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第七十三回 苟晞は東海王の罪を訴う」への応援コメント


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    ついに東海王・司馬越が死に、八王も全滅。八王の乱も完全終了です。
    と同時に、中原一帯の西晋の勢力は消耗してしまいました。

    司馬熾が司馬越と対立するのは、皇帝としての司馬熾の立場としては分かるのですが、このような外患が迫っている最中に、苟晞に司馬越を攻撃させるのは余りにも行き過ぎという感じは受けます。司馬熾にしても、八王の乱の影響と皇帝権力の確立への焦り、兄弟たちや腹心を殺した司馬越への憎しみで目が眩んだ状況であったのでしょう。

    このような状況では軍事力も名門出身ですらない苟晞に急激に一本化するはずもありません。大将軍・大都督・青徐兗豫荊揚六州諸軍事にしたとしても司馬睿らが従うはずがないのです。河東さんがお話された通り、このような官職は人治的なもので、従うものがいなくては、ほとんど意味がありません。

    王衍ら貴族勢力もこのことで司馬熾とは両立できないと考えたと思われます。もはや、江南に強い勢力を持つ瑯邪・王氏からも見捨てられました。長安の司馬模は司馬越の弟、建康の司馬睿も司馬越の党派。劉琨すら、劉輿が兄弟であり、司馬越の党派です。頼りは苟晞と張軌しかいません。これは、非常に洛陽が危うい状況です。

    司馬氏のリストも変更です。八王がいなくなり、司馬氏の残りは四人。もう、人物を整理するためのリストの意味があまりなくなっています。

    (帝室)
    懐帝:司馬熾
    皇太后:羊献容
    皇后:梁蘭璧
    執政:司馬越→司馬熾・王衍

    (八王)
    ✕ 東海王・司馬越
    汝南王・司馬亮(死亡)
    楚 王・司馬瑋(死亡)
    淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり
    趙 王・司馬倫(死亡)
    梁 王・司馬肜(死亡)※八王にいれる説あり
    斉 王・司馬冏(死亡)
    長沙王・司馬乂(死亡)
    成都王・司馬穎(死亡)
    河間王・司馬顒(死亡)

    (親王公)
    瑯琊王・司馬睿
    南陽王・司馬模
    予章王・司馬熾 → 皇帝へ
    東平王・司馬楙
    新野王・司馬歆(死亡)
    東安王・司馬繇(死亡)
    范陽王・司馬虓(死亡)
    東瀛公・司馬騰(死亡)
    呉 王・司馬晏(死亡)
    清河王・司馬覃(死亡)

    【追記】
    >これなら天下なんか取らずに河内温の名家として
    >存続していた方がよほどマシだったんでは。。。

    本当、そうでしょうな。結果としてこれだから、真・三国無双というゲームの司馬親子(司馬懿・師・昭)称賛を見ても全然共感できません。

    司馬親子と司馬炎は、八王たちの問題とは切り離して評価すべきという意見がネットでは増えていますが、今のところ全く賛同できませんね。

    >実は個人的に好きでして、この時期では
    >上司にしたくない男性No.1間違いなしです。
    >でも、通鑑を読んでいた時は応援してました。
    >なんか魅力があるのです。

    私も續三國志演義を読んで、十六傑では、苟晞が気に入りました。以前話していたのは、ちょっと記憶違いで、世説新語のエピソード紹介が歴史解説書にあって祖逖・劉琨だけは十六傑で知っていたのですが、意外な人物が活躍して驚きましたね。祁弘がいないと優秀かどうかも分からない王浚と違って、キャラも立っていると思います。

    >降って王彌と江南を攻める姿は見てみたい。
    劉淵が長生きしたらありえなくもなかったかもしれません。

    劉弘が長生きしていれば、西晋は滅びなかったかもしれない。そう思わせるものがありますな。杜預より劉弘の方が、羊祜の後継者にふさわしいです。

    【再追記】
    >杜氏の本貫の京兆杜陵は前漢の
    >韋賢、韋玄成父子に始まる韋氏の本貫地でもあり、

    京兆杜陵は韋氏・杜氏は唐代伝奇好きとしては特別な思い入れがあります。唐代伝奇は特別な背景説明がなくとも、主人公は韋姓・杜姓が多く、これは韋氏・杜氏を想起させるようになっているのです。杜子春はその例ですね。崔姓は自動的に、博陵か清河の崔氏ですね。

