第2話 『君への手紙』 ~中学生の頃~

 頭語とうごだとか、決まりきった時候の挨拶ははぶかせてもらう。久しぶりです、だとか、お元気でしたか、だとかの形式ばった文句も省こう。君は律儀りちぎな人だから、気分を害したかもしれない。それについては申し訳ないと思うが、これも私なりの考えがあってのことなのだ。

 序文で型通りの礼儀正しい文面にしてしまっては、後の文がえ過ぎていけない。なにせ、序文よりももっと酷い文がおびただしく並んでいるから。だから、あらかじめ不愉快な手紙として認識してもらいたかったのだ。


 とはいえ身構えて読んでもらっては困る。まあ、安物の紅茶でも飲みながら読んでくれ。ただ、一字一句飛ばさずに最後まで読み切ってほしい。君のことだから大丈夫だと思うが……なにせしばらく会わなかったから、君の律義さにも疑問が生まれてしまっている。私が中途半端に人間不信なのは君も知っている通りだから、特に詫びはしない。


 ともかくも、君が最期さいごまで付き合ってくれることを強く望む。

 では本題に入ろう。本題といってもただの告白でしかないが、まあ、読んでくれ。




 昔のこと、君にうよりずっと前、中学校に入ったばかりの頃だ。


 私はいわゆる不登校だった。いじめにっていたとか、特別嫌いな奴がいたとかではなく――私に言わせれば全員が嫌な人間にしか見えなかったが――ただ面倒で登校しなかった。君も知っての通り私は母子家庭で、しかも溺愛できあいされていたようで、適当につらいとか気分が悪いとか言っていれば学校に行かなくても母からとがめられはしなかった。

 しばしば教師が訪問に来たが、母が仕事に行っている以上、無視していれば帰っていった。電話がきてもおびえてみせれば母は鼻息を荒くして撃退してくれた。そうして家にこもっていれば、退屈ではあるが、なんとなく満たされた気分になれたのだ。


 もしかすると、この満ちた気分が最大の理由なのかもしれない。完全に満足ではないが、これで充分、という程度の充足感は君も今までの人生で味わったことがあるだろう。少し欠けているくらいが心地良いのだ。


 そんな不登校生活を繰り返しているうちに、いよいよその退屈が嫌になってきた。中学二年の初めの時期に、やっと登校し始めたよ。

 新鮮な気持ちだった。一年間休み続けてから行く学校。鞄を背負って歩くと足がはずんで、なんだかとても愉快だったのを覚えている。登校する生徒を眺めながら、自分が特別な人間に思えて仕方がなかった。義務的に登校する奴と違って、自分は新しい娯楽を発見したような、そんな気分。


 そんな新生活が始まってしばらくすると、クラスメイトの視線が鬱陶うっとうしく感じられ始めた。腫物はれものを見るような、あの粘度ねんどの強い視線。それは次第に鬱陶しさから苦しみに変わっていった。給食のグループで露骨ろこつに机を離される、たわむれに挨拶をしても無視される、寝たふりをしているとぼそぼそと私の悪口が流れてくるときもあった。

 不登校生活は退屈だし、登校しても苦しい。はたして、どうすればいいだろう。嫌だな、どこに行っても楽しいことなんてないんじゃないか。

 煩悶はんもんが昼夜頭を埋め尽くしていた頃、それは起こった。


 夏の初めだったかな。掃除当番をさぼった日があった。その翌日、私と同じ掃除当番だった男子数名に襟首えりくびを掴まれて散々罵倒ばとうされた挙句あげく、何発か殴られた。虚弱きょじゃく体質だった私は殴打の衝撃で床に倒れこんだ。情けないことに、抵抗する体力なんてなかったよ。

 大柄な男子が馬乗りになったところで、誰かの声が聞こえた。「やめろ」だったかな。すると驚いたことに、他のクラスメイトも「そのへんにしとけ」だとか「先生に見つかるぞ」だとか言い始めたんだ。


 馬乗りになっていた男子が渋々といった態度でどくと、クラスの女子が手を差し伸べてくれた。

 喜んで掴んださ。断っておくと、女子だったから嬉々として手を握ったわけではない。私は私自身の発見に喜んでいたのだ。服は汚れ、体の痛みもあったが、ただただ愉快だった。私をいたぶった男子は一線を越えたに違いない。一線を越えた攻撃によって、私はあの腐りかけの視線から解放されたのだ。それどころか、視線は反転してあわれみに変わった。そしてそれは、私を救うだけの存在になってくれたのだ。




 中学の話はここまでにしよう。この後の生活は酷く退屈だったから。ただ、この体験は重要だったと今でも思っている。だからこそ、こうして書くまでにいたったのだ。


 哀れな存在になろう。そうすれば苦痛のなかにあっても、いつか逆転して愉悦を得ることができる。無駄に強がって自身のプライドを守ろうとするやからがいるが、私はまったくもって共感できない。そうやって防衛すればするほど、結局は辛酸しんさんを舐めるのだ……。


 気分を害しただろうか。まだまだ、君は私を軽蔑してはいけない。

 いつか君は冗談交じりに言っていただろう。「箱のなかの子犬みたいであわれだったから、拾ってあげたの」。

 ありきたりな表現で、なんの面白味もない。ただ、君は嘘で言ったわけではあるまい。私は本当に哀れにみせていたのだから。君は私の哀れに加担かたんしたのだから、それさげすむことはできまい。


 ……君はさぞかし苦々しい思いで読んでいることだろう。私の文章にとげがあるのは自覚している。こうして自分自身を振り返ると、どうしても自己否定的になってしまうのは自然だし、そんな私を肯定していた君に対して酷く言うのも自然なのだ。悪意があってのことではないと、分かってくれるだろうか。


 なんにせよ君は君自身の律義さを守って、どうか読み進めてくれ。

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