最終回 漢は長安を破りて愍帝司馬業は降る

 劉曜りゅうよう秦州しんしゅう涼州りょうしゅうの軍勢と戦って一敗地に塗れた。霊台れいだいに退いたものの、次の一手に悩み、各地の軍勢を呼び集める。

 数日のうちに散っていた軍勢が霊台に会し、軍議ではまず胡崧こすうを攻めることが提案された。

 それを聞くと、姜發きょうはつが言う。

「胡崧の心中を測るに、吾らを長安に向かわせて司馬業しばぎょうを除き、その後に司馬保しばほを擁立せんと企てているのでしょう。ゆえに長安を目指す吾らに害をなすことはありません。ここは再び新豊しんほうに拠って策を定めるのがよいでしょう」

 その時、斥候が駆け込んで言う。

麴持きくじ魯充ろじゅう梁緯りょういの敗戦を知り、新豊を捨てて長安に引き揚げたようです」

 劉曜が喜んで新豊に向かうべく軍勢を整える最中、さらなる報告が入った。

「聖上は王騰おうとう馬冲ばちゅうに十万の軍勢を与えて関中に遣わし、すでに新豊に拠ったとのことです。元帥におかれましてはすみやかに軍勢を発して合流願います」

 その報に接し、劉曜は即座に軍勢を発して新豊に向かう。新豊の新兵と合流した漢軍は二十万を超え、軍旗を翻して一路長安を目指した。


 ※


 晋帝の司馬業は漢兵の動向を知ると大いに愕き、鞠允きくいんに対策を問うた。鞠允は五百両の金を賂として胡崧に贈り、長安への加勢を求めた。胡崧は賂を受け取ると、はじめて軍勢を発して遮馬橋しゃばきょうに兵を留める。

 宋始そうし焦嵩しょうすうも長安を出て東にある灞水はすいの畔に軍勢を進める。

 涼州軍の韓璞かんはく賈騫かけんと合流するべく軍勢を南に動かす。その賈騫は先に陳安ちんあんの遁走を聞いて郡に引き返しており、韓璞は孤軍で長谷ちょうこくにまで軍勢を進めざるを得なかった。

 この時、陳安は羌賊に与して兵糧の一部を奪い、韓璞は怒って先に陳安を攻めんと図る。陳安は羌賊や賊徒を糾合して神出鬼没の動きを見せ、絡め取られた韓璞は長安に向かうに向かえなくなった。


 ※


 新豊から長安への進行を阻む者はなく、長安は漢の大軍に包囲された。

 長安の周辺に軍勢を置いていた宋始と胡崧は漢兵の強盛を知って軍勢を城に入れず、城内では索綝さくしんと鞠允が厳戒を布く。包囲より四十日が過ぎても援軍は現れず、外との連絡を断たれた城民の餓えはいよいよ甚だしい。

 長安城内では米一斗(約11ℓ)が千銭を超えるまでに騰貴し、屍を喰らう者まで現れるに至る。

 ついに黄門こうもん侍郎じろう任播じんはが上奏した。

「城内の困窮は極まりました。外に援軍はなく、内に糧秣を欠き、長安を守り抜くことはできません。恥を忍んで漢に降り、兵民の生命を救うべきであります」

「索綝と鞠允が朕を誤ったのだ。そうでなくては、どうしてこのような事態に陥ろうか」

 上奏を受けた司馬業は嘆いて言うと、涙を流したまま鞠允に命じる。

「公卿と降伏の可否を論じよ」

 侍中じちゅう辛敞しんへいが言う。

「天道は常ならず、世事は百変いたします。どうして漢賊に降ることがありましょう。敵わぬというのであれば、むしろ餓死して晋の鬼となるだけのことです」

 居並ぶ百官はその言葉を聞いても口を開く者がない。そこに兵が駆け込んで報せる。

「漢賊に外城を破られました。ご指示を願います」

 司馬業が言う。

「朕のために一城の民の命を損なうわけにはいかぬ。すみやかに降書を認めよ。さもなくば、生きながら擒とされる辱めを受けるだけであろう」

 その命を受けても詔を起草する者がない。任播がようやく筆を執ったが、辛敞が従わぬかと思い、先に漢の軍営に向かうよう命じる。辛敞は命に従うよりなく、大哭して退くと、ただちに索綝の府に向かった。

 索綝は辛敞を府中に匿うと、子の索栄さくえいを代わって漢の軍営に遣わす。


 ※


 漢の軍営に入った索栄は劉曜に見えて言う。

「今や晋朝の向背は吾が父が握っております。大王が車騎しゃき将軍、万戸ばんこ郡公ぐんこうを許されるならば、すぐにでも城を出て降りましょう。さもなくば、日を経たところで易々とは陥りますまい。援軍はすでに灞上、棘門きょくもん、遮馬橋にまで迫っており、そのことは大王もご存知のとおりです」