    >史実に沿った再評価は多様な視点を提供してくれますから、
    >歓迎なんですけど。

    積極的に朝廷が親王を排除しようとしたわけなく、異民族の支配が行われる前なのに、あんなことをやる西晋の司馬氏の行動を、司馬昭や司馬炎の所為ではなく、司馬炎死後の制度や寒族、公論や政治のあり方だけに起因するという考え方は、どうでしょうか? 八王の場合、十分過ぎるほど、彼らの意志で関与していますからね。司馬昭や司馬炎時代にそのような思想が生まれていたと考えるのが自然な気がします。

    【再追記を受けて】を受けて
    ありがとうございました。これ以上は長くなりすぎるので(笑)、また、次の機会にお願いします!

    作者からの返信

    【〆】
    楽しくて長くなり過ぎました(笑)
    こういう仮説に史実をぶつけて検証するのが歴史の愉しみですよね。
    史書を読む歓びでもあります。
    またゆるりと。


    【再追記を受けて】

    〉唐代伝奇は特別な背景説明がなくとも、主人公は韋姓・杜姓が多く、これは韋氏・杜氏を想起させるようになっている

    『唐代伝奇』には芥川龍之介『杜子春』の元ネタがありますね。杜陵は長安に近く、伝奇作者が長安住まいだったとすると、土地勘もあって扱いやすかったでしょう。ちなみに、杜氏や韋氏は名家ですが最高峰ではなかったようです。


    〉博陵か清河の崔氏ですね。

    こちらは最高峰の名家。

    唐代の『貞観氏族志』や『元和姓纂』あたりは北魏代の鮮卑名門と漢人名家を秩序つけようとした政策を踏襲しており、面白いなあと思います。
    唐代は李氏を頂点とするピラミッドの構築が目的だったんでしょうけど。。。そういう点でも漢人と鮮卑の融合は進んでいたわけです。


    〉あんなことをやる西晋の司馬氏の行動を、司馬昭や司馬炎の所為ではなく、司馬炎死後の制度や寒族、公論や政治のあり方だけに起因するという考え方は、どうでしょうか?

    端的に言えば、どっちもどっちですかね(笑
    少し長くなりますが思考実験をしてみますね。

    司馬昭と司馬炎に帰責する場合、なぜ司馬昭や司馬炎の在世中には親王たちのそのような行動がなされなかったのか?という点が問われます。

    魏から晋に変わる際に全てが変わったわけではない。必ず前代の制度に基づいて手直ししています。隋は北周ではなく北齊の法制を採用したことは有名ですね。
    同様に皇帝という機関のトップが交代した際、制度が劇的に変わった可能性は低いと考えます。
    祖宗の法を重視する考え方は、儒教思想にあっては一種の普遍性を持っているからです。がらっと変えると孝の観点から道徳性を問われます。また、儒教思想は基本的に変化を嫌う性格を持ちます。儒者=守旧派と言ってもよいでしょう。

    そうなると、司馬炎と司馬衷の治世において、それほど劇的な制度や体制の変化はなかったと推論されます。あまり変わらない。

    また、官界は曹丕の禅譲や高貴郷公の殺害を受け、かなり殺伐とした下剋上の時代であったと見られます。
    思うに、清談の流行や隠遁思想の萌芽は、危険な官界から距離を取る必要があった豪族層の処世術でもあったはずです。清談や隠逸は単なる思想ではありません。一方においてはきわめて政治的行為と解されます。

    そうなると、晋の官界の緊張感は魏よりもさらに高まっていたと観るのが妥当と考えます。親王たちでさえその緊張感の中にあったはず。
    司馬炎がやたら寛容だった理由はこのあたりにあるのではないかと推測します。

