第13章 大師匠の正体

 助手席に乗り込んだら、ほっとした。

「おっしゃあ! やっと終わった!」

 両手を上げて、大声で叫ぶ。隣で父がエンジンをかけながら、お疲れさん、と笑った。

「あのさ」

 ふと、思い出して尋ねた。

「さっき、言ってた事、ほんと?」

「何が」

「けん兄は、手加減知らねえって」

「まあな」

 百人を相手にするというのも、健司にとっては、遊び程度のことだったのだろうか。父親に重ねて尋ねると、孝志は呆れ顔でうなずいた。

「あのバカが言い出しそうなことだ」

 信じらんねえ。

「親父もそうだけど、けん兄がそんなに強えなんて全然知らなかったよ」

 すごく心配したのに。

「親父呼ぶ必要、なかったんだ」

 健太が言うと、そうか? と返ってきた。

「うっかり何人か殺しちゃいました、てのはまずいだろ」

 うげ……。思わず後部座席を振り返る。シートに上半身を横たえた健司は、眠っているように見えた。

「じゃあ、相手が百人で“まずい”って言ってたのは」

 敵の方を心配していたのか。

 何だかバカバカしくなってきた。何もかもが、健太の想像の範疇を超えている。

「けっこう、危ないヒトだったんだね」

「けっこうどころじゃねえよ」

 宗田兄弟の所業は許しがたいが、相手が健司(と孝志)だったのは、彼らにとっても大災難と言えるだろう。

 それで思い出した。 

「親父、あの時けん兄になりきってたよな」

 宗田兄弟のところへ行ったわずかの間だが、言葉遣いや台詞が健司のようだった。

「似てただろ」

 嬉しそうだ。

「うん。オレ一瞬、入れ替わった? って思ったもん」

「“大げさだな、健太は”」

 一度伏せた視線を上げてから、少しだけ微笑む。

「そうそう、そんな感じ!」

「“健太にも尊敬するたか兄にも、迷惑かけた。今日から心を入れ替えて、真面目に生きていくよ”」

 親父、似すぎ! 笑いすぎて腹が痛い。

「でも、そのセリフは言わねえと思う」

「だから、遊び甲斐があるんだよ」

 二人で爆笑していたら、背中にどんと衝撃を受けた。

「人のことを、好き勝手に……」

 振り向くと、健司がシートの真ん中に座り直していた。背もたれによりかかって、首を伸ばしている。

「大丈夫?」

 健司がうなずくと同時に、運転席から“ああ”と聞こえた。

「親父、紛らわしいからもうやめといて」

 孝志は笑っている。それから一瞬視線を後ろに投げた。

「髪まで同じってのは初めてだから、面白えな」

 確かに、髪型や髪色をしょっちゅう変えている父と違い、従兄は黒っぽい長めの髪を横に流すのが定番だ。

「やっと、おれ様をリスペクトする気になったか」

「いや。今晩、色だけでも戻すよ」

 ストーカーを煽るために仕方なくやったんだ、と従兄はきっぱり言った。

「これ、鏡を見るたびにたか兄に見返されてるみたいで、すごく嫌だ」

「ほんっとに、やな奴だな」

 運転席から思いっきりにらみつけるので心配になった。

「親父、前見て、前!」

「そういえば」

 健司が尋ねた。

「ストーカーやあの連中、どうなった?」

「全部片付けといた。おれ様が」

 孝志がルームミラーに向かって言うと、そうかと返事があった。残念そうだ。

「久々に暴れられるチャンスだと思ったのに」

「冗談じゃねえ」

 孝志がミラーをにらんだ。

「途中でスイッチ入ったら、どうすんだよ」

 後始末する方の身にもなってみろ、と孝志が嘆くように言うと、珍しく従兄がくすくす笑った。

「ねえ、スイッチって何?」

 健太が健司に尋ねると、

「スイッチオンは、キレた状態」

 その間は、自分が何をしてるのか分からなくなる、とさらりと言う。一瞬、鳥肌が立った。

「オレ、けん兄がそんな風になるの見たことねえけど?」

「健太や美春の前では、キレたりしないよ」

 物騒な会話と穏やかな表情が合っていない。

「久々に暴れるっていうのは? こういうこと前にもあったの?」

「ああ。でも」

 最近は滅多にない、と健司は言った。

「あってたまるか!」

 これは父の声だ。

「何年か前、入りっぱなしって時があってよ」

