魔女集会でまたいつか

「……そうです、アロハシャツのお爺さんがちくわでドラムしてるポスターの路地です……はい、そこから入って、後は真っ直ぐ歩いたところです」


 道案内を聞き終えて一言『うむ、大体分かった』とだけ返すと、その人は通話を切ってしまいました。私も電話のハンドサインを戻し、通話魔術を終了します。


 千紫万紅の光に彩られた夜の街は、眠るどころかさらに活気づき、色んな人が、思い思いに色んな事を喋りながら歩いて行きます。

 しかしそこからちょっと外れた脇の路地に足を踏み入れてみますと、一気に空気は淀み、頼るべき光源が、点滅するピンクのネオンだけになってしまいました。表の喧噪は飲食店の回るダクトに刻まれ、解読不能な騒音ノイズへと変化していきます。刻みと共に風に乗ってくる焼き鳥のタレの匂いに、唾液腺はすっかり臨戦態勢です。


 今夜は、とある人と会う約束をしています。ここにいるのも、その人とここで落ち合うことになっているからです。その人はここら辺の土地勘が無いため、もっと分かり易い所で落ち合う方が良いのでは、と提案はしてみたのですが、『あまり人目には付きたくないのじゃ』という事らしいので、ここで待っているという次第です。


 その人は私にとって掛け替えのない存在であり、こうして待たされる時間すら愛おしい人なのですが、ここに長居すると服にこの匂いが染みつきそうで、それには気が滅入ります。これは帰ったら即ファブリーズ案件です。


 冬の足音が近づいてきた秋の終わり、今夜は少し冷え込んでいます。そんな中でダクトの風は暖かく、薄着で来てしまった私は、吸い寄せられるように目の前に陣取ります。上着無し、仕方無し……。


「遅いですね、師匠」


 時計を確認すると、時刻は既に待ち合わせから30分経過しています。あの人は元々時間にはルーズな方です。二日遅れてやって来たときもあるくらいですので。まぁ、彼女の過ごす悠久の時からすれば、きっと大した差ではないのでしょうけど。


「全く、困った師匠を持ったものです」

『全く、失礼な弟子を持ったものじゃよ』

「ホント、お互い気苦労が絶え……ありゃ」


 どこからか聞こえてきた声は久方振りでも変わりなく、妖艶ながらハッキリとした不思議な声でした。

 路地裏を見回しますが、それらしきの姿は見当たりません。となると残る選択肢は二択、上か下です。


「今回は、上!」


 無駄な動きも入れつつ大袈裟に頭上を見上げます。しかし上には何も無く、室外機と滲んだ夜空があるばかりでした。

 すると突然、目の前が真っ暗になりました。それと同時に首に大きな負荷がかかり、後ろに倒れ込みそうになります。


『ったく。こういうところは昔から何一つ変わらんのう、お前さんは』

「んー!んー……ぷはぁ!」


 顔に乗っかってきたそれを手で持ち上げると、それは少し大きな黒猫でした。右を黄色に、左を青に輝かせた、綺麗な瞳をしています。さすが猫の目、明かりが無くともしっかり見えます。


 その目の色が、この猫が誰かをはっきり示していました。


「今日は猫でしたか、師匠。てっきりカラスで来るのかと」

『今夜は飛ぶには寒いからの』

「あぁ、師匠寒いの苦手ですもんね。だからこんなにたぷたぷのボディー」


 その一言に師匠は怒り、また顔を踏んづけられてしまいました。



  *  *  *



 今日は10年に一度、魔女達の集会が開かれる日です。

 今回で来るのは3回目になりました。5歳、15歳の時は、師匠の弟子として連れて来られたのを覚えています。


 正直、どちらもあまり良い思い出ではありません。


 行けば他の魔女は私を「道具」や「実験材料」としか見ませんでした。でも何より辛かったのは、そんな私を「弟子」として扱い、周りから愚か者と見下される師匠の姿を見たことでした。


