題目02 遺書
title:戸籍交換会
人に言えない事などない、と心から言い切る人間には出合ったことが無かった。
皆心の何処かでどうしようも無い秘密を抱えて生きているのである。
それを笑い飛ばせるか、深刻に受け止めるかは個人の感性によるところが大きいだろう。
松本清は、自分の秘密をどうしても笑い飛ばすことが出来なかった。
話してしまえばよくある話で、惚れた女と一緒になりたいと思ったが自分は結婚していて戸籍にどうしてもバツがついてしまう。
女は自分が初婚だと信じて疑わなかった。
長年の板ばさみ生活に疲れ果て、どちらかを切り離そうと考えていたとき、女から「子供が出来た」と呪いのような事実を聞いた。
これは自分への罰だと覚悟し、離婚を決意した。
清には子どもが居なかったため、離婚までの流れは非常にスムーズだった。
嫁には何の怨みも無かったが、別れるために並べ立た口上には積年の憎しみともいえる悪態が、自分でも驚く程に口から溢れた。
最初こそ戸惑っていた嫁だが、悪態を吐かれるごと疲弊し、最終的には嗚咽まじりに「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返しながら離婚届に判を押した。
そんな嫁を気の毒に思いながらも、自分は別の女と新しい家族になろうとしているのだ。
最低だと、自分でもよく分かっていた。
離婚後、戸籍をどう隠そうか悩んでいた。
子供が出来れば、その手続で戸籍謄本や抄本を取寄せる機会も多いだろう。このまま親の戸籍に戻ったところで自分の婚姻歴はすぐに分かってしまう。
女の腹は次第に大きくなり、いよいよ言い逃れも苦しくなって来た頃だった。
よく行く呑み屋の親父に相談すると、親父は呻りながらひとつの案を出した。
「戸籍の売買じゃ無いが、別人になれるビジネスがあるってのは聞いた事がある。」
藁にもすがる気持ちで話を聞くと、親父は何処かへ電話をかけた。
通話相手とほんの少々の談笑ののち、清へ電話に代わるように言った。
「もしもし」
相手は男性で、とても柔らかい声音をしていた。
「あの、戸籍について悩んでおりまして…お力を貸して頂けませんでしょうか」
「ええ、ええ。大丈夫ですよ。ただ無料でと言うわけにはいきませんのでそこは御了承頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」
これから子供が産まれる身としては、あまり高額な金額を用意する事は難しい。
その事を伝えると、男は柔らかな口ぶりを崩さず「一度説明会へお越しください」と詳細を口頭で伝えた。
メモをとる清の口元には笑みが浮かんでいる。
「秘密は墓場まで持っていく覚悟だな?」
親父は説教がましい口調で清に言った。
説明会の会場は非常に簡素だった。
20畳ほどのレンタルスペースで、中には机と椅子が3つの島に別れて配置されていた。
全部で15名分の座席が用意されている。
清が会場に着いたときには、既に数名の男女がまばらに座っていた。
自分よりも年下に思える女性や、はたまたそろそろ迎えがくるのではと思えるくらいの高齢の男性がいたりと、その面子に統一性は無かった。
唯一、皆がそれぞれに自分の戸籍を無かったものにしたいと考えている点だけは同じであろう。
清は入口から一番近い島の席に座り、説明会の開始を待った。
開始時間を数分過ぎた辺りで、高級そうなスーツで身を固めた男が会場に入ってきた。
清の横を通り抜け全員の目に入るよう上座に立つと、深々と頭を下げて挨拶をはじめた。
「当戸籍交換会へご興味をお持ちくださり、誠に有難うございます。本日説明を担当させて頂きます、鈴木と申します。以後よろしくお願いいたします。」
鈴木と名乗った男の声は聞き覚えがあった。
電話口で清と話したのはこの男であろう。
「この会場にいらっしゃいます皆さまには、様々な事情がおありの事とお察しいたします。それではまず私共の行うサービスについてご説明いたしますが、一切の口外を禁止いたします。そしてこのサービスを受ける、受けないに関わらず、全てにおいて守秘義務があるということを御了承ください。
