題目03 きな粉

title:おばあちゃんの味


これは、私の祖母の話です。

祖母は80を過ぎた頃から認知症の症状が出始めました。

要介護認定もおり、いよいよ施設へという話も出ましたが、介護の資格を持った母が「私が看取る」と言い張り、現在は在宅サービスも利用しながら自宅で祖母の面倒を見ています。


私は祖母との同居が苦痛でした。


真夜中にうわんうわん泣きだしたかと思えば、誰かに向けて大声で怒鳴っているのです。

母は私に、認知症とはどういう病気かを事細かに説明してくれました。

記憶のコップが割れてしまい、そこから思い出が溢れ落ちてしまうこと。

寝て起きたら、(私で例えるなら)いつの間にかフランスにいるような気持ちになること。

そんな孤独の中で足掻いて苦しんでいること。

言葉は段々と通じなくなってしまうけれど、気持ちは心に残りやすいから、優しく接していると理解してくれること。

...何も思い出せない中、「ボンジュール」くらいしか分からない言葉の中で親切にされたら、それは確かに、私だって嬉しいです。

しかし、祖母がそういう状況に置かれていると知っていてもなお、まだまだ人として未熟な私は「ゆっくり寝たい」と思うのでした。


ある日祖母が

「ぼた餅作って、お供えせにゃ。へえ、ヨリちゃん。もち米炊いとくれ」

と母に言っていましたが、ヨリちゃん...依子は私のことです。

母は笑うと、「ほれヨリちゃん、ご指名よ」と私にその役割を押し付けました。

幸いその日は仕事も用事もなく、祖母の突飛な思いつきに手を貸すことができました。


一緒にぼた餅を作る作業は大変でした。

買ってきた餡子を急に水で溶き始め、ぜんざいを作ろうとしたり、ベーキングパウダーをきな粉と間違えてまぶしたりしていました。

きわめつけは「美味しくなるから」と言い出して、炊いたお米をプラスチックのボウルに入れ、火にかけようとしました。

それには私も驚いて「もう!駄目!」とヒステリックに怒鳴ってしまったのです。

母なら、この時の祖母になんと声をかけたのでしょうか。

いつもなら怒鳴り返してくる祖母も、この時ばかりはがっくりと肩を落として心地の悪そうな顔で黙っていました。

私はきな粉祖母に渡し、努めて明るく言いました。

「私、サエさんのきな粉、とっても美味しくて、大好きなの。サエさん、美味しいきな粉作って。」

祖母はきな粉を受け取ると匂いを嗅ぎ、「こりゃいいきな粉だ」と言って大皿にあけ始めました。


その間、私は祖母がおかしな行動をしないように見守りながらもち米を丸め、祖母が仕上げを出来るように準備をしていました。

「ねえみっちゃん。ヨリちゃんはね、優しい子に育ったよ。」

みっちゃんは、私の母のことです。この場に母はいないので、祖母には私が母に見えているのでしょう。

「へえ、そうかい。私の子だもんでね。」

私は母になりきったつもりで、祖母と会話を始めました。

これも、母に習ったことでした。

「みっちゃんはね、どうも気が強いから、ヨリちゃんもおっかない子に育ったらどうしようとね、思ってたのよ。」

誰かになりきって話をすると、意外と祖母の本音が聞けることがありました。

大半は話が別のところに飛んでしまって、会話すら成り立たないこともありますが、今日はしっかりしているようです。

「こないだね、ヨリちゃん、肩がいたいって言ったら『おばあちゃん、摩ってあげようね』ってね。やさしーく摩ってくれてね。」

それをしたのは、間違いなく母なのですが、思わぬところで私の株が上がっています。

孫の特典といったところでしょうか。

「あら、そう。よかったじゃない。」

「そいで、隣組に行ってね、タケオさんとこの倅が実家継ぐっちゅうもんだで...」

隣組のタケオさんの倅は、そろそろ100回ほど世襲しています。

記念すべき100回目の世代交代が行われた頃に、祖母のきな粉も完成した様子でした。

