第3章 我が家の謎
“美春が気付いていないなら、わざわざ知らせる必要はない”という、健司の意向には従うつもりだが、健太は一応、美春とも話してみることにした。
自室を出て、隣にある美春の部屋のドアをノックする。いいよーと、応答があったので、開けて中に入った。妹は机に向かっていた。
「宿題?」
尋ねると、美春はうなずき、小さな声で言った。
「お父さんには内緒にしててよ」
「分かってるよ」
下校後の“残業(家での勉強)禁止”という、父親が言い出した変な掟のために、健太自身も日々苦労しているからだ。
ちょっと話があってさ、と床に座る。美春は机の椅子を回して、健太に向き合った。
「どしたの。珍しいね」
「お前さ、今付き合ってる奴とかいる?」
「へ?」
美春は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。
「何でそんなこと聞くの?」
まあ、そう来るよな。
適当に話をでっち上げつつ、容疑者を探るしかない。
「松ちゃん――松沢、知ってるよな」
健太は親友の名前を借りることにした。
「お前のこと、気になってるみたいだからさ」
「ふうん」
普段、そういう話が好きなわりには、美春はあまり嬉しそうな顔をしなかった。
「松沢君は、だめだな」
「何で?」
「わたし、背が高い人が好きだから」
「松ちゃんそんなに低くねえぞ?」
「でも、180センチ以上じゃないと」
180センチ以上、ってけん兄のことか?
「お前、背高男を見慣れ過ぎてんだよ。親父もオレもけん兄も、家族みんなでかいから」
従兄も父と兄と同列の家族扱いにしたのは、健太なりに釘を刺したつもりだ。
「うん、そうかもね」
少し寂しそうな答えが返ってきた。
「180以上って、中学にはあんまいねえだろ?」
健太だって、伸びたのは高校1年の秋からだ。
「身長の基準下げないと」
学校で付き合える相手いなくなるぞ、と言ってやった。
「いいもん」
理想は高い方がいいんだもん、と言う。
「それに、中学生の男の子って、子どもっぽいからやだ」
「よく言うぜ、お前も子どもじゃねえかよ」
「もう、お兄ちゃんまで」
美春がふくれた。
「こないだ、けん兄にもお子様って、言われたんだよ」
健司とのやりとりを思い出したらしい。すごく悔しそうだ。
そういえば、と健太は続けた。
「お前、けん兄を学校まで呼び出したんだって?」
「うん」
「何でそんなことしたんだよ」
つい詰問調になってしまう。兄の口ぶりに、美春は口を尖らせた。
「けん兄、かっこいいからさ、よっちゃんやみかちゃんに見せようと思って」
「友達に見せびらかすために、呼んだのかよ」
「だってえ」
美春は急に顔を歪めると、椅子から降りて健太の前にぺたんと座り込んだ。
「二人とも、彼氏いるのに」
切羽詰った口調だ。
「いないの、わたしだけなんだよ!」
最近は、友達二人が競うようにして彼氏自慢を聞かせるらしい。
「そ、そうなんだ」
すっかり話の流れが変わってしまった。
「でさ、けん兄ずっと独りみたいだし、わたしが彼女になってあげたら、ちょうどいいかなって」
この様子では、まだ諦めてないようだ。
「なってあげたら、って。お前なあ」
「いいじゃん、お互い相手いないんだし」
「けん兄に相手がいないって、なんで分かるんだよ」
「だって、今までそんな話、聞いたことある?」
妹に問われて、健太は口ごもってしまった。
他のことなら、何でも頼りになる従兄だが、こと恋愛に関しては、一般的な話でも健太の個人的な問題でもまったく関心を示さない。そのうち何となく、触れてはいけない話題のような気がして、ある時期からは健太も健司に恋愛がらみの話をすることは止めていた。
「ねえ、好きな人もいないのかな」
「分かんねえ」
我が家の謎のひとつだよ、と健太がつぶやくと美春もうなずいた。そして言った。
「わたしは大好きなの。けん兄が」
男性として、って聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
「従兄だ、っつうの」
「分かってるよ。でもね」
美春が少し得意げな表情を浮かべた。
「いとこ同士って、結婚できるんだよ」
よっちゃんの親戚にね、そういう人がいるんだって、ときた。
「ちょっと待てって」
のろけ聞かせるわ、変な知恵つけるわ、ろくなことしねーな、よっちゃん!
「世の中には、そういう人もいるかもしれないけどさ」
ちょっと頭冷やした方がいい、と言ってやった。
「わたしは冷静だよ」
美春がきっぱり言った。
「お兄ちゃんだって、前に言ってたじゃん」
「何を」
「“オレが女だったら絶対惚れてる”って」
「それは例え話。そんくらいすげえ人で、尊敬してるって言いたかっただけだよ」
「そう、完璧なんだよ。顔が良くて頭が良くて、優しくて」
悪いところがひとっつもない! と、両手を握り合わせて、うっとりとした顔で美春は言った。
「あえて言うなら、真面目すぎるとこかな。冗談通じないし」
あんまり笑わないもんね、と言う。
「だから彼女が、できないんじゃない?」
健太としては、なんともコメントのしようがない。
「けん兄に、お笑いのセンスがあったら、完全にわたしの理想通りなんだけどな」
普段、家で笑ってばかりいるから、それが標準になっているのだろう。
「理想って、けん兄にお笑い足したら“めちゃくちゃ真面目”な親父になるだけだぞ」
「うん。そうだよ」
ほんとはお父さんが、わたしの理想だもん! と、にっこり笑った。
「でも、振られちゃった」
「は?」
美春は、少し恥ずかしそうに言った。
「お決まりのあの質問をね、うんとちっちゃいころのわたしも、お父さんにしたわけよ」
“みはるとママと、どっちがすき?”