 あんときは参った、と笑っている。驚いた。

「けん兄にそんな一面があるなんて、オレ全然知らなかった」

 今も尊敬する大師匠であることに変わりはないが、今日だけで相当、健司のイメージが変わった。

「“本性”って、このこと?」

 孝志に尋ねたが、微笑んだだけだった。

「もう、オレに隠してることない?」

 後部座席に向かって、冗談半分で聞くと、

「隠してることなんかないよ」

 と返事があった。

「聞かれないから話してない、ってことはあるかもしれないけど」

「じゃあ、聞いたら答えてくれる?」

 従兄が、いいよとうなずいた。

「あいつらの車に乗る時のけん兄」

 いつもとは別人みたいだった。

「キレかけると、あんな風になるの?」

「いや、あれは単に、暴れられるのが嬉しかっただけだと思う」

 それはそれで怖いな。

「じゃあ、美春の時は?」

 美春はヘビメタとか、ワイルドモードなどと表現していた。そう健司に言うと、

「ほんとは、あんなことしたくなかったけど」

「へえ」

「13歳の従妹に“彼女になってあげる”なんて言われて、そのままにはしておけないからな」

「相当、効いたっぽいよ」

 そうか、と従兄が少し顔を曇らせた。 

「そのワイルドモードだけどさ」

 ついでに聞いてみることにした。我が家の謎が解明されるかもしれない。

「大人の女には、効かねえの?」

 従兄が不思議そうに見返してきた。

「だって、けん兄、ずっとフリーだよな」

 なんで彼女いないの? つい美春みたいな口調になってしまった。

「必要ないから」

 はい? 

 女は好きじゃないってこと? 考えていたら、健司の方から言ってきた。

「必要な時には、その辺で調達すればいい」

「ち、ちょっと待って!」

 思わず叫んだ。隣では、ちょうど信号待ちをしていた孝志が、ハンドルに突っ伏して大笑いしている。

「何かオレ、聞いちゃいけないこと聞いた気がするんだけど」

「そうかな」

 従兄が落ち着いた口調で言った。

「誓って、違法行為はしてないよ」

 双方合意のもと金銭の授受もなく、ときた。なんだそれ!

 従来持っていた健司のイメージが、さらに崩れた。

「その辺で調達って、ナンパってことだよね」

「まあ、そうだな」

「その後で、付き合ったりしないの?」

「しない。面倒くさいから」

 表情を見て、本心からそう言っているのが分かった。

「顔も名前も、はなから覚えねえんだとよ」

 この極悪ナンパ師は、と孝志が初めて口を挟んだ。

「好きな人の顔が見たくて、花屋に通いつめるような我が家の坊ちゃんとは、大違いだ」

「オレの話はいいって」

 それにしても、ものすごい割り切り方だ。衝撃度で言えば、手加減知らずの暴れん坊の方がまだ納得できる。

「いや、ほんとびっくり」

 いろんな点で、普通ではないとは思っていたが、レベルというか次元が全く違う。 “本性”“病気”ってこのことか!

「美春なんか、真面目すぎるから彼女がいないのかも、なんて言ってたのに」

 あの口ぶりでは、健司を童貞とすら思っていたかもしれない。美春に聞かせたら、どんな顔するかな。

 おかしいような、大師匠から恋愛話が聞けないのが少し残念なような、複雑な気分の健太だったが、ふと思い出して言った。

「あのさ」

 改めて呼びかけると、従兄はいつものクールな表情で見返してきた。

「けん兄にかかってきてた、無言電話」

「あれか。電話がどうした?」

「全部が宗田がらみとは、限んねえんじゃねえの?」

 健司が記憶に残さなくても、女の方が覚えている可能性は大いにある。執念で相手を探し出し、付け狙い――。

「女のストーカーも怖いよ」

 健太が言うと、端正な顔が固まった。

 まったくもー。

“そんな電話かけられる覚えはない”?

「覚え、ありまくりじゃねえかよ!」


(お知らせ:極悪ナンパ師がばれた健司ですが、その後、真実の恋に目覚めます。彼の困難な初恋を描いた「金魚博士の恋」<完結済み>もどうぞよろしくお願いいたします。)

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