 索栄は退き、劉曜の問いを受けた姜發が言う。

「先に軍勢を起こして司馬業を擁立した者は索綝、今やその司馬業を売って官職を求めるもの索綝、一反一復する小人に過ぎません。信じるには値しますまい。また、長安の失陥は旦夕にあり、降るか否かは司馬業によります。索綝が何事を決められましょうか」

 劉曜はそれを聞くと怒り、索栄を斬首して首級を長安に送り返した。


 ※


「皇帝の戦は義によりおこなわれるものである。孤は軍勢を率いて二十年を過ぎるが、詭計により敵を陥れず、暗計により人を襲ったことはない。今、索栄が申し述べたところは姦計に他ならず、つまりは奸人である。天下の人は奸人を憎む。孤がどうしてそれを許そうか。特にその首を斬って後人の戒めとするものである。願わくば、自らのために図るがよい」

 索栄の首級とともに劉曜が遣わした書状にはそのように認められていた。索綝はそれを知ると自らを恥じ、体調が悪いと偽って床に伏した。

 さらに匿っていた辛敞を投降の使者として漢の軍営に向かわせる。劉曜はその投降を受け容れると、辛敞を厚く遇して返書を送り返す。これにより、長安城にある晋の兵民は漢に降ることと定まった。


 ※


 翌日、司馬業は羊が牽く車に棺を載せて長安の城門を出た。

 その身には素服をまとい、捕虜のように縄で縛られている。

 群臣は泣きながら羊車の長柄を牽き、号泣が野に響き渡る。

 司馬業の顔も涙に濡れ、すすり泣きの声は止むことがない。


 ※


 群臣の列にある御史ぎょし中丞ちゅうじょう吉朗きつろうは天を仰いで嘆く。

「吾が智は国家の大事を図るに足らず、吾が勇は仇敵に報いるに及ばず、その上、君臣ともに北面して仇敵に仕えることなどできようか」

 その声が終わると剣を抜き、自刎じふんして果てた。


 ※


 臧振ぞうしんと任播が羊車から司馬業を扶けて下ろす。

 軍門にひざまづいた司馬業の口中には、璧が含まれている。

 璧は死者の口に含ませるものであり、死を決した意を表す。

 それを知る辛敞と辛賓は大哭してやまない。


 ※

 

 劉曜が軍門を出て司馬業を迎え、縛を解いて口中の璧を受け取る。

 羊車にある棺が下ろされ、兵士が火を放つと白煙が空にたなびく。

 司馬業は宮城に退いて素服を平服に改め、ふたたび軍門に戻った。

 燃え尽きた棺の傍らに席が設けられ、司馬業は誘われて席に着く。

 劉曜が労うと、百官は風を受けた稲穂のように地に伏して拝した。


 ※


 一連の儀礼を終えると、劉曜は城に入って兵民を安んじる。

 大殿に坐するとこれまでの経緯を聞き取り、投降を主唱した梁濬りょうしゅん厳敦げんとん臧振ぞうしん任播じんはたち三十人を不忠であるとして斬刑に処した。


 ※


 これより先、「天子は豆田の中におられる」という童謡が広まった。劉曜は軍営を豆田の中に置き、司馬業の投降を受けた。

 これは、劉曜が長安に都を置く兆しであったのであろう。


 ※


 劉曜は晋の君臣を長安に置いては変事が生じぬかと懼れ、中軍ちゅうぐん将軍の李益りえきに命じて璽綬じじゅや宝物とともに司馬業と百官を平陽へいように護送させた。

 漢主の劉聰りゅうそう光極殿こうきょくでんに臨んで晋の君臣に見え、司馬業は叩頭して拝礼した。

 傍らの鞠允は慟哭して立てず、劉聰は怒って言う。

「それほど哭するならば、何ゆえに生きて此処に来たのか」

 兵士に命じて捕らえさせようとすると、鞠允はようやく拝礼した。


 ※


 長安を陥れた軍功により、劉曜は大宰たいさい都督ととく陝西せんせい諸軍事しょぐんじに任じられ、軍権の所在を示す節鉞せつえつを假されて長安に鎮守することとなった。

 二年の後、司馬業は獄中で自殺し、劉聰はそれを知ると溜息を吐いて屍を葬り、懐安侯かいあんこうの爵を贈った。享年十八であった。


 ※


 長安の失陥は西晋の建興六年(三一六)十一月、蜀漢が滅亡した炎興元年(二六三)十一月より実に五十三年を閲していたことであった。



─『続三国志演義Ⅲ─通俗續後三國志後編─』につづく─

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