五 ツンデレ

  五 ツンデレ


 水曜日のうちに新しいネタをいくつか考え、翌木曜日からは都心に出て道行く人を相手に漫才をやった。最初は緊張したノッポだが、一度始めてしまうと体から硬さが取れていき、気がつけばツンデレと二人がむしゃらになっている自分を感じていた。ツンデレ曰く「最初の五分で平気になったわ」ということだが、それはノッポも同様だった。

 路上漫才では、大半の人が足を止めてくれない。立ち止まって見入ってくれても、笑ってもらえる人となると更に少ない。だからこそ笑ってもらえたり、漫才を終えて拍手をもらえたりしたときには、それがわずかなものであっても体が震えるほど嬉しかった。

 金曜日は学校を無断缺席けっせきして、一日中ストリート漫才に明け暮れた。笑ってくれたのはなぜか? 笑ってもらえなかったのはなぜか? 研鑽を重ね、さらなるお笑いの高みを追究する。

 そして土曜日、ノッポとツンデレは寒風吹きすさぶ冬空の下、賑々しい駅前の通りで午前八時から路上漫才を敢行していた。それが十一時に差し掛かったとき、ノッポは頭に水の粒が落ちるのを感じて空を仰ぎ見た。

「雨や」

 灰色の雲が垂れ込める空から、雨粒が落ちてくる。朝方から薄い雲がかかっていたが、どうやらここに来て完全な雨模様に切り替わったようだ。ノッポとツンデレはやむなく頃合いを見計らって漫才を切り上げ、雨宿りに駅ビルのなかへと駆け込んだ。雨足は徐々にではあるが勢いを増してきていた。

「ついてないわ」

 吐き捨てるように云ったツンデレが、人の流れから外れて自販機の前に立った。遅れてその後ろに立ったノッポは、ツンデレが手を差し出してくるのを見て微苦笑した。

「しゃあないな」

 ノッポが渡した小銭でツンデレが選んだのは、レモン味の炭酸飲料だった。

「あったかいもんの方がええんちゃう?」

「わたしはこれが飲みたいの」

「ほうか」

 ノッポは温かいお茶を選んだ。

 それから二人は自販機の横の、薄汚れた冷たい壁に背を預けて並んで立った。

 ノッポはダウンジャケットを着込んでいたが、ツンデレは先日と同じ生地の薄そうなジャケットに、ところどころがすり切れたジーンズ姿である。

「ツンデレ、寒ないか?」

「平気よ」

 ツンデレは素っ気なく答えたあと、横を向いてげっぷをした。

「下品なやっちゃ」

「るっさい!」

 ツンデレが顔を真っにしながらノッポの足を踏みつけてきた。ノッポは笑いながら、片手で携帯電話を開いた。インターネットに繋いで天気予報を確かめ、軽く目を瞠る。

「予報とちゃうで」

「そうなの?」

 ツンデレが眉をひそめてノッポの手元を覗き込んできた。天気予報では本日の東京は曇りということなのだ。降水確率は三〇パーセントとある。

 それを見たツンデレが眉を開いて明るい笑みを広げた。

「ってことは、すぐ止むかもね。今のうちにお昼、すませちゃいましょ」

「ええけど、また俺のおごりやろ?」

「お金ないなら、別にいいわよ」

 ツンデレの顔に気まずいものが過ぎった。ツンデレに付き合っているこの数日、ノッポは彼女が自分でなにかの代金を支払ったのを見たことがない。本当にお金がないらしい。

「一食くらい抜いたって平気だし。あんた一人で食べれば?」

「アホぬかせ。飯はな、みんなで食った方がうまいんじゃ、ドアホ。それに俺の財布にはな、いつなにがあってもええよう、常に万札が一枚入っとるねん」

 ノッポはツンデレに得々として財布の入っている尻ポケットを叩いた。

「せやから余計な心配すんな、アホ」

「アホアホって、何度も云うな!」

 閃光魔術が炸裂した!