これから皆様には同意書をお手許に配らせていただきます。じっくりと御一読頂きまして、ご納得いくようでしたらサインをお願いいたします。」
配布された同意書の内容は、
「この会についての口外は一切しない」
「口外した場合、命は無いと思え」
要約すると以上のことが長々と書かれていた。
柔和な口ぶりの鈴木も、自分の知らない世界の住人だという事はその振る舞いからも見てとれた。鈴木というのもおおかた偽名だろう。
自分がこの会の事を誰にも口外しなければ良いだけの話だ。
特に深刻に捉える必要も無いと、清は書面にサインをした。
しかし清の近くに座っていた青年は、書面を見るなり青白い顔をし、黙って部屋の外へ出て行ってしまった。
まだまだ捨てられないものでもあったのかもしれない。
数名が部屋を出て行くのを見届けると、いよいよ戸籍交換会の概要説明が始まった。
鈴木はメモや録音をすることを強く禁じたうえで、丁寧に説明をした。
「戸籍交換会という名前の通り、今後参加される皆さまには参加費をお支払の上で戸籍を交換するお相手を自分自身でお探し頂く形になります。こちらからは一切斡旋は致しません。
交換会は週に2度、水曜日と土曜日に行われます。先程ご記入頂きました用紙にご連絡先があったかと思いますが、そちらの電話番号へ非通知にておかけいたします。交換会前日の20時頃に一度だけお電話いたしますので、お取り逃がしの無いようお気をつけ下さい。もし電話に出られなかった場合は、翌日の交換会はお見送り頂く事となりますので御了承下さい。」
参加者はみな真剣な顔で鈴木を見つめている。戸籍の交換先は自分で探さなくてはいけないというのは非常に面倒だった。
30代で年齢が近く、結婚歴なし、借金なし…望むものはこれくらいではあるが、ここに来ている者は皆何かしら問題を抱えているのである。
「また料金は、戸籍交換の成立、不成立に関わらず、一回の参加費用として10万円を現金で受付にてお支払い頂きます。」
一回で戸籍を交換出来るとなれば安いものだが、自分も相手も条件に見合わない可能性のほうが高い。
大きな掛けだが、ここで引くわけにはいかなかった。
「細かいルールなども御座いますが、それは交換会当日にまたお話いたします。交換会当日には此方の用意いたしました現時点での資産やお仕事、借金などを細かにご記入いただく用紙と、戸籍謄本、実印、遺書、の4点をお持ち頂きますようお願いいたします。
資産、資本につきましては御自身のお持ちのものをすべて整理したのち交換会にご参加いただきますようお願いしております。また、多額の借金をお持ちの方につきましては、自己破産されていない方のみに参加を限定させていただいております。」
「遺書?」
素っ頓狂な声を上げたのは清だった。
「何で遺書なんか必要なんだ。」
鈴木は穏やかな表情で、清を宥めるように言った。
「あなたは、新しく成り代る方の過去を知りたくは御座いませんか?」
「いや、特には…。」
他人がどんな人生を歩んで来たかなどどうでも良かった。
「皆さまそれぞれお考えのことがおありでしょうが、一度自分の人生について振り返ってみてください。これから戸籍を交換するにあたり、条件の合う方と巡り会い戸籍を交換してしまえば、もう“今の貴方”には戻る事が出来ません。
交換した後に後悔しても遅いのです。そして、無事戸籍を交換した後はその思い出を背負って皆さまは生きていくのです。
いきなり知り合いが別人になるよりも、思いを汲んだ行動の方がなにかと都合のよろしい場合もあるでしょう。」
清の視界の中で、数名の肩が大きく揺れた様に見えた。心あたりがあるのだろうか。
清にはいまいち腑に落ちない話ではあったが、戸籍を隠すことの方が大事だった。遺書くらい、いくらでも書いてやる。
家に帰ると早速身辺の整理を始めた。
掛けていた保険や預貯金は全額現金へと変え、名義が変わっても困らないようにし、生活に必要最低限のものを残して不要な物は全て捨てた。
一番困ったのは友人などの人付き合いや仕事だった。仕事は戸籍交換をした相手が投函すればいいようにと退職届を書き置き、友人関係は交換後に相手が携帯電話の解約をすればいいだろう。
