第7章 ワイルドモードでお姫様抱っこ
自分は大丈夫と言いながら、健司は、健太の身については心配したらしく、当面、別宅への出入りを控えるように言われてしまった。
そもそも自分の部屋ではないから、来るなと言われればそれまでなのだが、お気に入りの隠れ家を取り上げられた健太は、犯人が分かったら、万死とまでは言わなくても、自分も一発、ぶん殴ってやりたいような気持ちだった。
それから2、3日後。夕食の準備を済ませた健太が、ゲームでもやって憂さ晴らしでもするかと思っていると、遠くで聞き覚えのある爆音が聞こえた。
どだん、どだだん、どだだん。
地鳴りのような音が、だんだん近づいてくる。
リビングの窓に近づいて、カーテン越しに外を見ると、家の前の道路に、でめきんブラックのハーレーが停まった。やっぱりけん兄だ。
平日のこの時間になぜ、と思っていたら、健司とともに、後ろに乗っていた誰かも、ゆっくりと座席から降り立った。あれ、二人乗れるようにしたんだ。
――美春?
ヘルメットをかぶってうつむいているので、はっきりは分からないが、制服と背格好からして、おそらく美春だ。
見ていると、健司は美春に向き合い、美春の頭に手を置いた。長身をかがめて、何か話しかけているようだ。
健司が来るなら、“初夏の健太ブレンド”でも入れようと、健太が台所に行ってカップを並べていると再び表で爆音がした。
なんだ、帰っちゃうのか。
窓まで引き返すと、健司と単車の姿はすでになかった。エンジン音が遠ざかっていく。
がっかりしていたら、玄関のドアが開く音がした。
「おかえり」
声をかけたが、上がってくる気配がない。
気になって玄関まで様子を見に行くと、ヘルメットをかぶったままの美春が、うつむいて玄関のたたきに立ち尽くしていた。
「今、一緒に帰ってきたのって」
けん兄だよな、と問いかけて止めた。
妹の様子がおかしい。
傍まで行って顔を覗き込むと、放心した状態で固まっている。
「大丈夫か?」
とりあえず、ヘルメットを外してやったら、美春はどこか一点を見つめたまま、
「お兄ちゃん」
と小さく発した。
「おい、どうしたんだよ?」
「ヘビメ、タだっ、た」
「は?」
続いて、怖かったよ、とかすかなつぶやきが聞こえ、美春がようやく顔を上げた。
その顔がくしゃっと歪んだ、と思ったら、突然健太にしがみついてきた。
「怖かっ、たよう」
そして、うわーん、と声を上げて泣き出した。
* * *
しばらくそのまま泣かせて、美春が少し落ち着いたところで家に上げ、リビングのソファに座らせた。ティッシュの箱とゴミ箱を渡しておいて、美春の好きな葉で紅茶を入れてやった。
「何があったんだ?」
なるべく優しく尋ねると、美春は丸めたティッシュでいっぱいになったゴミ箱を脇にどけて、一口、紅茶をすすった。それからまだ鼻をぐすぐす言わせながら、ぽつりぽつりと語り始めた。
下校時、美春が校門を出るとすぐに、美春、と呼ぶ声がした、と思ったら目の前に健司が現れたという。
“迎えにきたぞ”
はじめ、美春はまた父親が来たのかと思った。髪型と色が父と同じような感じになっていたし、今まで見せたことのないような笑顔を向けてきたからだ。
髪型と色を変えた?
