恋、しちゃったなあ……

 美春が切ない気持ちとともに、自分の席で頬杖をついていると、親友の美子よしこと美加が傍にやってきた。

「ねえ、昨日の――」

 二人には自分から先に話しておこう。美春は覚悟を決めた。ばちん、と顔の前で手を合わせる。

「ごめん! あれ嘘」

「ウソ?」

「うん。あの人、彼氏じゃないの」

 再び、ごめんと手を合わせると、二人は顔を見合わせた後、笑った。

「謝ったりしなくていいよ。でも誰なの?」

 信じてもらえるかな。まあ、いいか。

「昨日のが親せきのお兄ちゃんで、その前がお父さん」

「マジで?」

「なんかいろいろびっくり」

 だよねえ。とんでもないオーラの美形男性2連発だもんね。しかもそっくりなのに別の人。それにお父さんは車に乗ってたけど、けん兄は立ってた。モデルみたいな長身長足。とどめにハーレー。あと、思い出したくないけどお姫様抱っこ。

「美春ちゃんの周りって、すごいね」

 美子が苦笑しながら言った。

「だって、お兄ちゃんだけでもすごいのに」

 兄には話さなかったが、本当は“竹中健太の妹”というだけで、校内では、よく言えば一目置かれ、悪く言えば一線を敷かれている。兄をよく知る代の先輩たちが卒業してからは、それがだいぶ薄れてきたところだったのに、そこへ今回の騒ぎだ(自分が撒いた種だけど)。普通の中学生活からさらに遠ざかる気がした。

「美春ちゃんは、かっこいい人見慣れてるから……」

 わあん、みかちゃんその言葉言っちゃう?

「彼氏は普通っぽい人がいいかもね」

 美加の後半の言葉は、美春の予想と違っていた。ありがと。美春は大きくうなずいた。

 今の美春にとって一番困るのは“あんな人たちに囲まれて生活してたら、どんな男もみんなカスに見えるに違いない”という評価だ。従兄は諦めるしかなさそうだから、次の恋に気持ちを切り替えなくちゃ。みかちゃんの言う通り、普通っぽい人の方がいい。わたしを大事に想ってくれる人なら誰でも構わない(欲を言えば顔が良くて背が高くて、お笑いのセンスがある人がいいけど)。

 男性のみなさん、どうか不戦敗宣言だけはしないでください!

「よっちゃん、みかちゃん」

「なあに」

「噂流してくれない? お兄ちゃんもお父さんも家じゃたいしたことないって」

「美春ちゃん、それは厳しいよ」

 噂の発信源がばれた時に、自分の身が危険だからと美子は言った。

「この辺一帯、どんだけ健太さんの信者がいると思ってんの」

「うー」

 自称神様の父親にキラキラの従兄。それより手強いのは兄だった。


* * *


 それから数日後。

 美春が家に帰ると、兄がリビングのソファで昼寝をしていた。その、のん気な寝顔を見ていたら、文句の1つも言いたくなった。

 お兄ちゃんのせいで、わたし結構苦労してるんだよ。せめて自分の伝説に尾ひれと背びれ、ついでに羽までどっさりくっついてるってことを自覚してもらいたいものだ。確かに人助けはいっぱいしてる。でも川に飛び込んで2人を――はホントだけど、47人救った、はないから。誰がくっつけたか知らないけど盛り過ぎだから。

 うちじゃあ、普通のお兄ちゃんなんだけどな。掃除手抜きすんな、とかけっこう細かいし。この寝顔を写真に撮って、お兄ちゃんのファンに売りさばいたらどれくらい儲かるかな。それくらいやってもバチは当たらないよね。妹は悪魔なのでした! 

 なんてね。頭の中で一万円札のシャワーを浴びたら気が済んだ。というか、ちょっと気が咎めた。だから手を洗いに行ったついでに、兄のためにバスタオルを取ってきた。いくら5月の終わりだと言っても、お腹の上には何かかけておいた方がいい。

 新しく変えた柔軟剤はいい感じだ。タオルふかふか。

 それを兄の腹にのせた瞬間、兄が目を覚ました。目をこすった後、タオルに気付いた兄はありがとな、と美春に言って起き上がった。

 どういたしまして。のせた意味なかったけど。それに数十秒前にお兄ちゃんを売ろうとした妹ですけど。

「今日さ」

 兄が言った。

「親父と母ちゃん少し遅くなるらしいから、早めにメシ作って出すけどいい?」

「いいけど、お父さんが遅くなるならその間に勉強したいな」

「そっか。そうだな」

 と言っても、二人とも放課後、宿題を教室や別宅で終わらせてから帰宅しているので、簡単に予習復習をする程度だ。家で父に隠れて、こそこそと秘密の地下活動をするように勉強しなければならないという点では、兄と美春は同志と言える。

「コーヒー淹れるけど、美春も飲むか?」

「うん。ありがと」

 家族と家に来たお客さんしか飲めない健太ブレンド。考えてみたら、ほぼ毎日、お兄ちゃんにコーヒー淹れさせてるなあ。よっちゃんじゃないけど、大事にしてないと、そのうち闇討ちにあうかも。でもしょうがないじゃん、お兄ちゃんが淹れた方がおいしいんだもん。

 淹れてもらった特製ブレンドを堪能していると、

「そうだ。あの謎、解けたぞ」

 兄が少し笑いを含んだ声で言った。

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