 物心ついた頃、私は両親に山へ捨てられました。口をテープで塞がれ両手両足を縛られたまま放置されていた私を拾ったのが、今の師匠です。汚れた黒いローブ、伸ばしたい放題のぼさぼさの髪。その禍々しい姿に私は泣きそうになりましたが、垂れた髪の奥に覗かせた青と黄の瞳がとても綺麗で、その輝きに見とれてしまっていたのを20年以上経った今でもはっきりと覚えています。


 それから、私と師匠の暮らしが始まりました。山奥に建てられた屋敷でお絵かきをしたり、山の中で遊んだり、研究中の師匠にちょっかいをかける毎日です。


 師匠は私に、色んな魔術を見せてくれました。草花を瞬く間に芽吹かせるもの、動物を殺めるもの、記憶を歪めるもの、動物に化けるものなど、ホントにたくさんです。


 ですから私が「魔女になりたい」と師匠に頼むようになったのは、ある意味当然のことだったのかもしれません。私にとっての、この世の全てでしたから。私の要望を最初は拒んでいた師匠でしたが、ある日、簡単なのなら教えてやろうと、一輪の花を咲かせる魔術を教えてくれました。師匠は師匠の師匠に見せてもらって一発でできたと言っていましたが、私はそれを習得するのに10日もかかりました。そしてそれを師匠に披露すると、師匠は私を弟子として認めてくれたのでした。


「懐かしいですね、あれからもう20年ですか」

「少し前までお漏らししていたようなわっぱが、もうこうやって酒を飲んでおる。全く、人間というのは成長が早すぎてつまらんの」


 ワインを飲み干し、空いたグラスのふちを指で撫でる師匠。カウンター席に隣り合って座るこの距離感も、何だか珍しいような気がします。

 

「まま、そう言わずグイッと」


 師匠の空になったグラスに、赤ワインを注ぎます。

 集会が行われているのは、秘密の酒場。ほとんどが似通った黒いローブを纏った女ばかりの中で、仕事帰りのスーツ姿はやけに目立ってしまします。

 酒が入り、私は少し酔っ払っていました。


 改めて、術を解いた普通の師匠を見つめます。ローブから覗かせる白い肌、宝石のような二色の瞳。会った時から何も変わらない20代後半くらいに見える容姿は、私にとっては至って普通のことです。しかし今日は酒場に入る前に私が髪を梳かして編み込んでる分、小綺麗になって魔女っぷりが増してます。普通の人間の中で暮らした事で、師匠の美しさを改めて知ることができました。


「師匠って、今年で何歳でしたっけ?」

「300歳越えた辺りから数えとらんから、はっきりとは覚えとらん」

「あー、じゃあ誕生日は?」

「なおさらじゃ」

「それは、残念です」

「何、誕生日が無いのはお互い様じゃろ、おそろいってやつよ」

「おそろい……」


 その言葉を反芻するだけで、自然と笑みが零れます。おそろい……フフッ、やはり良い言葉です。

 笑う私を見る師匠の目は優しく、でもいつもどこか儚げ。そんな師匠の表情の一つ一つが、私にとって最も愛くるしくてたまりません。


「私今、とっても嬉しいんです」

「嬉しい?何がじゃ」

「今の私が丁度、見た目的には師匠と同い年くらいです。やっと、師匠に追いつけたなって。こうして一緒にお酒が飲めるなって。それがたまらなく嬉しいんです」

「ふっ、よく言うわ。酔っ払っとるのか?」

「いえいえ全然!むしろこれからバッチコイです!!」 

「これは大分弱いヤツよの……それで?人の世はどうじゃ?もう3年になる」


 カウンターに頬杖をつき、こちらの返答を待つ師匠。面白がっているようにも見えますが、弟子としての私を試しているようにも見えてしまいます。まぁ、結局師匠は私が考えている事より先を行ってしまうんですけど。


