恋とチョコと乱数調整(前編)

 201X年、とある物理学者の発表した論文が、世界に衝撃をもたらした。


 その内容は、「この世界に乱数が存在することを発見した」という突飛なもので、最初は世界中の学者がこの研究をあざ笑った。


 しかしこの論文は瞬く間に世界中の話題をかっさらい、ついには翌年のノーベル賞を受賞してしまった。受賞式の壇上で彼が言い放った、「乱数調整した甲斐があった」という言葉は、今だ記憶に新しいものであろう。


 しかしこの研究にも難点があった。ゲームでよく使われる乱数(疑似乱数)よりも多少広義なだけで理論そのものは簡単なのだが、明確な証明を行うには粒子加速機など特殊な設備が必要だった。それに、実際に思い通りの結果になったところで、それが成功なのか、それともただ運が良かっただけなのかの判断が極めて難しいのだ。


 まあ、つまり。


 日常生活において、この恩恵を実感することは難しいということだ。



  *  *  *



 2月14日バレンタインデー、即ち男子にとって決戦の日。



 昨年は散々な結果に終わった上、何故かクラスの女子の義理チョコからもハブられた。今思えばあれもそういうことなのだろう。


 しかーし、今年は訳が違う!何せ僕にはこれが付いているんだ!


「ふっふっふっ……」


 不敵な笑みを浮かべながら、去年出版されたその本を高らかに掲げる。


『今すぐできる!乱数調整』とポップな書体で書かれた表紙。「上司に怒られそうな時」「相手の好感度を上げたい時」「値札シールを綺麗に剥がしたい時」など様々な日常のシーンに合わせた乱数調整を記した分厚いその本は、売れに売れて去年のベストセラーを獲得した。出版社の乱数調整が、空前の乱数調整ブームを巻き起こしたのだ。


 町中ではよくスマホの「乱数チェッカー」なるアプリを見つめながら、扉の前で一時停止したり前へ後ろへ歩く人、会話に妙に間を空ける人を見かけたものである。


 しかしその難易度の高さ、成功したときの実感の無さがたたり、ブームは瞬く間に過ぎ去ってしまった。


 確かに乱数で何もかも上手くいく訳じゃない。コンマ何秒以下の精度が求められる調整がほとんどだし、そもそも虚無から鳩を出したりとか物理常識的に不可能なものは、人に行えるレベルではない(できないとは言ってない)。


 それでもこの半年の間、僕はこの日のためにこの本を穴が空くほど読み、飽き足らず関連書籍、ネットを漁り、時間感覚を鍛え、ひたすら女子相手に乱数調整で好感度を上げてきたのだ。

 時には会話に間を空けすぎて「露骨な調整しないで」など指摘されたこともあったが、そんなものは今日味わうであろう甘味に比べれば大した羞恥ではなかった。


 現在の僕は、文明の利器に頼らずとも数多の乱数調整ができる程になっていた。少なくともウチのクラスにおいて、僕以上に乱数調整を極めた人間はいないだろう。



「さぁ、行こうか」


 どれ、食べ比べでもしてやりますか――。


 玄関の前で2.63秒静止した後、僕は学校へと向かった。



  *  *  *



「はい!坂田さかた君」

「え、僕に?」


 席に座る僕に、透明な小袋がいかにも手作り感満載なチョコを差し出してきたのは、学年でもトップ3に入る可愛さの天川あまかわさんだ。天川さんはショートボブのふわふわな栗毛の髪が印象的で、皆に優しく、明るいキャラで男子の人気を欲しいままにしている。


 そんな彼女からチョコを受け取る僕に、周囲の男子から妬みの視線が送られてくるのが分かる。


(ふっふっふっ、雑魚共はそうやって悔しがっているといい……!!)


 内心ほくそ笑みながら、驚いたような顔で天川さんのチョコを受け取る。袋はシールで装飾され、いかにも女子っぽくて、とても良い。

 こういうのは、トリュフと言っただろうか。丸く形成されたチョコの表面をココアパウダーが覆っている。今すぐにでもいただきたいところだが、好感度的に乱数がシビアだ。


 チョコを0.8秒見つめた後、天川さんの顔を見上げる。すると高乱数で天川さんは瞬きをするから、それが終わるのに合わせ僕は喋る。


「ありがとう、すごい嬉しいよ」

「そう?喜んでくれて良かった」

「ま、天川さんの事だから全員分用意してるんでしょ?」

「あら、分かっちゃいましたか?流石坂田君」

「皆知ってると思うけどなー」


 すると、天川さんは顔を僕に寄せてくる。そして耳元まで来たところで、僕にしか聞こえないような声量で呟いた。



「でも、最初に渡したのは坂田くんだよ?」



 はい死んだー。やられましたわこれは。ドキドキ越えてバクバクしてるハートですわ。誰だよ朝食にニトログリセリン混ぜた奴、爆発しそうなんですけど、僕狭心症じゃないんですけど。


