第6章 コーラはアリだがペプシはない
「――留守番と鍵、ありがとな」
ふいに呼びかけられて、振り返る。健司が立っていた。
「あ、おかえり」
帰ってたんだ、と言うと、
「相変わらず、すごい集中力だな」
感心された。
家でまともに勉強させてもらえないので、授業中やすきま時間に宿題をこなしているうち、集中力は身に付いた。
健司を見ると、水槽の前に行ってかがみこみ、愛魚にただいま、と声をかけていた。今、でめこは運動タイムらしく、ふわふわと水槽の中で漂っているのが見えた。
「さっきは、悪かったな」
健司が、ベッドに腰を下ろして言った。
「脅迫状の話のすぐ後で、部屋の中、って聞いたから」
一瞬、愛魚について、最悪の事態が健司の頭の中をよぎったのだそうだ。
「オレ、異常ないって言おうとしたのに」
苦笑しながら言うと、従兄はごめん、と再び詫びながら、机の方に向かってきた。
「これか」
そのまま無造作に、ナイフを手に取る。
「え、いいの?」
「何が?」
「指紋付かないように、オレ、すげえ気遣ったんだけど」
あ、そうか、と少し申し訳なさそうに健司は言った。
「でも、警察には届けないだろ?」
「けん兄がそれでいいなら」
健太が言うと、健司は軽くうなずきナイフを置いた。今度は脅迫状を広げる。一瞥して、
「まめな奴だな」
とだけ言うと、紙をゴミ箱に放った。
* * *
健司が着替えている間、健太は卵をといて、親子丼を完成させた。ご丁寧に三つ葉まで買ってあったので、それも添えた。健太が“三つ葉派”なのを覚えてくれていたらしい。
二人で丼をかきこんだ後(腕が上がったと褒めてもらった)、玄関ドアの錠を付け替えた。
「ほんとはこういうの、勝手にやっちゃいけないんだよね?」
聞いたら、従兄がうなずいた。
「ほとぼりが冷めたら、元に戻しておくよ」
付け替えた錠とは別に、健司は補助錠も二つ買ってきていた。
「それも付けんの?」
ずいぶん厳重だ。
「さっきみたいな思いは、二度としたくないからな」
ドライバーを再び手にしながら、健司が言った。
「一階の入口には、管理人さんもいるし、ここまで上がってくることはないと思いたいけど」
「あ、夕方、久しぶりに会ったよ」
管理人にはナイフのことは言わなかった、健太がそう言うと、その方がいいな、と健司も同意してくれた。
「あの人は、ちゃんと自分の仕事してると思う。今回のは、西浦さんの管轄外だ」
管理人は、西浦というらしい。
「オレ、ずっとあの人が大家さんだと思ってた」
勘違いしていたのを西浦に笑われたと話すと、健司が大家さんか、とつぶやいた。
「健太」
「ん?」
「炭酸と言えば?」
「コーラ」
「コーラか。コーラならありそうだな」
反応からすると、意外な発見があったらしい。
「ちなみにオレは、ペプシ派だけどね~」
「いや、ペプシはない」
「そうなの?」
いったい何の話だ? 不思議に思っていたら、
「ここの前に住んでたアパートの大家さん、斎田さんって言うんだ」
アパート名はコーポ斎田。分かりやすい。
「その前は、カバさんだった」
「え?」
加えるに波と聞いて納得した。珍しい名前だ。
「カヴァはスペインのスパークリングワイン」
なるほど、サイダーもカヴァも炭酸だ。
「そしてここがソーダ。次に引っ越したら、やっぱり炭酸かな」
ん?
「ちょっと待って」
頭にSODAIの表記を思い浮かべた。
「あれ、ソーダって読むの?」
「そうだよ」
一瞬考えた。いや、スルーで正解だ。親父じゃねえんだから。我ながら哀しい習性だ。
「どうした?」
「何でもない。最後のⅠは?」
「アイじゃなくて1だよ。ローマ数字の」
隣はSODAⅡ、その横がⅢ。そうだったのか。
町中で見かける看板は漢字表記のものばかりだったので、SODA=ソーダ=宗田とは思わなかった。
健太は健司に言った。
「容疑者候補、ひとり思いついたよ」
* * *
証拠は何一つないけど、と前置きをしたうえで、健太は美春が気にしていた視線と宗田・弟のことを健司に話した。
「美春が見られてる、って言うのは本当かどうか分かんねえけど」
仮に、怪視線が美春の思い込みでなかったとしたら、この町を中心に、宗田が所有する不動産物件は周辺地域にごろごろあるわけで、ナンバーを手がかりにでめきんハーレーの所有者を割り出そうと考えた可能性はある。
「大家の息子だったら、無理な話でもないかなって」
「で、調べてみたら、そのナンバーで駐車場を借りてる奴が、あっさり見つかった、か」
そうだとすると、もちろんマンションの部屋も電話番号も同時に分かる。
「そういえば、無言電話がかかりはじめたの、美春と会った翌日だったな」
早い。だが、結局は可能性があるという域を出ない。
「全然別の奴が、ハーレー扱ってるバイク屋に聞いて回ったのかもしれないし」
一応、別の可能性も提示してみる。健司はうなずいたが、
「全然別の奴、っていう線はあまり考えたくないな」
「なんで?」
「宗田の坊ちゃん以外にも、美春を狙ってる奴がいることになる」
「あ、そっか」
どうしたものか。健太が考えていたら、
「まあ、おびき出せば分かるだろ」
健司が言った。
「おびき出すって、けん兄、何するつもりなの?」
「これから考えるよ」
「あぶねえって」
電話での脅迫が効かなかった時点で、相手もかなり頭にきているはずだ。
やめとけよと言ったが、
「大丈夫」
従兄が珍しく笑った。
「俺の大事なでめ太号を傷付けたこと、たっぷり後悔させてやる」
あの。淡々と言われるとかえって怖いです。
「しかも、でめこのことで一瞬、俺の心臓を止めた」
でめこのことは、けん兄が勝手に勘違いしたんだけどな。もちろん指摘はしない。
「万死に値する」
「万死って」
そんな言い方するの、親父だけかと思ってた。
「けん兄、頼むから無茶するなよ」
健太が懇願すると、健司は再び、大丈夫だ、と言った。
なぜか、楽しそうに見えた。
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