思わず、心の中で舌打ちをした。孝志の行きつけの床屋には、健司も行っている。先日叔父にやったのと同じにしてくれと頼めば、すぐに双子もどきができあがっただろう。
健司は、孝志がふざけてやった“美春の彼氏ごっこ”に便乗するつもりらしい。何考えてんだよ。腹の中がもやもやするが、ひとまず黙って話の続きを聞くことにした。
さすがに美春が父と従兄を間違えることはなかったが、“何でここにいるの?”の一言がどうしても言えなかった。外見だけでなく、健司が別人のような空気を纏っていたからだ。
「別人って?」
「ヘビメタ」
美春はさっきも、そんなことを言っていたが、どうもよく分からない。
「普段のけん兄が、クラシックだとするとね」
今日は、ヘビメタ風味、というわけだ。
「なんか、めちゃくちゃワイルドだった」
上機嫌に見えるのに、目は笑っていない。
「お兄ちゃん、けん兄が酔っ払ったとこ見たことある?」
「いや、ねえな」
家族で宴会をした時など、父も従兄も驚くほど大量に飲むが、酒で乱れたところは見たことがない。
それは美春も同じだったようで、もし従兄が酔ったとしたら、こんな風になるのではないか、と思うような雰囲気だったと言う。
強い視線に射られて、美春が呆然としていると、ふいに両肩をつかまれ引き寄せられた。
そして、耳元でささやかれた。
“この前は、お子様なんて言ってごめんな”
「わたし、力が抜けちゃって」
その場に座り込みそうになった美春を、健司はお姫様抱っこで抱え上げた。
「マジで?」
「わたし、降ろしてって、何度も頼んだのに」
思い出したのか、美春はティッシュで目を押さえた。
「みんなに見られて、すごく恥ずかしかった」結局、美春の要求は聞いてはもらえず、そのまま愛馬を停めてあるところまで運ばれていった、と言う。
目に涙をにじませながら、震え声で語る妹が作り話をしているとは思えない。それでも誰か他の男の話を聞かされているような気がしてならない。健太が知っている従兄は、そんな小芝居をするタイプではないし、まして、美春を怯えさせるような真似はしないはずだ。
「ほんとに、違う人みたいだったよ」
単車の傍まで来てみると、健司のハーレーには、二人乗り用の小さな座席がついていた。
どうやら、間に合わせのピリオンシートをつけたらしい。美春用にヘルメットまで用意してあった。
「あれか」
美春がさっきかぶっていたゴーグル付きの半キャップだ。旧車テイストのアメリカンバイクによく似合う。いや、そんなこと考えてる場合じゃねえ。
美春を後ろに乗せて、しっかりつかまっているように言うと、健司はエンジンをかけた。
校門の近くで、美春が不審に思うほど健司は長々とアイドリングしていた。地鳴りのような轟音に、生徒や道行く人が当然視線を投げかけ、美春はその場を一刻も早く立ち去りたかった。だが、まさかのお姫様抱っこにひどく混乱していたし、今の健司に逆らうのは危険だと察して、ずっと身をすくめていたと言う。
ようやく単車を発進させたかと思ったら、健司はじれったくなるほどの低速で学校の周りを走り始めた。何周か走った後、ようやくスピードを上げ、進行方向を変えた。
「それで、そのまま家に送ってもらったのか?」
尋ねると、美春は小さくうなずいた。
竹中家の前で愛馬を停めた健司は、単車を降りると美春の頭に軽く触れた。健太が窓から見たシーンだ。
“彼氏ごっこは、これっきりだぞ”
健司の言葉に、美春は動揺が収まらないまま、何とかうなずいた。
そして、従兄は去って行った。
「その時は、いつものけん兄に戻ってたけど。学校に来た時はほんとに怖かった」
美春はまた目頭を押えて鼻をかんだ。
ちょっとやり過ぎじゃねえか?
健太はため息をついた。
美春にはいい薬になったようだが、この一部始終をストーカー野郎が見ていたら(というか、挑発するためにわざと見せつけたのだろう)、逆上するに違いない。
美春に、何と声をかけてやればいいかと考えていたら、
「怖かったけどね、かっこよかったよ」
「お前なあ」
まだそんなこと言ってんのか?
「でも、わたしじゃだめだ」
全然敵わないや、と妹がつぶやいた。
「けん兄は大人の男のひとなんだ、って分かったよ」
「そっか」
可哀想な気がしなくもないが、これで美春のお熱も下がるだろう。結果オーライというべきか。健太がそんな風に考えていたら、
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「けん兄、今日何しに来たんだろね」
困った。ストーカーのことも、そいつへの挑発も、美春には説明できない。
「お子様発言、謝りたかったんじゃねえか?」
「今日になって?」
「うん」
「わざわざお父さんとお揃いの髪にして? ワイルドモードで?」
これはまずい。
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