 心なしか頬を赤くした天川さんは、「はい!男子の皆集まってー!」なんて照れ隠しをしながら、クラスの中心へと戻っていった。


 ついに、ついに報われた。

「曲がり角で異性とぶつかる乱数」とか「放課後教室に入ると好感度が欲しい相手が一人で何かしら困っている乱数」とか、「朝寝坊して朝食を抜いて登校し、持ってきた弁当のボリュームに不満を覚える昼休みに『玉子焼き作り過ぎちゃったんだ。食べてくれない?』と話しかけられる乱数」など、数多くの乱数調整は無駄ではなかったのだ。……いや所々ただのご褒美だな。


 今手に持っているチョコと耳に残るくすぐったさが、何よりの努力の証拠だ。

 そんな感動を噛み締めていると、不意に誰かが机をバンッ!と叩いた。


「ひっ!?――って、高嶋たかしまさん」

「全く、そんな義理チョコ一つで喜んで。めでたい奴だな、お前は」


 それはクラスカーストの中でも頂点に君臨する、番長こと高嶋さんであった。


 整った顔や艶のある黒の長髪を束ねたポニーテール、お胸までスレンダーなモデルのようなスタイルは清楚な美人そのものだが、いかんせん普段の言動が荒っぽい人なのだ。人使いの荒さや気に障った時の怖さから裏で「番長」と呼ばれ、カースト低位の民が最も恐れている人物である。


 高嶋さんが口を閉じた瞬間から2秒待機。首を傾け、僕は言葉を返す。


「――僕がチョコを貰うことに、何か不満でも?」

「っ!?……べ、別に!?お前が誰から貰ったところで、私には関係のないことだ!」


 顔を真っ赤にし、高嶋さんは顔を背ける。

 相変わらず、この人の乱数はチョロい。


「何も用がないなら帰ってもらえませんか?僕はこの幸せを噛み締めていたいんです」


 周囲の男子から感じる、「オイオイオイ死ぬわアイツ」の視線。確かに、普通にこんなことを言ったら体のどこかにあざができること間違い無しだ。


 しかし、圧倒的好感度補正の上でのこの発言。これはもはや勝利宣言といえるのだ。


「別に、用がないわけじゃ……なぃ……」

「……っ!?」


 馬鹿な、普段番長と呼ばれる人が赤面で俯くだけに飽き足らず、さらに片手でスカートの裾を握って恥ずかしがるだと……!?反則にも程があるんじゃないか……!?


 好意的な反応は予想していたとはいえ、そこまで来られるとは思わなかった。


「……ん」


 さっきから後ろに回していたもう片方の手をぶっきらぼうに突き出す高嶋さん。その手に持っていたのは、その辺で売っているような至って普通の板チョコだった。

 ここで知ってたかのように反応するのはリスキーな行為なので、ちゃんと演技する。


「あの、これはまさか」

「何も言うな。朝たまたまコンビニで目に付いたから、買っただけだ」

「だとしても、どうして僕なんかに?」

「……言わせるな、馬鹿……」


 あっ(キュン死)

 ズルい、それはズルい。その間はなんなの、調整か、調整なのか?その潤んだ瞳で睨み付けてくるのも計算の内なのか?そりゃあこっちはほとんど計算だけどさ。


「普段周りを引きつけないようなクラスのトップカーストの女子と休日に出くわしてしまい、しかもその服装がやけにカワイイ系でまとまっていて実は本当はこっちの方が好みだという事実を他の人にバラしてはいけないと物陰で脅される乱数」を偶然引いてしまっていた時は何だよラノベかよと思ったが、こういう結果に落ちつけたのもまた乱数のおかげだろう。

 特に掲示版で「暴力系女子が下校途中に親とはぐれた子供を見つけてしまい、その対処にあたふたしているところに出会うための乱数表」と「実はコンタクトだと宣言され、『あの、変、じゃないかしら……?』とか言われながら眼鏡バージョンを見せられてキュン死するための乱数表」を公開してくれた二人には本当に感謝している。この際その人達がどうやって調べたのかはどうでも良い。


 鼻の奥に、何か熱いものを感じる。するとその直後、机に赤い模様ができた。


「あれ?」


 鼻を触ると、手が真っ赤に染まる。これは、鼻血か。

 乱数に強くなって女子への耐性も結構付いたのだと思っていたが、流石にこれほどの破壊力での二連発には僕の毛細血管も耐えられなかったらしい。そういえば、チョコレートを食べ過ぎると鼻血が出るという迷信を当分聞いていない。科学的に根拠が無いとか言われて自然消滅でもしたのだろうか。いやしかし、従来の科学的にそうだとしても、乱数学的観点から見れば分からない。調べてみれば鼻血を出す乱数とチョコレートによる多幸感の乱数が近いのかもしれない。


「チョコと鼻血の関係、調べてみる価値はありそうだな…」

「いいから、鼻血どうにかしろ。あとそれ、もう科学的な根拠あるから」

「何ですってふがっ」


 高嶋さんがティッシュを取り出し、僕の鼻を押さえる。

 なんだこの状況は、天国か。鼻から溢れ出る血液を伝って、そのまま脳に快楽物質を注ぎ込まれているような気分だ。




 嗚呼、素晴らしきかな、我が乱数ライフ。



(後編に続く)

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