サンタクロースによろしく

岩犬

サンタクロースによろしく 前編

ちくしょう、とうとうこの季節がやって来ちまった。最悪だ。冗談じゃねぇぞ。やってられねぇ。俺史上最悪の寝覚めの悪さだ。上の瞼が下の瞼に今にもキスしそうだし、オナった後みたいに身体がだるい。頭もあんまり働いてねぇし、コカインキメて脳天に少なくとも200回は鉛玉ぶち込まれた気分だ。しかも布団にくるまっても死ぬほど寒い。足の先が布団からはみ出たりなんてしてたら翌朝には足の五指全部霜焼け待った無しだぜ。それもこれも全部、住んでるマンションがオンボロで隙間だらけのせいなんだけどな!


まぁ、この糞溜まりの底みたいな最低な気分は俺の人生のトップ3の3位には入るね。え?1位と2位は何だって?…何だろな、忘れちまった。まぁ、いいや…二度寝でもするか。もう一眠りしてから仕事する。ホント約束する…あと一眠り。マジで…


ダメだ。今日だけはダメだ。365日ニートな俺でも、今日は、今日だけは仕事しなきゃな。


むっくりとベッドから起き上がって転がる様に立ち上がる。脳がプリンみたいにグラグラ揺れる。崩れて粉々に砕ける。脳震盪を起こす前の一歩手前。視界が安定しねぇ。ブツブツ途切れやがる。昔の電波の悪いテレビみてぇだ。あぁ、それにしても寒い。脚を一歩踏み出すたびに薄氷の上を歩かせられているみたいに寒さと鈍痛が足の裏を針の様に突き刺す。


どうにかこうにか箪笥から靴下を取り出し履くと、俺は自分が住処にしているアパートの一室をざっと眺め回した。


テーブルの上と部屋の隅に食べ終わった カップラーメンの容器とビールの空き缶の山。キャップのしていない2リットルのコーラのペットボトルが数本、擦り切れ、埃の積もった絨毯。床にラップもせずに1週間ほど放置したコンビニ弁当が異様な匂いを放っている。


俺は昨日散々飲んだ安酒と腐ったサラダの匂いで胸焼けして慌ててトイレに駆け込み、吐いた。両手で便器を抑えながら、吐き気が通り過ぎるのを待つ。濁った唾液の一滴が水面に滴り落ちるのを認めるやいなや、壁に持たれかかった。


ちくしょう、完全に二日酔いだ。



元上司のYから電話が来たのは午後1時頃、ようやく部屋の掃除を終え、昼飯、あるいは朝飯の準備していた時だった。台所でビビンバの調理を終え、熱々のビビンバの詰め込んだ皿を食卓を運んでいたちょうどその時、ベッドに投げ出してあったスマホが着信音を鳴らす。俺は一旦ビビンバをテーブルに置くと、ベッドのスマホを手に取る。


俺は思わず舌打ちした。Yだ。俺は応答すべきか少し迷った。無論、別に取らなくてもいいと思った。なぜならもう彼との関係も終わったも同然だし、話すことなど何もなかった。それに早く本日初の食事にありつきたい。だが、Yがなぜ今になって電話をよこしたのか気にはなる。その上、一日中コールされたら敵わない。もちろん、映画のお誘いとかだったらお断りだが。


そんな訳で俺は興味半分、義務感半分でYからの電話をとった。


「お久しぶりです」


「おお!やっとつながったわ!もう取らへんと思とったとこやで!元気やったか!」


俺は電話越しに聞こえるYの陽気な声に閉口して思わず受話器から耳を遠ざける。


「…なんの用ですか?」


俺は舌を廻すのさえ面倒だと言わんばかりにぼそっと答える。


「いや〜今日はなんの日か知っとるか?知らんようやったら教えたるでー?イブや!イブ!クリスマスの前日のクリスマスイブや!」


もちろん知ってる。


というより知りすぎているほどに。今日と明日はカップルがオシャレな服着て街に繰り出してドトールやらスタバに駆け込んで一緒に写真撮って、インスタに「#今日は#クリスマス#彼氏#と#クリパ#楽しい#また#来たい💏💏💏」とか投稿してそのままラブホに転がり込んでベッドインだろ?

