第七十二回 坦延は詐り降って劉曜を破る
晋主の
「今は危急の際にあり、漢賊を退けるには計略を用いねばなりません。聞くところ、
「漢賊には知恵者も多い。見破られるのではないか」
「坦延に任せるのが良策です。劉曜の軍勢は弘農に近づいており、降れば坦延が進退に窮したものと思いましょう。疑念を持つはずもありません。計略を行うには、どこかで思い切るよりないのです」
晋主はその策を容れて王脩を坦延の許に向かわせた。王脩は密かに城を出ると坦延がいる弘農に向かい、詔を宣した。
「卿は遠路を辞せず勤王に務めており、朕はその忠義を嘉する。ただ、賊勢は猖獗を極めて退け難い。
▼「麒麟閣」は『
坦延は詔を受けると王脩に問うた。
「聖上は
▼「下官」は位の低い者が上意の者に対して用いる自称。
「偽って漢賊に降り、内応して頂きたい。十日のうちに吾らは出戦して漢賊の軍営に攻め寄せる。その際、営中に火を放てば漢賊どもは必ず乱れよう。吾らはその混乱に乗じて斬り込みをかけ、賊を退ける」
「下官が出兵したのは忠義を尽くして国恩に報じるため、ただ、孤軍で力戦しても賊を退けられません。内応を命じられるのであれば、必ずやり遂げて御覧に入れます。聖上と
王脩はその言葉に頷くと、復命すべく洛陽に戻っていった。
※
それより坦延は素服に着替えると、弘農の府庫を開いて銭穀を牽き出した。それらの荷を積んだ行列の先頭に立ち、劉曜がいる漢の軍営に向かう。軍門を前に拝礼すると、漢兵は劉曜にその旨を告げ報せた。
「お前は何者であるか」
軍門に姿を現した劉曜が問うと、坦延が答える。
「臣は晋の弘農太守の坦延と申します。先に聖上より詔を受けて洛陽の救援に向かおうとしたところ、外鎮からは一兵一馬の来援もなく、洛陽の失陥が旦夕にあると知りました。その上、大王の大群が此処にあっては臣になす術はなく、弘農の軍勢と糧秣を報じて寛大なるご処置を願うものであります。大王におかれてはこれらの銭穀をお納め下さいますよう、伏してお願い申し上げます」
劉曜は坦延の投降が計略であるとは夢にも思わず、糧秣を収めると坦延を
◆「僉軍」は『
坦延の様子を見た劉曜は、晋人の心はすでに司馬氏より離れて外援も到るまいと考え、洛陽の城門の包囲を始めた。ただし、内応があると観て厳しく攻め打たず、ただ城門を囲むに止めていた。
※
それより八、九日ほど過ぎた頃、忽然として大風が吹き荒れた。
劉曜は諸将を召して言う。
「この大風に乗じて攻めかけるのがよかろう。火器で焼き払えば家屋が密な洛陽は只では済まぬ」
「この風は不祥です。諸将は軍営を厳しく守って敵に陥れられぬよう務めねばなりません。妄りに攻めかけてはならぬのです」
「晋人どもは吾らを虎のように畏れておる。計略をしかける者などあるまい」
「敵に驕っては陥れられます。そのことは先の戦で主帥(劉曜)もよくよくご承知のこと、ここは謀主(姜發)の言に従い、敵の計略を防ぐことに専念すべきです」
さすがの劉曜も意を変じ、出戦は取り止めとなった。諸将は散会するとその夜は鎧を解かずに休んだ。
※
日が落ちて一更(午後八時)になる頃、洛陽の
漢将たちは慌てて馬に上り、敵を迎えようとした。しかし、月もない暗夜で見通しも利かず、どこに敵がいるかも分からない。
姜發が叫ぶ。
「打って出れば敵に陥れられよう。軍営の守りを固めて一歩も出てはならぬ」
諸将はその命を守って軍営の篝火に寄ってただ守りを固めた。
後軍にある坦延は麾下の兵に命じて集めた草柴を糧秣や幕舎の傍らに置き、火を放たせる。
「晋兵が背後から攻め寄せてきたぞ」
燃え広がった頃合を見ると、漢の軍営に潜む晋兵たちが叫んだ。
洛陽からの攻撃に備えていた漢兵たちが慌てて陣後に向かうところ、すでに坦延が引き込んだ賈胤の軍勢が後軍を襲っている。坦延も家将の
漢将たちは後軍が襲われていると知ると浮き足立ち、張驥や何倫をはじめとする六将は軍営の守りを破って攻め入った。大風は吹き止まず、後軍で起こった火は煽られて糧秣を盛大に燃やし、さらに幕舎も炎上してあたりを昼のように照らした。
漢兵は暗闇に潜む晋兵に狙い撃ちにされて次々に討ち取られ、ついに潰走を始める。漢将たちも糧秣を焼かれては再起を期しがたく、それぞれ軍営を捨てて落ち延びていった。
何倫と張驢の二将は逃れ去る劉曜の後を追う。劉曜は
姜發が劉曜の衣を掴んで言う。
「太子の軍営の糧秣は限られます。吾らを受け入れては留まれません。さらに、後ろに晋兵があってはいつ何時追い打たれるかも分かりません。まずは軍勢を返して晋兵を退け、それから
「吾は三度に渡って洛陽を攻め、一度も勝っておらぬ。何の面目があって平陽にある主上に顔をあわせられようか」
「昔、管仲は三度戦って三度敗れても恥とせず、ついに天下に覇となったのです。この度は時の利を得られなかっただけのこと、恥と思うにも及びません」
姜發に説得されて劉曜は翻意し、
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