    以上が前提です。

    それにも関わらず、先代には起きなかった、または目立たなかった問題が次代に噴出する。それは制度というより運用の問題であったと考えるのが合理的であると言えます。

    親王が自らの意志により行動したとしても、外部要因を排除して思想のような内部要因だけでは行動原理の説明としては十分ではない、と考えます。

    司馬昭や司馬炎はそんな状況にあっても、問題を顕在化させない運用に務めていた。だから、親王たちは外部要因を欠いて行動できなかった。

    一方、暗愚と言い切っていいのか、嵆紹の逸話を考えると韜晦していたのかも知れない司馬衷は、むしろ清談に耽って官界の危険を避けようとしていた豪族層に近い意識の人だったかも知れない。
    そうなると、原理を理解して制御していた司馬昭や司馬炎に比して、原理を理解せず現象に適応してしまった司馬衷の運用は低レベルに止まったと理解せざるを得ず、西晋初めの不幸は皇帝を含むトップ層が思想、制度をうまく運用できなかった点にあると捉えられます。

    その結果、厳しい緊張感の中に置かれていた親王たちが外部要因を手に入れて暴発したとして、その責をいずれに帰するべきか。

    運用できない司馬衷に継がせた点では司馬炎に問題があり、思想や制度を軟着陸させられなかった点では司馬昭と司馬炎の二人に責がある。
    しかし、権限を与えられたにも関わらず、運用をこなせなかった点では司馬衷に責を帰さざるを得ない。

    後は、いずれが主因であるかという評価の問題であり、明確な論証をなし得る史料の出現がない限りにおいてはいずれに帰責するのも評価の相違に過ぎず、通説として支持されるには至らない、というのが現時点での結論になるかと思います。

    西晋は専門外なので、史料の裏打ちを欠いた思考実験に過ぎませんが、完全に否定するだけの材料はないんじゃないかと思います。
    どんなもんでしょうか?





    【追記を受けて】

    〉真・三国無双というゲームの司馬親子(司馬懿・師・昭)称賛

    まあ、ゲームは所詮ゲーム(ヘイトスピーチ?)、面白ければ自由でいいと思いますが、真に受けるのは困りものですね。ゲームDE真実か。。。司馬懿・司馬師・司馬昭と八王より、ゲームと史実を切り分けて欲しいところです。
    史実に沿った再評価は多様な視点を提供してくれますから、歓迎なんですけど。


    〉十六傑では、苟晞が気に入りました。

    わりと優遇されてるようですね。汲桑に襲われてもうまく切り抜けましたし。しかし、終わりをよくしなかったのが残念。。。いいキャラなんですけどね。今風に言えばサイコパスっぽくて。


    〉王浚

    通鑑では苟晞と並ぶ存在感で、さすがでした。ただ、作中でキャラがイマイチ立たなかったのは残念でした。もう少しカッコよくしてもよかった気がします。


    〉劉弘が長生きしていれば、西晋は滅びなかったかもしれない。

    早い段階で荊州から召還して御史や尚書に任じたらどうなったか。荊州は洛陽から遠くないので、十分に制御下に置けた気がします。軍制にも手をつけたはずですから、八王もあそこまで放埒にはなれなかったかも知れません。勿体ない。。。やんぬるかな、ですね。


    〉杜預

    オマケ気味ですが、この人はホントにマシーンって感じです。人間味皆無、趣味は左伝。。。祖父の杜畿、父の杜恕もそうですが、能吏の家系です。
    ちなみに、杜氏の本貫の京兆杜陵は前漢の韋賢、韋玄成父子に始まる韋氏の本貫地でもあり、南北期の韋叡、韋孝寛の出自でもあります。
    多士済々でありますね。





    こんばんは。

    長々続いた八王の乱も終結!
    と煽るには呆気ない終わり方でした。。。趙王司馬倫に始まる乱は、作中では呉滅亡を恨んだ瑯琊の孫秀の陰謀とされるわけですが(笑)、復讐は成就したと言えましょう。

