第百十三回 陳安は反して隴城に奔り投ず

 涼州りょうしゅうより遣わされた王該おうがいは軍勢とともに引き上げ、刺史の張寔ちょうしょく霊台れいだい劉曜りゅうようを破ったものの胡崧こすうが軍勢を留めて進まなかった経緯をつぶさに復命した。

 四海しかい太守たいしゅを務める張寔の叔父の張粛ちょうしゅくは怒って言う。

「臣下たる者は君の行いをただすことを忠とし、主の恩に報いることを本とするものだ。逃げる漢兵を追わず、主命を受けてもいないのに軍勢を退くなど、将帥たる者の道ではない」

 そう言うと王該を斬刑に処して軍律を正そうとした。田齊でんせいが哀訴する。

「吾らは国事を誤ったわけではございません。命を捨てて先頭に立ち、二十余里に渡って追撃いたしました。しかし、秦州しんしゅうの軍勢が加わらず、孤軍となることを懼れて軍勢を退かざるを得なかったのです。まして、劉燦りゅうさんの軍勢は動かずに形勢を観ておりました。そのために軍勢を返したのです。劉曜めは涇陽けいよう渭城いじょうに散った軍勢を集め、長安に攻め寄せるでしょう。吾らは再び長安の加勢に向かい、軍功により先の罪を贖いたく存じます」

 涼州の文武の官はいずれも席を降って拝礼し、王該のために命を乞う。さすがの張粛も斬刑を強行できず、張寔を顧みて言う。

「狐が死ぬと生まれ育った丘に頸を向けると申します。その根本を忘れぬのです。今や朝廷は覆敗の危機に瀕しております。春秋の頃に鍾儀しょうぎが晋に捕らえられても楚の冠をして楚の音楽を奏でて故郷を偲んだようなものです。父君ふくん(張寔の父、張軌ちょうき)は晋の大恩により符節を授かり、大州を任されました。羯賊けつぞくどもが蔓延はびこって今や長安は累卵の危うきにあります。方伯ほうはく(地方の大官)の身でありながら安逸を貪り、国家の難事に駆けつけぬようでは、人臣とは言えますまい」

▼「鍾儀」は楚の楽官。楚の共王きょうおうの七年(前五八四)に宰相にあたる令尹れいいん子重しじゅうに従って鄭国を攻め、敗戦の最中に捕虜となって晋に送られた。二年の後、鍾儀が楚を忘れていないことを知り、晋の景公けいこうは帰国を許し、あわせて楚との修好を復した。『春秋左傳』成公九年の記事による。

「吾が家は長年に渡って大晋の恩を被ってきました。理においては忠義を顕して節を尽くし、社稷の難に赴いて亡父の志を果たすべきかと存じます。しかしながら、叔父上はすでに齢を重ねて筋力は衰えられ、軍旅の事を担って頂くわけには参りません。ご懸念に及ばず、この甥めが自ら事を図りたいと思います」

 張寔はそう言うと、司馬の韓璞かくはく撫戎ぶじゅう将軍の張閻ちょうえん、田齊、王該を副えて陰預いんよを先鋒とする三万の軍勢を与え、関中に向かわせた。

◆「撫戎将軍」は『三國志』蜀書の黃李呂馬王張傳第十三の張嶷傳に、漢嘉郡かんかぐん界の旄牛夷ぼうぎゅういを慰撫した際に劉禅より撫戎将軍の軍号を加えられたという記述が初出と見られる。文字通り、異民族を慰撫する任を帯びていたと考えられる。

 さらに、檄文を発して北地ほくち太守たいしゅ賈騫かけんの出兵を求め、隴西ろうせい太守たいしゅ呉紹ごしょうには南安なんあんまで兵を進めて後詰となるよう求めた。

◆「南安」という縣は多く、豫州よしゅう汝南郡じょなんぐん涼州りょうしゅう西海郡さいかいぐん益州えきしゅう犍為郡けんいぐんに存在する。また、秦州しんしゅうには南安郡なんあんぐんがある。原文「又行文調取北地太守賈騫、隴西守吳紹,出兵南安,以為後繼」は賈騫と呉紹にともに南安まで進出するよう求めたとも読めるが、賈騫は長安至近の北地郡にあるため、考えにくい。呉紹がいる隴西郡の治所は天水の西の襄武じょうぶであるが、南安郡は東隣の郡に過ぎず、ほとんど長安には近づいていないことになる。


