第百十三回 陳安は反して隴城に奔り投ず
「臣下たる者は君の行いを
そう言うと王該を斬刑に処して軍律を正そうとした。
「吾らは国事を誤ったわけではございません。命を捨てて先頭に立ち、二十余里に渡って追撃いたしました。しかし、
涼州の文武の官はいずれも席を降って拝礼し、王該のために命を乞う。さすがの張粛も斬刑を強行できず、張寔を顧みて言う。
「狐が死ぬと生まれ育った丘に頸を向けると申します。その根本を忘れぬのです。今や朝廷は覆敗の危機に瀕しております。春秋の頃に
▼「鍾儀」は楚の楽官。楚の
「吾が家は長年に渡って大晋の恩を被ってきました。理においては忠義を顕して節を尽くし、社稷の難に赴いて亡父の志を果たすべきかと存じます。しかしながら、叔父上はすでに齢を重ねて筋力は衰えられ、軍旅の事を担って頂くわけには参りません。ご懸念に及ばず、この甥めが自ら事を図りたいと思います」
張寔はそう言うと、司馬の
◆「撫戎将軍」は『三國志』蜀書の黃李呂馬王張傳第十三の張嶷傳に、
さらに、檄文を発して
◆「南安」という縣は多く、
※
司馬保はその書状を見ると、
「聖上は孤を大司馬、
「吾らは先王の遺命により殿下の輔佐を任としております。殿下の危機は吾らの任であります。その際には身命を擲って御覧に入れましょう。しかし、聖上の即位より重鎮は失われて辺境に逃げるばかり、天人ともに恨んでおります。胡崧を呼び返して
陳安が拒むと司馬保が言う。
「孤は聖上より重職を授けられているにも関わらず難事にあって知らぬ顔では、逆臣と言われよう。卿は孤を陥れるつもりか」
「先王は身を捨てて国を奉じられ、芳名を史書に残されました。その一方、吾らには殿下と
陳安はそう言うと、憤然として席を立った。
※
司馬保は
「臣が上邽を空ければ、陳安が乱を起こす虞がございます。先に誅殺されては如何でしょう」
その策は容れられず、謀を知られては恨まれようと不安に思った張春は、部将の
陳安は司馬保からの刺客かと疑い、三千の軍勢を率いると
「陳安が背いて北地に身を投じた。虚を突いて卿の郡を襲うやも知れぬ。急ぎ軍勢を返して守りを固められよ」
長安に向かおうとしていた二人は、この報せを受けると軍勢を返したことであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます