僕と彼女、屋上に2人。

むこうび 碧

第1話


「人類は衰退していると思うの」


彼女は言った。唐突に。そして、楽しそうに。

僕と彼女の他には誰もいない屋上。目の前にはポツポツと少しの雲があるだけの、苦しいくらいに真っ青な空が広がっていた。


「どうしてそう思うの?」

「昨日、バスの中で2人の男の子を見たの。男の子たちは隣同士に座ってたのに、会話の1つもしないでスマホの画面をかじりつくようにして見てた」

「へぇ、それで?」

「それで、あぁ人類は衰退してるんだなって」

「…ちょっと意味がわからないんだけど」


彼女はよく、こういうわけのわからない言葉を僕に向かって投げつけてくる。こういう時の彼女はいつだって全力だ。だから、僕はその全力で投げつけられたものを取りこぼさないよう懸命に、全力で受け取らなければいけない。


「なんで?どこがわからないの?」

「全部。その2人の男の子と人類の衰退がどう繋がってるのか、僕には理解できない」

「会話をしてないんだよ?スマホを使ってるんだよ?こんなにわかりやすく人類の衰退を象徴してるのに」

「会話をせず、スマホを使うことが人類の衰退に繋がるってこと?」


そうだよ、と言いながら隣に座っていた彼女が立ち上がる。彼女の黒く長い髪が風に揺れた。


「会話は成長。せっかくの成長の機会を自ら放棄してしまう人類は衰退しているに決まってる」

「会話は成長なんだ?」

「人類は言葉を使って会話をする。言葉は神から与えられた人類への贈り物。ギフトだよ。だから、その言葉を使って会話をすることは成長の他の何でもないの」

「もう少しわかりやすく」


僕の言葉にわかりやすく顔をしかめた彼女が黙り込む。しばらくの静寂の後、再び彼女から言葉が溢れ出す。


「会話は成長。なぜなら、人類は会話によってたくさんのものを得るから。相手から言葉をもらう時、新たな知識、情報、視点、感情を得る。相手の世界を知ることができる」


そこで言葉を切った彼女が、何かを掴むように宙へと手を伸ばした。彼女の整った横顔が手を伸ばした先の何もない空間を睨む。


「自分が相手へ言葉をあげる時、どんな言葉を使ってどんな風に伝えようと考える。それは、自分の中から相手にぴったりの、相手のためだけの言葉を探すこと。だから、それは相手を知ることにも自分を知ることにもなる」


言葉を紡ぎつづける彼女の瞳には僕は映っていない。いつものことだ。彼女は、彼女の中の奥深くにある言葉を探すことに夢中になっている。


「それに、言葉を使って会話をする行動自体にも意味がある。あらゆるものが常に成長しているこの世界では、停滞は衰退と同義。」


彼女はそこであげていた腕をおろした。彼女の空を見つめる視線の先の空間には何があったのだろうか。彼女は何かを掴めたのだろうか。


「だから、言葉を使ってそれを使える状態に維持し続けることは成長しているのと同じ。成長し続けることをこの世界では維持と呼ぶから。新しい何かを学んで、あるいは学びながら言葉を使いつづけることが、会話だから」


僕はただ黙って、彼女からこぼれ落ちつづける言葉を懸命に拾い上げつづけた。


「人類は衰退している。間違いないの、これは事実。スマホを使って会話という成長を完全に放棄しつつある人類は衰退している。そうでしょう?」


思い出したように彼女が僕に言葉を求める。彼女の大きな瞳が僕を探るように見つめていた。


「人類が衰退している理由はなんとなく理解したよ。でも、なんで僕にそんな話をしてきたの?正直、僕はこっちの方が気になる」

「言いたく、なったから」

「本当にそれだけ?」


少し考え込むように彼女は大きな瞳を閉じる。

また、静寂。


「…人類は衰退している。そして、いずれ人類は滅亡する。弱者が理不尽に淘汰されるのが、この世界の構造だから」

「うん。それは僕も少しは理解できる」

「例え人類が滅亡したとしても、私は必ず生き残る。絶対に。」

「それじゃあ人類が滅亡したとは言えないんじゃないかな」

「つまらないこと言わないで」

「ごめん」


責めるような彼女の視線に、小さく謝罪を口にする。ほんとこれだから…と文句を呟く彼女が、僕に背を向けた。


「私は、私以外の人類が全て滅んだとしても絶対に生き残る。もし、生き残ることと他の人類と一緒に滅ぶことを選択できるとしたら、どうする?」

「…生きつづけるか、死ぬかの2択ってこと?」

「そう。どうする?」

「そうだな…きっと、生きつづけると思うよ」

「どうして?」

「だって、きみがいるだろ?1人で生きつづけるのはつまらないだろうから」

「私は平気だけど」

「…言うと思った。というか、そう言わないきみはきみじゃないとさえ思うよ」

「じゃあ、なんでそんなこと言ったの?生き残りたい本当の理由は何?」


少し間をおいて言った。


「僕が、見たいと思ったんだ」

「…何を?」


彼女の後ろ姿を真っ直ぐに見る。空を見上げる彼女の背筋はピンと伸びていた。彼女はとても姿勢が良いのだ。


「人類が滅亡した世界を。誰もいないその世界で、1人立ち尽くすきみの後ろ姿を。」


ちょうど、今みたいに。

僕と彼女の他には誰もいない屋上。病的なまでに青い空の下、まるで僕と彼女以外の人類が全て滅亡したみたいな世界が広がっている。

ゆっくりと振り返った彼女が、小さく微笑みながら言う。


「今のはつまらなくなかった」


彼女の黒く長い髪が風に揺れた。

とても、綺麗だと思った。

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