論よりちくわ

 とあるマンションの、とある部屋のリビング。


 椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合う男女がいる。その片方である私は、今目の前にある物体に困惑を隠せないでいた。


 小さな箱の横に置かれているのは、袋詰めされた三本の、ちくわ。


 一分前のあの状況から脈絡も無く取り出されたその着色料無添加の練り物に、思考が疑問のマーブルカラーに染められていく。


「あの……セージ?これは?」

「……ちくわだ」


 取り出した当人、私の彼氏……もとい夫であるセージは、淡々とした口調でそう返す。仕事帰りにそのまま私の部屋に来た、スーツ姿にメガネが似合う彼は、普段冗談を言わない。そんな真面目な彼だからこそ、この状況に理解が追い付かないでいた。


「いや、だから何で?」

「……ちくわだからだ」

「うん、だから全く理解できないんだけど。一体何をどう経由すれば、ここまでの流れからちくわが登場するのよ?」

「確かに、食後に出すのは不自然かもしれないな」

「そこじゃないでしょ!?どうして利根川下ってたらいつの間にかナイル川に流れ着いたような気持ちにならなきゃいけないのよ!」


 カレンダーの今日の日付には、赤ペンで大きな丸が書いてある。今日は私とセージが合コンで出会って、付き合い始めてから一年の記念日なのだ。




 今日はセージが来るということで、私はセージの好物であるオムライスを作って待っていた。しかし聞いていた時間を過ぎても、セージは来ない。

 冷めていくオムライスを見つめること二時間、彼が来たのは十時を過ぎてからだった。


「遅くなるなら連絡してよ!」

「すまん、仕事を終わらせたくて」


 セージのこういった仕事馬鹿なところも好きなところではあるのだが、日々の中で不満もあった。仕事で最近あまり会えてない分、記念日くらいゆっくりイチャイチャできるよう調整してくれてもいいのにと思わずにはいられなかった。


 そしてセージの何だか素っ気ない態度に溜まっていたフラストレーションが爆発し、私はセージに怒りをぶつけた。どうして今日くらいすぐ来てくれないの、もうちょっと待ってる私の気持ちにもなってみてよ、そんな事を言っていたと思う。分かっているのだ、私のわがままでしかないという事は。


 一通り喋り倒すと、セージは珍しく困った顔をしていた。


 しまった、少し言い過ぎたか。


 そんな事を後悔しながら、レンジで温めたオムライスを二人で食べた。食事中、私達は終始無言だった。


 そしてテーブルを片付けて向き合っているところで、セージはこう切り出したのだ。


「今日、残業してたというのは嘘だ」


 おもむろに彼が懐から取り出したのは、小さな藍色の箱。そのサイズと起毛の質感に、息を飲まずにはいられなかった。彼がゆっくりと開いたその中から、私の誕生石のルビーが顔を覗かせた。


「僕と、結婚してほしい」


 結婚指輪だった。

 今日は定時に退社して指輪を受け取ってから来たけれど、緊張して中々向かう覚悟が出来なくて遅くなったと、セージはそう付け加えた。


「全く、タイミング考えなさいよ……」


 そう返す時にはもう視界は滲んでいて、指輪をはめてもらうところはよく見えていなかった。




 ……まぁ、ここまではいいのだ。ここまでは同級生なんかに聞かれて何度も話すことになるであろうエピソードとして成立しているのだ。


 問題はこの直後、私の涙が引いたところに訪れた。



「後は、これか」


 その言葉に添えて彼がまたも懐から取り出したそれが、主にスケトウダラから作られているアレだったのだ。



「きっと世界初よ!?プロポーズしてきた彼氏から結婚指輪を渡されると共にちくわを取り出されたのは!!」

「別にオリジナリティーは求めてないんだが……?」

「だとしたら余計ワケわからないわよ!どうしてよりによって……いや他に何かあるわけじゃないけど……ちくわなのよ!」

「とりあえず落ち着け。もう夜も遅いし隣に迷惑だろ」

「それは、そうね……」



 大きく深呼吸をして、一度心を落ち着かせる。もはやプロポーズされた感動はちくわの穴を通って異世界にでも消え去ってしまっていた。



「……で、結局どういう理由なのよ」

「理由、と聞かれても、ちくわとしか答えようがない」

「それが分からないから聞いているんでしょーが」


 メガネをいじり、ため息をつくセージ。


「それならしょうがない」


 ちくわの入った、20%引きのシールが貼られた袋へと手を伸ばし、セージはその袋を開封する。そして三本のうち一本を取り出すと、それを私に向けてきた。


「ほら」

「……どういうことよ」

「論より証拠、という言葉がある。さらに刑事訴訟の現場なんかでは論より証拠、証拠より自白ともいうらしい」

「ますます分からなくなってきたわ」

「しかし、実際はこうだ。論より証拠、証拠より自白、自白より、ちくわだ。すなわち、論よりちくわだ。森羅万象はちくわに通ずる」


 そう語るセージの表情はいつも以上に真剣だが、その説得力は手先でぷるぷると震えるちくわに相殺される。


「……そこまで言うなら、あーんしてくれたら食べるわよ」


 せっかくの機会だ。甘えられるうちに甘えよう。




 だって、食べて納得するワケがないのだから。




「……分かった。はい、あーん」


 私の開けた口に、セージがちくわを差し出す。


「あーん。モグモグ………っっ!!!!????」






 そして五分後、私はベッドの上でセージのちくわをモグモグしていたのだった。

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