「ふつう父親だったらさ〝どっちも好きだよ〟って言うよねえ」
呆れたように笑っている。
「速攻で“恵子!”だもん」
せめて迷うふり、してほしかったなあと美春はしみじみと言った。
「わたしのトラウマ」
ったく。親父も美春も、どうかしてるよ、この家は!
「しょーがねえなあ」
これは軌道修正をする必要がある。
「美春。外に目を向けたほうがいい。絶対」
「そう?」
「中坊の時は、相手が同級生くらいがちょうどいいって」
年上好みの自分が言えた義理ではないが、妹の相手が12歳年上、しかも従兄というのは推奨できない。兄の言葉に美春は不服そうな顔をした後、うつむいた。
「わたしだってさ、学校で何回か告白されて、付き合ってみようとしたことあるんだよ」
「へえ」
知らなかった。
「でも、すぐ向こうから断ってくるの」
「は?」
美春の話では、少年たちは自分から告白しておきながら、2、3日もすると、やっぱり付き合えないと詫びを入れてくるらしい。
「ほんと、失礼しちゃう」
確かにその通りだ。
「わたし、最初はお父さんが、妨害工作してるのかと思ったもん」
健太は苦笑した。そういえば、以前、父親が本気とも冗談ともつかぬ口調で、美春に付く悪い虫は徹底駆除する、などと言っていた。
「でもお父さんじゃ、ないみたい」
美春がため息をついた。
ひょっとして、その“妨害”、ストーカーの仕業じゃねえのか? やっと本来の目的に戻ってきた。
「何で断るのか、そいつらに聞いてみた?」
「うん。でも、言えないって」
美春に非はない、あくまで自分の都合なのだと、皆同じような言葉でひたすら謝るばかりらしい。
「だから、もう中学生は嫌なの」
これはどうも変だ。
「お前が振ったことは?」
告白して断られた男もいるだろう。逆恨みからストーカーになったとも考えられる。聞いたら、美春がうなずいた。
「ここ、最近だとね……」
サッカー部のえんどう君と、美術部のうしお君と、オカルト研のひなた君。
「オカルト研?」
そんなのS中にあったかな。
「モアイとか、UMAが大好きなんだって。すごく優しい子だよ」
「へえ」
さっきの話といい、兄が思っていたより、妹はもてるらしい。
「そのうちの誰かが、逆恨みで邪魔してるってことはねえかな?」
「うん。それはないと思う」
あっけらかんと返事があった。告白に対しては礼を言いつつ、好きな人がいるから付き合えないとはっきり言ったら、全員潔く諦めてくれたそうだ。
「会ったら、お互い笑顔で挨拶してるよ」
それが、本心からの笑顔であればいいが。
「どっちかっていうと、何も言わないで遠くから見てる子の方が怖いな」
「え、そんなやつ、いるんだ」
「うん」
健司に激昂して発した “気持ち悪いのがいる”というのは、そいつのことだろうか?
「でも、向こうが黙ってるなら、お前のこと好きかどうかは分かんねえよな」
「そうなんだけどね」
とにかく視線を感じる。はじめは自分の傍にいる友達を見ているのかと思ったが、美春が一人の時にも視線は注がれる(気がする)。でも、美春が視線の方へ顔を向けても、誰かと目が合ったことはない。
が、顔を向けた先には、いつも同じ少年の姿がある。
「うーん」
美春の思い込みか? あるいは、本当にそいつが怪視線を送っているのか。
「どんなやつ?」
細くてちっちゃいメガネ君。すっごいお金持ちらしいよと、美春が前置きをしてから名前を挙げた。
そうだ?
「字は? 早い田んぼ?」
「ううん。うかんむりに示すの方」
字面を頭に浮かべた。
「あの不動産屋と同じ?」
町中に看板が出ているから、“宗田”の文字はおなじみだ。この間、フルラッピングとでもいうのか、路線バスの車体がまるごと宗田不動産の広告になっていて驚いた。
「同じっていうか、たぶんそこの息子だと思うよ」
それで思い出した。
「そいつ、兄貴いるよな」
美春は、知らないと首を振った。
「オレと同じ学校だよ」
確か3年だったと思う。兄の方も細くてーーでも小さくはないから細長いメガネ君だ。
「世間って、狭いなあ」
「そうだね」
美春はさほど関心もなさそうに言うと、続けた。
「お金があるっていうのはいいことだけどさ」
美春によると、そのメガネ君には〝金は力なり〟といった言動が時々見られるらしい。
「そういうのは、わたし好きじゃないな」
「まあ、そうだな」
美春が宗田・弟について抱いている印象は、健太が、その兄に対して考えていることと同じだった。
友達の梅田から聞いた話だが、梅田の兄が手間と時間をかけて集めた何かのコレクションを教室で披露していたら、同じクラスの宗田が、それと同じものをすぐに揃えて見せたと言う。普通の高校生の資金では入手困難なレアものまで追加したコンプリート版をだ。
仮に健太が大金持ちの息子だったとしても、級友に対してそんな真似はしない。
美春の口ぶりでは、弟も似たような性格のようだ。
ただ、宗田・弟が美春を実際どう思っているかは分からないし、その視線も、美春が何となく気持ち悪がっているにすぎない。健司へのいたずら電話とつながる材料は、今のところない。
「もし、見てるだけじゃなくて」
そいつが何か仕掛けてくるようだったら、すぐに言えよ、そう言うと、健太は腰を上げた。
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