知ってる。


それにFBに日頃の感謝の言葉を乗っけたら完璧だ。


「イブだからなんですか?」俺は答えた。


すると電話の向こう側でYがため息をつくのがわかった。


「は〜だ・か・らお前はモテんねん!クリスマスといえばデートや!デートいえば女の子や!コミュ障のお前のことやさかい、今年もクリボッチやろ?だからおれの好意で女の子見繕ってWデートかまそうやって寸法や!」


俺はそっと目を瞑った。最後に彼と会ったのは8ヶ月も前の話だが、またその顔は思い出せた。恵比寿の様な人当たりの良さそうな柔和な顔。分厚い唇、薄い眉、むくんだ顔。40歳という年齢の割に子供っぽい性格と喋り方。事実彼はいつも陽気で、常に笑っていて社員の間でも愛される存在だ。そんな明るいYだが、彼がたまに見せる洞窟の虚の様な、闇の底の様な暗い瞳に見つめられると俺はその深奥に引き摺り込まれる様な気がしてたまらなく苦手だった。


「用件は」


今度は声をワンオクターブ下げて一音節ずつはっきりと口に出し、尋ねた。


Yが口をつぐんでから言った。


「サンタに戻って来る気はないんか?」



「辞表は提出したはずですけどね」


俺がそう答えると、Y氏は歯切れの悪い声で答えた。


「あ、あ…そうなんやけどな…お前の気ぃ変わって帰って来てくれるんちゃうかとおもてまだお前の机片付けてないねん。荷物もそのままや。だけど…新年度になったら新入社員も入って来るやろ?その時に後輩に遠慮させるわけにもいかんし…なぁ?」


「僕にも遠慮なんていりませんよ」


俺は苦笑して言った。上司であるY氏の困り顔が目に浮かぶ様だった。


「そ、そうかぁ?ほんなら来年の3月まで待つわ…気、変わったらゆってな」


断っても来年の春まで待ってくれるどこまでも甘いYに俺はうんざりする気持ちとほんのすこしだけ感謝の気持ちが湧いた。


「…ちょっと待ってください、一つ良いですか?」


電話を切ろうとするYを俺は遮ると、俺の元上司はどうした?と答える。



「子供に欲しいクリスマスプレゼントも渡せないサンタなんて必要ないですよ」




俺はそう言って、Y氏の返答も待つ前に通話を切った。


スマホをサイドテーブルに置いて窓の外を眺めた。分厚い群青色の雲が渦を巻く様に空を占拠し、今になにか降らせてやるぞと言わんばかりにはるか遠くの雲の喉元で遠雷が火花を散らしている。


今夜は雪か雨が降り出すかもな。回れ右して食卓に赴きながら俺はふと思った。せっかく作ったビビンバはすっかり冷めて、萎れた花みたいに魅力をなくしていた。指で摘んで食べてみたが味もそっけもなかったし、そもそも食欲がないことに気づいた。ビビンバをゴミ箱にぶち込むとふらふらと酔いを覚ますために洗面所に行った。酔いも大分覚めて来た。


洗面所の鏡には怨霊の様に恐ろしく、乞食の様にみすぼらしい青年が立っていた。風呂にも入らず手入れもしていないボサボサの髪、やせ細った、具合の悪そうな青い顔。世を拗ねた、全てを諦め、不貞腐れた目の下には深い隈が刻まれている。


服は使い古されあちこちほつれた長袖のシャツ、履いている長ズボンはこないだ近所のゴミ捨場からサルベージしてきた代物だ。


誰がこんな浮浪者紛いの人物をでっぷりと肥えて白髭を蓄え、子供達に希望を配るサンタだと信じるだろう?



だが、事実だ。






俺は去年のクリスマス、サンタを辞めた。








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サンタクロースによろしく 岩犬 @dogman485

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