第9章 もう、乗れなくなるかもな
健司の挑発がどんな結果を呼ぶのか、また両親が話していた健司の“本性”“病気”とは何なのか。いろいろ考えて、その夜はあまり寝られなかった。
翌日の昼休み、早めに弁当を食べて昼寝でもしようかと思っていた健太だったが、弁当に卵焼きが入っていたため、恒例のイベントが始まってしまった。
いつも健太が松竹梅トリオとしてつるんでいる松沢と梅田は、竹中家の“きき卵焼き”をやるのを楽しみにしているのだ。
「今日のは、たか兄だと思う」
一切れ飲み込んだ後、幸せそうな表情を浮かべて梅田が言った。竹中家に一度遊びに来た友達は、孝志の希望でたか兄と呼ばされる。
「いや、違うな」
松沢が首を振った。
「この絶妙な塩加減は、竹やんだろ」
「二人とも外れ」
いつも健太から巻き上げて食べているわりには、梅田も松沢も当てた試しがない。本当は味なんかどうでもいいんじゃねえのか?
「今日は、母ちゃんでした!」
「恵子さん?」
二人揃って、おお~! と声をあげる。
「もっと味わって食うんだった」
松沢が拳を握りしめ、
「竹やん、それは先に言おうよ」
梅田は、思いっきり口を尖らせた。
そんな理不尽な。
「先に言ったら、当てる意味ねえだろ」
「そうだけどさ」
「オレ、貴重な食糧を提供してんだぞ」
文句言われる筋合いねえんだけど、と言っておいて、最後の一切れを箸でつまむと、二人揃って、食い入るように健太を見ている。速攻で口に押し込み、飲み込んでやった。
「ひでえぞ、竹やん」
「いや、これオレの弁当だから」
松竹梅でわいわい言っていると、
「竹中」
声をかけてきた級友が、あごで廊下を指した。
「機械科の奴が、呼んでるよ」
廊下の方を見ると、教室後ろの引き戸を開けて、真っ赤な髪を突き立てた男が、制服のズボンを引きずるようにして入ってきた。
「あ、赤井」
「ちげーつってんだろ」
このやり取りいい加減飽きたぞ、と言いながら白井は傍までやって来た。
「ごめん、まあ、お約束ってことで」
笑いながら、一応詫びた。
「話、あんだけど」
「うん、何?」
箸を手に取りながら、促すと、
「こんなところで話せっかよ」
噛みつくように言われた。親指を廊下に向け、ちょっと出ろ、と健太に言う。
「食いながらでも、いい?」
立ち上がると、勝手にしろと歩き出した。仕方がないので、おにぎりだけ持って出ることにした。
「竹やん」
ささやくような声がしたので、松&梅を見ると、おかずの容器と自分たちを交互に指差している。
食っていいよと言い置いて、健太は白井の後を追った。
わあい、恵子さんの手作りだあ、という声が背中で聞こえる。
卵焼き以外は、オレが作ったやつだけどね。
* * *
機械科の白井秀人とは、1年の終わりごろに知り合った。でかい奴ほど倒したくなるという勝手な理屈で、白井が健太にからんできたのだが、とりあえず相手をしたのが縁で、以来、たまに話したり遊んだりするようになった。家では突っ込み役の健太が白井相手だと少しボケられる。貴重な存在だ。
機械科と普通科は校舎が離れているので、校内にいる時に白井が健太のところまで出向いてくるのは珍しい。
赤い髪を追って行くと、校舎の屋上に出た。いい天気だ。
白井は、出入口がよく見える場所に陣取ると、フェンスを背にして、コンクリートの上に座り込んだ。
「話って、なに」
健太も白井の隣に腰を下ろした。
「俺、今頼まれて、人を集めてんだけどさ」
白井によると、今週土曜の夜、市内某所で乱闘があるらしい。集めているのは、その見物人だと言う。
「見に行くだけで、1万くれるってよ。来いよ」
「1万?」
そんなうまい話、あるわけがない。
「結局巻き込まれて、痛い思いすることになんじゃねえの?」
笑っておいて、おにぎりにかぶりつくと、
「いや、それはねえな」
白井が言った。
「なんつっても、1対100だからな」
「ぐ」
むせそうになった。乱闘じゃねえぞ、それ。集団リンチだろ。健太が口中の飯を飲み込んでいると、
「百人集めとけって、ケンカ売ってきた奴が言ってきたらしいぜ」
そんくらいのハンデがなきゃ勝負にならねえんだと、と白井は呆れたように笑った。
思わず、健太も笑ってしまった。
「どんだけ強えの、そいつ」