 ひっくり返ったノッポは、ジュースを零した跡のある汚いタイルの上でふて腐れたようにあぐらをかいた。

「おまえ、お茶こぼれたで」

「知らない! 行くわよ!」

 ツンデレは炭酸飲料を一息に飲み干すと、空になったペットボトルをごみ箱に勢いよく捨てて踵を返した。


 ノッポたちは駅構内にあるハンバーガー店に入り、店の中央にある大きな楕円形のテーブルに隣り合って座り、昼食とした。

 ハンバーガーやポテトを摘みながら、ルーズリーフに書き付けてあるネタに手を入れていく。より洗練されたものを目指し、無駄は省いて、どうしようもないものには思い切って大きなバツをつけていく。

 今もあるネタにバツをつけたノッポは、ペンを卓に転がしてため息をついた。

「あとはやっぱりふじのんに云われた通り、なんか決めギャグが欲しいな」

「ああ……」

 あまり気のない様子のツンデレに、ノッポはにやりと笑いかけた。

「オッパイパイとか、どや?」

「おっぱいから離れなさい」

 ツンデレが結構な力強さでノッポの頭に手刀を見舞った。ノッポはツッコミにしては愛がないと思いつつ、首を傾げてぼやく。

「いい線いってると思うんやけどなあ」

「勘違いよ」

「うーん……」

 ノッポは呻きながらコーラで喉を潤した。程なくしてストローから濁った水音が聞こえてくる。どうやら飲み干してしまったらしい。ノッポはカップの蓋を開けて縁に直接口をつけ、氷をがりがりとかみ砕きはじめた。

「行儀わっる」

「るっさいわい、ボケ」

 それからノッポとツンデレは相手を決して怒らせない程度に罵りあったあと、改めて決めギャグについて話し合ったが、結局良案には恵まれなかった。

「ま、こういうのは思いつきよ。アイディアの神様が降りてくるのを待つのね」

 ツンデレのその言葉に頷きを返すほかなかったノッポは、しかしどこか悄然として視線を宙にさまよわせた。店はガラス張りになっており、ガラス越しに駅構内を行き交う人々の姿が見渡せる。

 と、ちょうど目の前を横切ろうとしていた一人の少女がはたと足を止めた。ノッポとその少女はガラス越しに目を合わせ、時間が止まったようになり、そしてそれに気づいたツンデレが傍から叫んだ。

「ふじのん!」

 そう、その厚着して着膨れた眼鏡の少女こそ、先日貴重なアドバイスをくれたふじのんだった。


 ふじのんは店に入ってくるとコーラを一つ注文し、それを盆に載せてノッポの左隣に座った。ちょうどノッポを左右から二人の少女が挟む席次である。ともあれ、ノッポはさっそく口を切った。

「偶然やなあ」

「いや、それが偶然じゃないの」

 ふじのんはそう云ってストローを咥え、コーラを飲みながらここにやってきた経緯いきさつを語ってくれた。

「えっとね、私、お笑い好きだから、ツイッターで軽くだけど情報収集とかしてるの。そうしたら昨日、ここの駅前で高校生くらいの男女がストリート漫才やってたって呟きがあって。女の子の蹴りで背の高い男の子が嘘みたいに吹き飛ぶっていうから、ああ、これはツンデレちゃんの閃光魔術だなあって思って。昨日、二人揃って学校休んでたし。それで今日もやってるかなあと思って……」

「それでわざわざ来てくれたんか」

 ノッポは柄にもなく感動していた。誇張でなく鳥肌が立った。

「お笑い大会、明日だもんね」

 ふじのんがにっこりとわらう。それがノッポには急に可愛らしく見えてきた。少し太めの体型で丸顔ではあるものの、目鼻立ちは整っているし、乳房もEカップはありそうだ。ふじのんは意外な掘り出し物かもしれない。と、そんな不埒な横道に逸れたノッポの思考を呼んだかのように、ツンデレが後ろからノッポの頭に手刀をあてた。

「あいたっ!」

「このあいだみたいに『おっぱい』とか云ってふじのんを泣かせるんじゃないわよ?」

「誰もそんなこと云ってへんやろ!」

 ノッポはツンデレの方へ身を乗り出してそう噛みついた。そんな二人を、ふじのんがくすくすと笑う。

「で、どんな感じ?」

 ノッポとツンデレは顔を見合わせ、二人してため息をついた。

「頑張ってるつもりやけど、正直なんか手応えがないねん。こないだ見たお嬢たちの漫才みたいに上手く纏めようと思てるんやけど、纏まらへんのや」

「おまけに雨とか降ってくるし」

 二人の言葉に相槌を打ったふじのんは、そこでテーブルに置いてあったルーズリーフに視線を注いだ。これはノッポたちの、いわばネタ帳である。

 その視線に気づいたツンデレが、ルーズリーフを取り上げて云った。

「あ、いいわよ? 見る?」

「うん、見せて」

 それからふじのんがルーズリーフに目を通しているあいだに、ノッポは二人分のごみを片付け、新たに二つのコーラを注文して戻ってきた。

「おごりや」

「ふふっ、ありがと」

 珍しく素直に礼を述べたツンデレは、ふくふくとしてコーラを啜った。いつもこれならばツンデレも可愛いのに、とノッポが思っていると、ふじのんがため息とともにルーズリーフを閉じた。ノッポはたちまち胃の腑を締め上げられたような気持ちになりながら、恐る恐るふじのんに訊ねた。

「どや?」

「悪くないけど……でも短所を補うより長所を伸ばす方がいいと思うの」

「長所?」とツンデレが高い声をあげる。

「うん。なんかこう、上手いこと纏めようとしてるのはわかるんだけど、そもそも二人の武器ってなに?」

「そらツンデレの閃光魔術やろ。あれはおかしいで。体重八七キロの俺が吹き飛ぶもん」

「あんたそんなに重かったの!」

 ツンデレが目を剥いて叫ぶと、ノッポは腕を組んで得意気に笑った。

「部活はやりたないけど、女にもてるために体は常に鍛えとるんや。脱いだら凄いで?」

「あっそ。興味ないわ」

 ツンデレはつんとそっぽを向き、ノッポはがくりと肩を落としてテーブルに肘をついた。そのときだ。

「それ!」

 突如の大声とともに、ふじのんがテーブルに身を乗り出してツンデレに指を突きつけた。ノッポもツンデレも驚いて目を丸くし、ふじのんを見る。

「な、なに?」

 鼻白むツンデレを物ともせず、ふじのんは鼻息荒く云う。

「それだよ、それ。それが武器」

「え? え?」

 ツンデレが目を白黒させる。ノッポもわけがわからない。ふじのんは椅子に座り直すと、そんな二人に向かってなにか噛んで含めるように云う。

「お嬢さんたちの漫才って、お嬢さんがお嬢様なところをネタにしてたじゃない? だからってわけじゃないけど、ツンデレちゃんたちもツンデレちゃんがツンツンしてるところをネタにしたらいいと思うの。ほら、キャラを立てていかないと。なんとなくだけど」

「キャラを立てる……」

 そう呟いたノッポは、ふと思うところあってツンデレに声をかけた。

「なあツンデレ」

「なによ?」と、ツンデレが我に返ったようにノッポを見た。

 ノッポはそんなツンデレに真剣な眼差しを据えると切り出した。

「俺ふと思ってんけど、ツンデレってなんやねん?」

「え? わたしの綽名だけど」

「それはわかっとる。でも俺は見ての通り、ノッポやからノッポ呼ばれてん。ふじのんは藤乃やからふじのんやろ。おまえはなんでツンデレなん?」

 一瞬の沈黙のあと、ツンデレが目に角を立てた。

「そんなの、わたしが聞きたいわよ!」

 憤激を孕んだ声で吐き捨てたツンデレは、勢い余ってか右手をテーブルに叩きつけ、ノッポの方へと身を乗り出してきた。

「クラスのアキバ軍団がわたしのこと勝手にツンデレって呼ぶの。あいつはツンデレだ、ツンデレだ、って。それがいつのまにか綽名として定着しちゃって」

「へえ、そうだったの」

 ふじのんが他人事のようにのどかに云って、コーラのストローを咥えた。ツンデレはノッポを睨んでいる。

「急になによ?」

「いや、今、ふじのんが云うたやん。おまえのツンツンしてるところをネタにしろて。でもおまえはツンデレやろ? 昔、ツンデレが流行ったときに聞きかじったんやけど、たしかツンデレっちゅうのはツンとデレから出来てるはずやで。せやったら、ツンだけじゃなくデレの方もネタに盛り込まなあかんとちゃうやろか?」

「デレって……どうするのよ?」

「いや、俺もようわからんのやけど」

 ノッポとツンデレが互いを見つめて立ち往生しかけたそのとき、ふじのんがにこやかに微笑みながら控えめに云った。

「それだったら、一度、ツンデレって言葉をネットで調べてみたら?」

 ふじのんのその言葉に、ノッポは膝を打って立ち上がった。

「せやな」

 このままここでうんうん唸っていても埒が明かない。お笑い大会の本番は明日だ。やれることはすべてやっておきたい。

「ほんならネットカフェかどっかに行こか」

 と、こういう次第でやってきたのは駅前にあるインターネットカフェだった。あまりいい匂いのしない店で、人が多くいることは気配でわかるのにしんと静まり返っているのが独特である。

 ノッポたちは三人で一つのブースに入り、ノッポがパソコンの前の椅子に座ってツンデレという単語についてインターネットで調べていくことにした。その後ろから、ツンデレとふじのんが立ったまま画面を覗き込んでいる。

 その結果、わかったことはこうだ。つまりツンデレとは女性キャラクターの性格のひとつで、好きな男性に対して素直に好意を打ち明けられない、一種の恥じらいを基本としているらしい。その恥じらいは第三者の目があるところでは特に際立ち、場合によっては意中の男性に対して攻撃的にさえなるという。その一方で、二人きりになったときや、男性が思いがけない勇気や献身を示したときなどには人が変わったように優しくなる。この落差にロマンがあるらしい。前者がツンで、後者がデレ、合わせてツンデレだ。

「なんや、めんどくさい性格やなあ」

 椅子にもたれてそうぼやいたノッポの頭を、ツンデレが無言で小突いた。

「痛いやないかい、アホ」

「ふん」

 ツンデレはノッポからマウスを奪い取ると、立ったまま小腰を屈めて画面を覗き込み、ツンデレに関する情報を次々に渡り歩いていった。

 ツンデレと呼ばれるキャラクターが次々に現れては消える画面を漫然と眺めていたノッポは、やがてあることに気づいて云った。

「なんや、金髪が多いな。しかもみんな似たような髪型しとるで」

「ツインテールっていうんだよ」

 ふじのんのその言葉を聞いてツンデレがノッポの肩越しに素早くキーボードを叩き、検索単語をツインテールに切り換えた。が、ノッポはツンデレの大きな乳房が肩にあたる感触に夢中で画面を見てもいなかった。するとツンデレがノッポの頭に手刀をあてた。

「ほら、ノッポ。ちゃんと画面見なさいよ」

 手刀によるツッコミは痛かった。さっきも小突かれたばかりだし、ハンバーガーショップでも手刀を受けたような気がする。閃光魔術は不思議と痛みを感じないのに、手を使われるとごく当たり前に痛いのはなぜなのか。

 愛。

 ふと、そんな単語がノッポの頭を過ぎった。そしてそれは、ツンデレという言葉の意味と混ざり合って、なにかノッポに新しいアイディアとなって降り注いだ。

「ノッポってば!」

「お、おう」

 ノッポは夢から醒めたようにぎこちなく居住まいを正すと、画面の文章に目を走らせた。

 ツインテールとは、髪を左右二つの房に分けて、それぞれを高い位置で結い上げたものを指すらしい。ポニーテールが二つあるからツインテールだ。

「ちっちゃい子がようしとる、あの髪型やな」

「一般用語じゃないみたいね」

「ええっ? そうなの? 一般用語じゃなかったんだ……」

 どういうわけか衝撃を受けたらしいふじのんの傍らでは、ツンデレが背筋を伸ばして両腰に手をあて、ため息をついていた。

「それで、なにか掴めた?」

「うーん……」

 ノッポは椅子からゆらりと立ち上がると、ぶつぶつ呟きながら店内を漫ろ歩き始めた。

「ツンデレ、ツンデレかあ……」

「ねえ、ノッポ」

「今、話しかけんなや」

 ノッポはツンデレをうるさげに振り払うと、そのまま狭い店内を端から端まで行ったり来たりした。思考が沸騰しているノッポには一瞬だったが、実際には数分が経過しており、ツンデレはノッポが座っていた椅子に腰を下ろしてノッポを胡乱な目で眺めている。ふじのんもまたノッポを目で追いかけていた。

 やがて考えが煮詰まったノッポは元の席に戻って来ると、ツンデレを見据えて脈絡もなく口を切った。

「あのな、ふじのんの云った通り、俺らの最大の武器はおまえの『ツンデレ』というキャラやと思うねん。ちゅうわけで、おまえのツンデレをネタにした方がいいような気がする」

 うんうんとふじのんが頷く傍らで、ツンデレはノッポに鋭く訊いた。

「つまり?」

「おまえのデレをオチにするんや!」

「デレるって……」

 椅子に座りながら戸惑うツンデレに、ノッポは小腰を屈め、顔を接して続けた。

「おまえツンデレやろ。だったらツンツンしてばっかおらんと、たまにはデレてみせえ」

「具体的にはどうすんのよ?」

「俺に惚れろ!」

「アホか、テメー!」

 閃光魔術が炸裂した!

 尻餅をついたノッポは、蹴られた顔面を両手で押さえながらしばし転がり回ったあと、立ち上がって叫んだ。

「顔に入ったでえ! 俺のイケメンが台無しやないか!」

「どこがイケメンなのよ!」

 閃光魔術が炸裂した!

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