変なものを入れていないか味見をしても、昔からの、祖母が味をつけてくれたきな粉のままです。

私はこの味が大好きでした。

「サエさんのきな粉は、世界一美味しいねぇ。」

「よしとくれよ。」

そう言いながらも、祖母は嬉しそうにぼた餅を作っていました。


認知症は、羅患して平均8年で命を落とすと言われています。

それから考えると、祖母はたったの3年で闘病生活を終えました。

最後は、非常にあっけないものでした。

深夜徘徊が始まり、「ヨリちゃんがいない、迷子になったから探しに行く」と言って聞きませんでした。

母がつきっきりで深夜の徘徊に付き合う日々が続き、私もその徘徊に付き合うことがありました。

祖母は、いつだって「ヨリちゃん、ヨリちゃん」と私のことを気にかけていました。

祖母の中でのヨリちゃんはまだまだ小さな子供で、祖母は初めておばあちゃんになったばかりの頃に戻っているようでした。


ある程度徘徊が終わると、母が一芝居を打ちます。

「おかあさん、依子、帰ってきたって電話もらったよ。もう大丈夫。一緒に探してくれてありがとうね。」

この言葉は、母にしか使えない魔法の言葉でした。

この日は寒く、祖母は行方不明のヨリちゃんのために薄着で外に出てしまっていました。

これが風邪をひく要因になり、肺炎であっという間に祖母は他界しました。


祖母の葬儀や遺品整理もあらかた片付くと、ふと祖母にぼた餅を供えたくなりました。

もち米を炊き、餡子を練り、あとはきな粉です。

どうしても祖母の味に近づけたかったのですが、私は味付けに関するセンスがありません。

まずは大皿に買ってきたきな粉を広げ、指で摘んで口に入れてみました。

サラサラとした大豆でしかなく、ここに砂糖を加える必要がありそうです。

少しずつ、少しずつ、目的の甘さになるように足していきますが...何かが足りないのです。


「お母さん、隣組のタケオさんって何してた人だったん」

「ありゃ、なんだったっけね。」

祖母の話は断片的で、タケオさんの稼業も私たちはよく知らずにいました。

祖母の行動パターンを思い出すと、そこから1つの調味料が見えてきました。


塩。


全ての料理に必要なもの。

タケオさんの話が出るときは、祖母は決まって塩を使っていました。

盲点でした。甘いものに塩を入れるのは違うような気がして敬遠していたのですが、これが正解でした。


これをきっかけに、祖母は祖母なりに、覚えていられない脳の代わりに、物を見る事で記憶を引っ張り出していたのだと気がつきました。


きな粉は、祖母の味付けになりました。

私はぼた餅を祖母の仏壇に供えると、祖母の部屋へ行きました。


そこには、祖母の記憶がありました。


私が幼い頃落書きしてしまった襖。これをみて、祖母は私を叱っていたようです。

私の名前が決まった時に、達筆だった祖母が色紙に名前を書いてくれました。

依子。そっと寄り添うような、優しい子に育ちますように。

私が生まれて、小さい私を胸に抱いた祖母は嬉しさのあまり泣き出したといいます。

祖母は、これを見るなり私の生まれた日に帰って、毎晩私の誕生を喜び泣いてくれていたのです。


深夜徘徊が始まったとき、祖母は私の小さな靴がないのを見て行方不明になったと思い込んでいたようです。


祖母の介護中「眠い、疲れた、いい加減にして...」

何度も口から溢れて出そうになっていました。


母が家で介護すると言い出したのは、私のことをきっと母以上に大切に思っていると知っていたからこそ、私の近くで看取りたかったのかもしれません。


人の顔がわからなくなっても、祖母の私に対する愛情は本物でした。

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お題消化 市川 恭佳 @fukusyakin01

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