 ※


 鎮西ちんせい将軍の焦嵩しょうすうは、涼州軍が晋室のために長安の加勢に向かったと知り、安西あんせい将軍の宋始そうし寧西ねいせい将軍の竺恢じくかいと会して二万の新兵を募り、長安の防衛に向かった。

 常侍じょうじ華輯かしゅうもまた、京兆けいちょう馮翊ひょうよく上洛じょうらく弘農こうのうで四万の軍勢を募ると長安に向かう。さらに秦州に書状を送って相国しょうこく司馬保しばほにも加勢を求めた。

 司馬保はその書状を見ると、陳安ちんあんを召して言う。

「聖上は孤を大司馬、右丞相ゆうじょうしょう都督ととく関西かんさい諸軍事しょぐんじとされ、二度の詔を受けて胡崧を遣わしたものの、何らの軍功を挙げていない。漢賊の猖獗はいよいよ極まり、ために涼州は長安に兵を遣わし、華常侍かじょうじ(華輯、常侍は官名)は檄文を寄越してきた。これは胡崧が軍勢を進めぬためであろう。卿が一軍を率いて長安に向かい、胡崧と軍勢を会して長安を救えば、余人に勲功を奪われることもなかろう」

「吾らは先王の遺命により殿下の輔佐を任としております。殿下の危機は吾らの任であります。その際には身命を擲って御覧に入れましょう。しかし、聖上の即位より重鎮は失われて辺境に逃げるばかり、天人ともに恨んでおります。胡崧を呼び返して上邽じょうけいの守りを固め、根本を厚くせねばなりません。どうして他家のために兵糧を損なう必要がありましょうか」

 陳安が拒むと司馬保が言う。

「孤は聖上より重職を授けられているにも関わらず難事にあって知らぬ顔では、逆臣と言われよう。卿は孤を陥れるつもりか」

「先王は身を捨てて国を奉じられ、芳名を史書に残されました。その一方、吾らには殿下と司馬業しばぎょうを守って上邽に逃れるよう命じられたにも関わらず、司馬業は殿下を捨てて雍州ようしゅうに逃れたのです。君臣の義などございません。吾らが勅命を拒むのは、先王への忠義に他なりません。司馬業が殿下を捨てたのは、先王の遺志に背く行いです。先王が害された後、司馬業が帝位に即きましたが、追贈さえ行われておりません。また、国家の大事は索綝さくしん鞠允きくいん麴持きくじ閻鼎えんていに握られ、殿下は徒に虚名を授かったに過ぎません。この際、漢賊どもの手で忘恩の徒を除くのが上策です。その後、吾らは殿下を奉じて天子に推戴し、関中に号令いたします。どうして殿下を陥れましょうや」

 陳安はそう言うと、憤然として席を立った。


 ※


 司馬保は張春ちょうしゅんを呼び、軍勢とともに長安に向かって胡崧と会するよう命じた。張春は陳安を嫉んでいたため、司馬保に言う。

「臣が上邽を空ければ、陳安が乱を起こす虞がございます。先に誅殺されては如何でしょう」

 その策は容れられず、謀を知られては恨まれようと不安に思った張春は、部将の許具きょぐに陳安の暗殺を命じた。幕舎で襲われた陳安は刺されて傷を負い、叫び声を挙げると麾下の将兵が駆けつける。その時、許具はすでに夜陰に乗じて逃れ去っていた。

 陳安は司馬保からの刺客かと疑い、三千の軍勢を率いると隴城ろうじょうに身を逃れた。それを知ると、張春は追っ手をかけるよう司馬保に勧めたが、それも容れられない。密かに賈騫と呉紹に人を遣わして報せる。

「陳安が背いて北地に身を投じた。虚を突いて卿の郡を襲うやも知れぬ。急ぎ軍勢を返して守りを固められよ」

 長安に向かおうとしていた二人は、この報せを受けると軍勢を返したことであった。

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