「フカシもいいとこだっての。ただのバカだ」
赤髪の立ち具合を気にしながら、白井が鼻を鳴らした。
「まあ、そんな奴、潰しちまうのは簡単なんだろうけど」
実際にその身の程知らずを1対100の状況に放り込み、死ぬほど怯えさせてやろうということらしい。
「で、どうせ囲むんだったら、なるべくでかい奴、強そうな奴を集めようってわけだ」
お前タッパあるしよ、と健太に言う。
「その場に、立ってるだけでいい」
もちろん、その気があれば、手なり足なり出して構わない。
「人間群れてっと、何すっか分かんねえじゃん?」
「おいおい」
こんな話が自分にまで持ち込まれるとは。
「全然、集まんねえの?」
尋ねると、白井は首を振った。
「あと四、五人ってとこらしい。まあ一応、俺も立場ってもんがあるからよ」
頼まれた以上、一人二人は用立てようということのようだ。
「でもさ、わざわざ金払って百人集めるって、変じゃねえ?」
「もう、メンツの問題らしいぜ」
百人動かせるだけの力があると、相手に分からせる必要があるらしい。
かっこわる。
健太は腹の中でつぶやいた。父親の仕事仲間に、一声かければ彼のために尽力しようという人間が即座に三百人は集まる男がいる。そんな風に人徳ならまだしも、金で兵隊を募るというのはかなり情けない。そもそもケンカ相手がどんな奴であれ、1対100というのが胸くそ悪い。
「赤、じゃなかった白井」
「何だよ」
「人集め、誰に頼まれたって?」
白井は、先輩だと言って健太の知らない名を挙げた。同じ機械科の3年らしい。
「その人、ほんとに百人に1万ずつ払う気か」
体面の問題とはいえ、一人潰すのに100万なんて馬鹿げている。だから“見に行くだけで1万”という話自体、怪しいものだと健太は思った。
「いや、金出すのは、別にいるんだ」
その先輩も、他の誰かに人集めを頼まれただけらしい。
「先輩に話持ってきた人は直接潰す役なんだと。先に特別ボーナス貰ったってよ」
だから金の件は大丈夫だと思う、と白井は言った。
「分かった」
健太は言うと、立ち上がった。
「でも、オレ向きの話じゃないと思う」
健太が争いごとを好まないのは、白井だって知っているはずだ。
「悪いけど、ほか当たって」
「やっぱな。お前ならそう言うと思った」
白井が赤髪をつまみながら微笑んだ。
「まあ、聞けって。話はこっからが本番なんだからよ」
仕方がない。もう少し付き合うことにした。立ったまま白井を促すと、
「お前、大型取るって言ってたろ?」
意外にも、バイクの話だった。
「うん、来年の今頃は、絶対乗ってる」
腰を落とし、空中に両の拳を広げて背を反らす。だだん、ずだだん。健太の仕草を見て、白井が笑った。
「もう決めてんのか? 何に乗るか」
「まだ。ほんとはハーレーがいいけど」
従兄のように都合よくエンジンとフレームが手に入ることはないだろう。まずは自分にも手の届きそうな、国産の中古車から探すつもりだ。
健太がそう言うと、
「百人とか言ってる奴、すげえの乗ってるらしいぜ。ハーレー。真っ黒の」
「え?」
「あっちこっち、いろいろいじって、いい感じにカスタムしてあるってよ」
背中がぞわりとした。
「そいつ、最悪、百人からボコられるわけだろ」
もう乗れなくなるかもな、と笑っている。
「巻き上げといて、ばらして売っちまうか、みたいな話もあるらしい。うまくすりゃ良さげなパーツ、もらえるかもしんねえぞ」
何か頼んどいてやろうか? そう言われ、思わず白井に背を向けた。
襟足がちりちり逆立っているのが分かる。人違いだよな。これ、けん兄の話じゃねえよな。
ただ、これが黒のカスタムハーレーに乗っている“別の誰か”の話だとしても、笑って聞くことはできない。“いろいろいじる”のに、手間と時間と金がどんだけかかると思ってんだ。
「おい、どした?」
ありったけの自制心をかき集め、振り返る。
「赤井」
「てめえ」
ボケるタイミング考えろ! とでも言いたげに、白井がにらみ上げてきたが、普段と違う健太の面持ちを見るや口をつぐんだ。
「さっきの話、乗るよ」
「あ?」
「場所と時間、教えて」
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