その旨を説明会でもらった身辺票に書き残した。
戸籍を交換した後のことを考え、結婚を控えた今の彼女と連絡が付かなくなってしまうことは避けたかった。
元彼女にストーキングをされているという理由をでっち上げ、プリペイド式の携帯電話を新たに契約してもらうことにした。
これで人間として必要最低限の「松本清」になる事が出来たのだが、遺書だけはどうにも上手く書くことが出来なかった。
「拝啓…、いや違うな。前略…?」
コンビニで買ったノートに書き始めたものの、自分が死ぬかもしれないと考えることなど今まで無かったのだ。
何を書いたらいいのかが解らない。
インターネットの解約をするのには少々早かったかもしれない。
翌日書店で遺書に関する数冊の本を買い、良さそうな書き方を学ぼうとしたのだが、どれも遺産相続や権利関係については詳しくは書かれてはいるものの、人生について触れているものは無かった。
同日の夕方、図書館のインターネットスペースで遺書に関する記述やブログを検索した。他人の遺書を見るという事は、清にとって初めての経験であり、また衝撃的だった。
日記のように日々を振り返るもの、感謝を伝えるもの、ひたすら恨言を書き連ねているもの、様々な死との向き合い方があった。
自分はこの世から消えて無くなる瞬間、残したいものは何だろうか。
帰宅後、もう一度ノートへ向かうと、先日とは打って変わって言葉がすらすらと出てきた。
先ずは両親に対する感謝、別れた嫁への謝罪、そして、自分が今まで何を考えて生きてきたのかをひたすらに書き連ねた。
読み返すとそれは何とも酷い内容で、自分の事を棚にあげて、いかに自分が可愛いかが窺えるものだった。
これから一緒に過ごす女のことはあえて触れなかった。
出会ったのは今の自分だが、これから彼女と結婚し家庭を築いていくのは別の人間なのだ。
火曜日の夜、非通知の着信があった。案の定鈴木からの電話だった。
「松本清さんのお電話番号でお間違いはございませんか?」
「はい。」
「明日の戸籍交換会は都内で行われます。場所に関してはなるべく人目につかないようにと考えておりますので、指定した駅まで来てください。
これから車のナンバーを言いますのでメモは残さずに覚えて、明日、その車に乗り込んで下さい。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。最後にご確認させていただきますが、以前説明会で、お持ち頂くもののご準備をお願いしたかと思いますが全てお揃いでしょうか?」
「はい、大丈夫です。」
「記入漏れのないよう、しっかりご確認くださいね。それでは明日、新しい人生との出会いがあることをお祈りしております。」
そう言うと、鈴木は一方的に電話を切った。
直ぐに生まれ変われる気はしなかったが、清の心は期待と身辺の整理が終わった充実感から晴れやかだった。
待ち合わせ時刻丁度に、迎えの車が駅へと到着した。言われた通り後部座席へ乗り込むと、そこには微笑を湛えた鈴木がいた。
「それでは出発いたします。詳しい場所についてはお教えすることが出来ませんので、こちらのアイマスクをお願い致します。」
清がアイマスクを当てたのを確認し、車は会場へ向けて走り出した。
少々やりすぎな気もしたが、はじめに書いた契約書には「口外すれば命はない」という内容が明記されていた。
ならば情報を遮断してもらう方が、うっかりと口を滑らせてしまう危険も減るというものだ。
その数日後、清は首を吊った遺体となって発見された。
警察の調べによると退職届や直筆の遺書も見つかり、身辺を整理する様子も見られた。
清の子を身籠っている女は殺人の疑いをかけられたが「誰かにストーカーをされていたようだが、清に言われ、対策として自分が新しい携帯電話も契約した」と証言し、そのやり取りから身の潔白が証明された。
何より、遺体には争った形跡は見られないことから他殺の可能性は極めて低いとのことだった。
fin
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます