第3話 『君への手紙』 ~高校生の頃~

 高校二年の頃の話をしよう。

 この時期になにがあったか、知っているだろう。私が私自身のあわれさを強調するため、君に重苦しく話したから。


 ……私の母が事故死した年だ。そのときのことは今でも鮮明に覚えている。

 あわれさとは縁遠えんどおい、どこまでも凡人ぼんじん的な高校生活を送っていた日々に舞い込んだ母の死は衝撃的だった。嘘でもなんでもなく、本当に悲しかったよ。こごえるような冬の日の昼下がり、あわただしく私を呼びつけた担任教師から母の事故を聞かされた。病院から電話があったらしい。

 私が片親だと知っていたからか、随分と親身しんみになってくれた。担任は私のために車を出して病院まで向かってくれたのだよ。


 君も知っての通り、母は即死だった。


 遅めの昼休憩の時間にコンビニへ向かっていた母は、歩道に突っ込んできた自動車にかれたらしい。はっきりと覚えているが、加害者はプログラマーの男だった。

 ……当時はその男が憎くてたまらなかった。しかし今となっては、どうにも完全に憎むことができなくなっている。というのも、その男は過労気味で睡眠不足の状態だったという。それほど働いているにもかかわらず、いつ首を飛ばされてもおかしくない苦境に立たされていたらしい。

 そこに人殺しの責任が加われば、絶望的な人生を辿たどるしかあるまい。


 母は死んだが、噂に聞く限りその男も辞職させられ、挙句あげくには人殺しのレッテルによって四方八方から責めを浴びたすえみずから死を選択したらしい。


 誰が殺したのか。それを考えると、やはり、被害者の方が余程よほどいい身分なのではないかと思う。


 葬式の最中さいちゅうに考えていたのは、自分についてであった。悲しみはあったが、その片隅かたすみで喜びが目を光らせていたのだ。

 私は虚構きょこうではなく本物の悲しみを手に入れ、同時に他者からのあわれみも手に入れたのだ。中学の頃のように一時的で、しかも規模の小さいものではなく、一生背負っていけるような哀れをこの身に刻むことができたわけだ。


 ……この複雑な心境が理解できるだろうか。悲しみに貫かれながらもよろこびが確かに存在している、この矛盾した心が。体にいた大きな穴から、楽しげな絶叫が響く、この心地が。


 君には分からないだろう。分からなくてもいいさ。


 母の葬儀が終わると、私は離婚した父に引き取られた。思いのほか優しげな印象だったが、父の住む家と高校が随分ずいぶん離れていることを理由に、私に一人暮らしをさせたことを考えると……やはりうとましかったのだろう。

 金銭の工面くめんはしてくれたが、それ以外のことは一切干渉かんしょうしなかった。そのくせ会うときがあれば、父は柔らかな笑顔で接するのだ。


 ……きたえられた表情というのは、ああいったものをすのだろうな。本心とはまったく違った表情をつくろうことができる。顔と心を分離させて、そうやって円滑に生きていく。ああいった人間には生きやすい世の中なのだろう。


 それからの高校生活は母の死とは反面――いや、母の死が作用しているからだろう――非常に充実したものだった。誰もがあわれみ、ちっぽけな優しさをもって接してくれる。

 そう、優しさなんて矮小わいしょうなものでいいのだ。完全にもたれかかっては崩れてしまうのが見えいている程度の優しさが最も安心できる。


 わずか一年のあいだだったが、私は三人の女性と交際した。誰もが悲しみを癒すという名目で――そのじつ、私を支えている自分に酔うために――交際をせまってきたのだ。私から望んだわけではないが、使えるものは使うべきだろう、という心理で付き合ってみた。


 自己愛を満たすために――あるいは私のように不遇ふぐうな者と交際していることをアピールすることによって、他者の承認を得るために――近づいてきていることは知っていたので、散々わがままを振りまいてやった。

 たとえば深夜に呼びつけたり、宿泊を強制したり。自己愛が前提にある奴なんてのは大抵、数ヶ月もすれば相手の要求に耐えられなくなってしまう。それでも関係は続くのだろうが、私へのあわれみからくる小さな優しささえ姿をみせなくなった時点で別れを告げてやった。

 優しさやいたわりのない関係など、退屈で耐えられない。


 そうして三人目を捨てた時期に、私は卒業した。

 



 君はどう感じるだろうか。

 ……さぞかし嫌な気分だろう。しかし、私を責めることはできまい。彼女らのように自己愛に埋め尽くされていたわけではないだろうが、君も私のあわれさにかれた女であることには違いないのだから。


 ただ、決定的に違うのは、彼女らの優しさと君の優しさのようなものがしつことにしていた点だ。

 私が居心地のよさを感じるのは哀れみを多分に含んだ、見えいていて脆弱ぜいじゃくな優しさである。

 ただ、君のは……なんだろう。不透明な優しさとでも言おうか、強度も質も見えてこない妙な優しさだった。哀れみもあるだろうが、それだけではないような、むしろそれ以外の部分が大きいように思える。おそらくは、その異質さが私の興味をいたのだろう。だからこそ交際を続けたのだ。


 母についてのくだりは、どう感じただろうか。私を下卑げびた人間に思うだろうか。こればかりは決して否定させないつもりだが、しかし君の意見を聞いてみたい。君は私よりもずっと聡明そうめいだから、私のいだいたいびつな感情を論理的に説明してくれるかもしれない。


 ……いや、結構だ。期待しておいて突き放すのは悪いが、あの感情は共有不可能なたぐいである。それを他者にきほぐしてもらったとしても違和感が残るのみだ。あれは私自身がよくよく考えて、そして答えを出さぬままにいだくしかないのだ。

 解決なんて不可能であるし、そもそも正確な解答があるなんて、ありえないし耐えられない。


 君はただ、この手紙につづられた事実のみを受け取ってほしい。勝手に思考をめぐらすのもかまわないが、口はっておいてくれ。


 では、次の話に入ろう。

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