第4章 彼氏ごっこと脅迫状
それから3日後。
――ったく、何やってんだよ!
学校から戻った健太は、家族への腹立たしさと胸騒ぎを両方抱えながら“別宅”に向かって自転車を走らせていた。
昨夜、夕食中に妹と父の会話を聞いた時には、愕然とした。
夕方、中学校の近くを偶然通りかかった孝志が、ついでに美春を乗せて帰ろうと、校門前で待っていたというのだ。
「びっくりしたろ」
孝志が嬉しそうな顔で美春に言った。
「うん」
その日の午前中、床屋に行き、明るめの髪を流行りのスタイルにカットした孝志は、いつも以上に若く見えるようになった。
「図書館の人たちも、みんな褒めてたわよ」
母の恵子が微笑んだ。
「親父、母ちゃんの職場まで見せに行ったの?」
「おう、思った以上に、いい仕上がりだったからな」
図書館員たちもこぞって、若いだのかっこいいだのと絶賛したらしい。中学校の近くを“通りかかった”と言うが、本当に偶然かどうか怪しいものだ。
普段から、学校に出す書類の保護者欄に、面白がって嘘の年齢を書くような父親だ。中学生たちに“美春ちゃんのお兄さん?” と勘違いさせてみよう、と思っても不思議はない。兄ならまだいいが、先日の健司のことがある。健司によく似た孝志が迎えに行けば、“ハーレーの彼氏が、今度は車に乗ってやってきた!”と思われるかもしれない。
「すごく似合ってるし、かっこいいけどさ」
あれはちょっと恥ずかしかったよ、と美春が言った。
「お父さん、運転席から“迎えにきたぜ!”って、大声で言うんだもん」
いつも以上に、カッコつけて、ときた。
「ひょっとしたら“美春ちゃんの彼氏”でいけんじゃねえか、と思ってさ」
自信たっぷりの父親の発言に、美春が噴き出した。
「さすがにそれは無理があるよ」
「そっかなあ。だめかな」
「親父!」
「どうした健太、おっかねえ顔して」
「どうした、じゃねーよ!」
けん兄とオレの気持ちも知らないで。
「そういう悪ふざけ、もうやめろよな」
「なんで? 面白れえじゃん」
心から楽し気に笑っている。父親を相手にしても無駄だと思ったので、妹に言った。
「親父にこんなことさせといたら、一生、本物の彼氏なんかできねえぞ」
「え~、それはやだなあ」
のん気なものだ。美春が作り上げた“嘘の彼氏”が、トラブルに巻き込まれているというのに。
「母ちゃんからも言ってやってくれよ」
嘆くように言うと、母親は笑った。
「孝志が面白がってるだけなら、別にいいんじゃない?」
全然良くない。それで迷惑してる人が、実際にいるんだから。
健司との約束がなければ、何もかもぶちまけているところだ。
「残念でした~。恵子はおれ様の味方なんだよ」
憎たらしいような表情で言われた。
「でも、孝志がどんどん若くなって」
恵子が言った。
「そのうち“恵子さんの弟さん?”なんて言われることがあったら――」
すっと笑顔が消える。
「やめてもらわないと、ね……」
「怖い! お母さん怖い!」
「悪かった、もうしねえから!」
「やあね、冗談よ」
家族のにぎやかな笑い声を背に食卓を離れた健太は、すぐに健司に電話して、しばらくは髪を切ったり明るめの色に変えたりしないようにと、念のため伝えておいた。
* * *
健司のマンションに着いた。昨日の父親の悪ふざけを、ストーカー野郎は見ていただろうか。もし見ていたら、今日、何か仕掛けてくるかもしれない。
自転車を駐輪場に停めると、健太は駐車場に足を向けた。駐車スペースはマンションと同じ敷地内にあって、建物を囲むような形で、車が並んでいる。乗用車ばかりの中に単車が停めてあるのだから見つけやすい。健司の愛馬は、カバーがかかった状態でいつも通り停まっていた。
いたずらとか、されてないよな。近寄ってみると、カバーをかけた車体の上に、何かある。
どくん、と胸が鳴った。
シートに当たる位置に、細身のナイフが突き立てられている。折った紙が刺して止めてあった。
きやがったよ……
辺りをそっと見回す。人影はない。ナイフに手を伸ばそうとして、止めた。
犯人が残したもんだからな。念のため、とバッグを探ると、コンビニの袋が見つかった。刑事ドラマの一シーンを思い出しながら、袋に手を入れた状態でナイフの柄を包み、抜き取った。紙もそっと持ち上げて袋に入れた。
傍から見たら、オレめちゃくちゃ怪しい人だな……。
急いで袋をバッグにしまうと、健太はエレベーターの方へと向かった。
エレベーターを待っていたら、健太が来たのとは逆の方から、ほうきと塵取りを持った、60代半ばくらいの男性が歩いてきた。あ、大家さんだ。駐車場で会わなくて良かったとほっとする。
挨拶して頭を下げると、大家も健太に気づいた。知ってはいるが、誰だか思い出せないという感じだったので、健司の名と部屋の番号を口にした。
「ああ、山本君の」
「従弟です」
「そう。さすがだねえ」
微笑みながら、大家が感心したように言った。何がさすがなんだろうと思っていたら、
「山本君も、いつも丁寧な挨拶をしてくれるよ」
笑顔をほとんど見せない従兄の挨拶は、きっと不愛想なものだろうが、大家はそれなりに評価してくれているらしい。
健太は、ふと思いついて尋ねてみた。
「オレは、ほんとの従弟ですけど」
大家が不思議そうに、見返してきた。
「親戚を訪ねてきたとか言って、もし全然関係ない人がここに入ってきても、分かりませんよね」
「まあ、そうだね」
現に健太は普段自由に出入りしているし、ナイフの持ち主も、大家に見咎められずに健司の単車に近づいている。
「怪しそうな人間は、一応、こっちも気をつけてるつもりなんだけどね」
24時間、きっちり監視ってわけにはいかないから、と大家は言った。
「そうですよね。大家さんって大変だ」
健太が言うと、相手は微笑んだ。
「私は大家じゃないよ。雇われの管理人だよ」
そうだったんだ。たちの悪い部外者が侵入したとなったら、この管理人さん、責任を問われたりするのかな。今は、ナイフのことは黙っていることにした。
健太の思いとは裏腹に、管理人は朗らかな表情で、
「大家さんはね」
ほら、と少し下がってマンションの入口を指す。マンション名を記したプレートには“SODAI”とあった。何て読むんだろ。ソダイさん?
名前をそのまま当てただけのマンション名なんて、ずいぶんやる気のない大家だ。
「すごいよね。同じような賃貸マンションがこの辺りに八つもあるんだよ」
管理人の話では、同じ大家の所有物件がぞろぞろ並んでいるそうだ。
「駅前付近のはAからZが付いてる」
物件の名付けを、もともと面倒に思う大家らしい。
そういえば、ここに決めたのは、キッチンの広さとマンションにしては珍しくシンプルな名前が気に入ったからだ、と健司が話していた気がする。住所書くとき楽だろ、と。確かにそうだ。
再び管理人に頭を下げると、健太は五階の別宅へと向かった。
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