第4話 『君への手紙』 ~君に出会ってから~

 大学二年まで、私は誰のあわれみも獲得できなかった。


 自分の境遇きょうぐうについて、不幸自慢にならないように語るすべはもっていたはずなのだが、それを聞いたからといって例のちっぽけな優しさを向けてくれる人間はいなかったのだ。

 個々の友人に打ち明けるかたちで話したのが悪かったのだろうか。


 きっと、私の話を自分のなかに閉じ込めて思いをめぐらしているか、あるいは単なる他人の不幸なエピソードだから忘れてしまっているのか、とにかく私へのあつかいというものは平凡で当たりさわりのないものだった。

 それこそが気を使った優しさなのかもしれないが、そんなものを私は求めてはいない。もっと表面的に哀れんでほしい。馬鹿馬鹿しいほどけ切った優しさがほしいのだ。あえて触れず、普通に接するというのが最も憎たらしい。それなりのリアクションがあってこそ聞かせた甲斐かいもあるのだ。

 変に頭を使う奴ほど、しばしば憎しみの対象になる。それを知ってほしいものだ。


 そんな平々凡々へいへいぼんぼんとした日々を過ごす私に声をかけたのが君だ。

 私は酷く狼狽ろうばいしてしまった。なにせ、私のあわれを知らない人間が、どうして優しくできるというのか。ただ異性の友人を求めているだけなら私よりも適した奴はいくらでも歩いている。なのにわざわざ私を選んで連絡先を交換しようなど奇怪そのものだ。


 私は警戒に警戒を重ね、自分のあわれさについては一切せて君と連絡を取り合った。それも、嫌われて当然なほど淡白たんぱくで、しかもわがままな調子で。

 手始めに、高校時代に交際していた女に対しておこなったわがままを重ねてみた。ところが君は私を拒絶するどころか、喜んで受け入れてくれた。深夜に呼び出しておいてひたすら黙っている、という非常識極まりないやり口にも君はくっしなかった。それどころか、週に一度は君からメールしてくるのだ。

 無視しても送られてくるメールに、私は押し潰されそうだった。


 この女は狂っているのではないか、そう思ったことさえある。


 そんな奇妙な関係が半年ほど続いたとき、ふと考えた。もしかするとあわれみではない優しさが身近に存在していて、それが充実を与えてくれるのではないか。

 しかし、それを信用するのは恐ろしいことに思える。発生源の分からないものに抱擁ほうようされることが恐怖だったのだ。


 ただ、この退屈な日常に変化を与えてくれたのは君の存在である。思えば君から声をかけられて以来、退屈に身を腐らすこともなくなってきていた。これはもしや、よいきざしなのではないか。私が哀れみ以外のもので充実するための――自傷的じしょうてきな充足から抜け出すための。


 そんなおり、君から食事の誘いがあった。

 そう、そのときに告白されたのだ。わずかにほおを赤らめ、呟くような口調で告げられた言葉はよく覚えている。私はしばし迷ったが、冒険しようという気になり承諾しょうだくした。


 付き合ってからも君は以前と変わりなく、私のわがままに付き合ってくれていた。一年がっても、それがおとろえる気配さえなかったのだ。

 自己愛が目的なら、とうに別れを告げられているか、あるいは優しさやいたわりにかげりがあるだろう。それが一切みられないのだ。


 ……君は自己愛が目的ではなく、加えて言えば私のあわれさを癒すために交際しているわけでもない。

 その発見は衝撃的だった。苦しみと引き換えに訪れる充足ではなく、なんの対価も払うことなく充実を得られる。


 そう、私は私自身が君との生活に充実を感じていることを知ったのだ。いや、それは安直あんちょくな言い回しだろう。私は、哀れを元手もとでにしない優しさの発見と、持続の喜びを感じていたのである。


 ……実験的な交際ととらえるだろうか。

 そう、確かに実験的ではあった。しかし、恋愛なんてどれも自己探求的な実験でしかないだろう。君は反論できるだろうか。私を突き落してみせた君が。


 大学四年目の話に入ろう。


 誰もが他人と関係性を持とうとしないような、寒々しい空気のなかでおこなわれる講義の数々に耐えられなかった私は、三年次に留年することになった。

 君は私の理不尽な誘いに毎回乗っているにもかかわらず、要領ようりょうよく進級してみせた。そのことに何度も嫌味を言ってみせたのだが、君は笑顔でごまかすのだからかなわない。


 この頃から徐々じょじょに私のわがままは減っていったように思う。君を試す必要なんてもはやなかったし、わがままによって得られる充実もあわれみがないぶん、いくらかせてみえた。

 心を開く、という表現は嫌悪するところだが、私は次第に自身の過去について話すようになっていた。無論、哀れみを多分に含んだ過去を。

 それ以降も、君は変わらずに接してくれた。哀れみを感じさせない程度には優しかったのだ。




 どうだろう。私の切実な想いが伝わるだろうか。


 君の、対価を求めない優しさは母を想わせた。それがなによりくやしい。……存分に後悔してほしいものだ。君はいささか鈍感すぎたのだ。

 所詮しょせん、他人なんてそんなものだろう。感情を察知することもなければ、口に出さない欲求を叶えてくれるわけでもない。この頃の私はあわれの存在を忌避きひしていたように思う。


 それは、君のせいだ。


 半端はんぱな希望を与えて、唯一ゆいいつの安らぎ――あわれみから発生するけた優しさを奪い取ったのだ。


 憎い。憎くて仕方がない。


 しかし私は、君に毒されてしまった以上――あわれみではない優しさの存在を錯覚さっかくしてしまった以上――不透明な優しさのもとで不安を背負って生きていくしかない。


 苦しくてたまらない。……だからこそ私は君に手紙を書いているのだ。


 もしかすると私はこの手紙を出さないかもしれない。あまりに不毛だと考えて、思い切るかもしれない。ゆえに、これが君に届いた場合は私の覚悟を理解してほしい。

 そして、それにこたえてほしい。


 続けよう。

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