「えぇ、もう大分慣れてきましたよ。……寝るときは少し、寂しくなるときもありますけど」


 三年前、師匠の元で魔術を学んでいた私は、師匠にこう言い渡されました。


『お前は明日から、人の社会の中で住んでもらうことにする。人間共にその存在を気付かれないように暮らすのも、魔女にとって大事な能力じゃ。一人で人の社会に完全に溶け込めるようになったその時、お前を本物の魔女と認めよう』


 そしてそのまま屋敷から半ば追い出される形で、私の人の世での生活が始まりました。それまでは師匠から何度か話を聞いたり本で読んだりした程度だったため、それはそれは大変でした。本当に危なかった時は『ったく、世話のかかる奴じゃのう』と言いながら、師匠がどこからか駆け付けてくれるのでした。


 一つ一つ社会のルールを覚えていく毎に、段々と師匠と顔を合わせる回数が減っていきます。それが自分が魔女として成長しているんだと嬉しいのはそうなんですが、師匠に会えない寂しさは増えていきます。

 それを誤魔化すため、最近はろくに飲めもしないお酒に手を出したりなんかしているのです。特に師匠が好きなワインを飲んでいる時は師匠と一緒にいるような気がしてきて、心も身体も一層ポカポカです。


「そうか――」


 私の返答に、笑顔で応える師匠。でもいつもより何厘ばかりか、悲しみの感情が含まれているように感じました。


「……?どうかしたんですか、師匠?」

「何、出来の良い弟子を持ったものだと関心しているだけじゃ」

「出来の良い?私がですか?」


 初めて言われたそんな褒め言葉に驚きますが、つい言葉の裏を考えてしまいます。何だか距離を置くために言っているような、そんな気がして――。


「そんな、私なんてまだ魔女になれてすらいないのに――」

「お前さんに最初に教えた魔術、覚えているかの?」

「えぇもちろん。お花のやつですよね?」

「そうじゃ。確かワシは一発でできたとか抜かしたと思うがの、あれは嘘じゃ」

「……え?」


 突然の告白に、返す言葉が出てきませんでした。


「お前さんが10日で覚えた魔術を、ワシは1ヶ月経ってもできなかった。これだけではない、ほとんどの魔術で、ワシよりお前の方が遙かに覚えが良い」

「なん、で……?どうして……?」


 よく分らないぐちゃぐちゃの感情がわき上がり、胸が苦しくなります。このままではきっと、師匠が、師匠ではなくなってしまう。そんな気がしたのです。


「それでもな、お前さんは魔女にはなれないのじゃ。は受け継ぐもの。魔女が後継者に死と共に受け渡す、不老の力。それこそが魔女の証じゃ」

「――っ!?それじゃあ――」

「そう、お前さんが魔女になるのは、ワシが死んだ時じゃ。……しかし、ワシの死を待つには、人の寿命は余りにも短い。じゃからお前さんは、魔女にはなれん。……だからワシは、お前さんにとして生きてもらいたいのじゃ」

「何で……!何で!そんなひどいこと言うんですか!!私は師匠の隣で、いつまでも、どこまでも…うっ…一緒に……一緒にいたいんです!!」

「だからこそ、失った時が怖いのじゃ。お前さんが私の目の前で朽ちていく様を見せつけられたら――ワシは、それに耐える自信が無い。逃げてるって事くらい分かっておる。だからこれは、ワシのワガママじゃ。どうじゃ、魔女っぽいじゃろ?」


 視界が滲み、師匠の表情はよく見えません。それでも私には、彼女が笑顔のまま涙を流しているように思えました。

 周囲の魔女が何事かとざわつき始めます。でも、もう周囲の目はもう考えていられませんでした。必死に声を抑えて泣く私の視界が、黒く染まります。そして落ち着く匂いと温かみに包まれました。師匠が優しく、私を抱き締めてくれていました。


「ふふっ、こうしてみると大きくなったな、お前さんも。私の身長を抜いて喜んでいたのはもう7年前か。もうしっかり一人で、人の社会の中で暮らせるようになった。お前さんはもう、立派なじゃ」