    何しろほとんど誰も残ってない。
    これなら天下なんか取らずに河内温の名家として存続していた方がよほどマシだったんでは。。。


    〉司馬熾

    作中においては優れた君主とされていましたが、頽勢ここに至って何をかいわんや、大廈は一柱にて支える能わず。司馬越も悪手を重ねて自滅に近いです。つーか、司馬越は嫌われてますね。ヒドイ扱いです。


    〉苟晞

    寒門出身の能吏である彼のような人こそ、「力こそパワー」の北朝異民族王朝に最適な人材なのですが、果たして晋を捨てて漢に降ったりできるか?そんなタマじゃないと思いますけどね。いやー、降って王彌と江南を攻める姿は見てみたい。
    実は個人的に好きでして、この時期では上司にしたくない男性No.1間違いなしです。でも、通鑑を読んでいた時は応援してました。なんか魅力があるのです。


    〉王衍

    完全に逃げ遅れた感アリアリではありますが、こちらも晋に殉じざるを得ない雰囲気、大丈夫?(棒
    というか、作中では貴族層はほとんど影響がない扱いでした。強いて言うならバカ代表。扱いの軽いこと軽いこと、山簡や王澄は荊州でボロクソ言われてましたね。晋対漢の構図が崩れるからかも知れません。

    前任の劉弘が凄まじかったのもありますが、ホントこの人なんなんだろう。。。武帝司馬炎のご学友、名将羊祜に後継指名スレスレに評価され、張華に引かれて幽州に出鎮し、張昌の大反乱を平定して荊州に着任、徳によって統治して称賛された。。。マンガみたいな完璧超人。ちょっと類を見ません。長生きしたらだいぶ歴史が変わっただろうになあ。


    まめさんにまとめて頂いた人物リストの生存版は以下の通りです。忘れないように挙げておきます。
    (何を期待している。。。)

    第六十八回 陳頵は上書して王導に贈る
    (瑯邪王家の五虎)
    王衍
    王導
    王敦
    王澄
    王含
    (諸・瑯邪王氏)
    王彬

    名門中の名門、瑯琊の王氏のみなさま。東晋成立に深く関与しながらも、必ずしも忠誠心が厚いとは言い難い方々です。王導と王敦さえ見ておけばよい、という節もあります。この二人は東晋初期の巨星ですからね。他は眩むというものです。


    第五十一回 甘顧の諸賢は陳敏を誅す
    西晋十六傑(十四路諸侯+二)
    ✕ 征西大元帥・陸機
    ✕ 荊州刺史・劉弘
    西涼刺史・張軌
    幽州惣官・王浚
    ✕ 揚州刺史・陳敏
    幷州刺史・劉琨
    廣州刺史・陶侃
    青州刺史・苟晞
    ✕ 豫州刺史・劉喬
    樂陵太守・邵續
    滎陽太守・李矩
    ✕ 雍州刺史・劉沈
    順陽太守・張光
    ✕ 武威太守・馬隆
    南平太守・應詹
    南中郎将・祖逖

    前作の晋漢大戦に参加した十四路諸侯、元帥だった陸機と南中郎将の祖逖を加えたものです。ちなみに、よくよく見直すと瑯琊王の麾下に王導と祖約がいたりして、あっ!て感じ。
    ちなみに、読み返すと『続三国志II』の登場人物はたいていおります。もっと見せ場をプリーズ!


    第六十八回 陳頵は上書して王導に贈る
    (元帝十六翼士)
    顧榮
    周玘
    甘卓
    賀循
    卞壷
    紀瞻
    劉遐
    戴淵
    刁協
    庾亮
    周訪
    周顗
    劉隗
    桓彝
    郗鑒
    (未登場)

    こちらは建康に入った瑯琊王司馬睿に従ったみなさん。必ずしも江南豪族ではありません。桓彝と郗鑒あたりは色々と後世への影響が大きいです。
    郗鑒は劉琨、祖逖と並んで男児的に燃える要素が多い気がしますね。ともに乱世向きな方々です。
    卞壺もいいですね。忠烈。この人も江南豪族じゃない。

    最後が気になりますが、そもそも登場が遅いっぽいので仕方ないですねー誰なんだろうなー(チラッ

    編集済