「……!じゃあ、人の社会で暮らせというのは……」

「そうじゃ。お前さんが、魔女じゃなく人として生きるための、最後の試験じゃ……全く、最後まで泣きじゃくりおって、本当に世話のかかる奴じゃのう……だからこそ、こうも愛おしい」


 何度も何度も、師匠は私の頭を撫でます。それが本当に優しくて、どこにそんな水分があるんだろうとばかりに涙が溢れ、過呼吸になるほどに慟哭が漏れます。


「さて、言うてワシも貴様に全部負けていた訳ではないぞ?一つだけ、得意なのがあるんじゃ」

「ぐすっ……何、ですか?」

「それはの――」


 ――記憶をいじることじゃ。


 意識が少しずつ、遠のいていきます。温かな光に包まれていくように、意識と世界の境界線がぼやけ、ついには同一化していきます。

 私は意識の最後の欠片で、必死に言葉を連ねました。



 いつまでも、愛しています。


「……さらばじゃ、愛しき我が娘よ」


 瞼を閉じ眠りに就いた弟子の身体を、魔女はもう一度強く抱き締めました。



  *  *  *



 その日の空は雲一つ無く澄み渡り、路地に入ればたくさんの星が見えました。

 魔女集会の開かれる、秘密の酒場。普段はただの物置として、街の片隅にひっそりと佇んでいます。しかし10年に一度、そこは魔女達の宴の場となり、様々な話が交わされるのです。


 一人の魔女が、その店内に入っていきます。黒いローブは他の魔女と同じに見えますが、右目が黄色、左目が青に輝くその魔女は、魔女の中でも変わり者として通っていました。


「いつもの、頼むでの」


 カウンター席に腰掛けた彼女はそうバーテンダーに話しかけると、少し前の事を思い返していました。彼女の目は優しく潤み、慈愛に満ちて見えます。


「すいません、隣いいかしら?」


 魔女が声に振り向くと、そこには魔女らしくない格好の女性が立っていました。魔女達にとってはどうにも違和感のある出で立ちのはずですが、それを誰も気にすることはありません、まるで何者かに「そういう人が一人来てもおかしくない」と記憶をねじ込まれたようです。


「うむ、構わんぞ」

「ありがとうございます……私も、ワインお願いしていいかしら?」


 バーテンダーは頷き、すぐに二人分をグラスに注ぎます。

 二人はそれを受け取ると、自然に目が合いました。


「どれ、乾杯でもしようかの」

「ええ」


 二人のグラスのぶつかる音は、魔女達の会話に掻き消されていきます。二人はそれぞれワインを味わうと、ゆっくりとグラスを置きます。


「あの、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「うむ、何じゃ?」


 女性は店内を見渡しながら尋ねます。


「今日は変わった服装の方達ばかりですが、もしかしてお邪魔してはまずい日でしたか?」

「別に構わん、酒が飲めればそれでいい連中じゃ」

「そ、そうですか……」


 女性は少しきまりが悪そうに、ちびちびとワインに口を付けます。その様子を楽しげに見ていた魔女が、今度は質問をしました。


「それで、お前さんはどうしてここに?」

「どうしてと言われると、難しいですね。無性に、ワインが飲みたくなったんです。夫に娘を任せて、それから街をブラブラ探していたら、ここが目に入りまして。でもびっくりしました。まるで魔女の集会ですね」

「はは、お前さんの言う通りじゃの」


 揺れるワインの水面を見詰めながら、女性は何かを考えている素振りを見せました。そして顔を上げると、魔女に対し満面の笑みを浮かべます。


「あの……笑わないでくださいね?私、魔法が使えるんです」

「ほぉ、それはそれは」

「あ、信じてない人の顔ですね?いきますよー……ほい!」


 女性のかけ声と共に、魔女は驚き、それから笑顔へと変わりました。




「全く。その花しか出せんのは、相変わらずワシとおそろいじゃの」

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