二十三章 巨星堕つ

第七十一回 劉曜は兵を率いて洛陽を攻む

 漢主の劉淵りゅうえんは、劉霊りゅうれい曹嶷そうぎょくを遣わして幽冀の二州と東平とうへいに向かわせた。その後、河南かなんに人を遣って劉聰りゅうそう許昌きょしょう洛陽らくようを侵させ、劉曜りゅうようを長安に向かわせて晋の兵勢を割こうと企てた。

「劉霊と曹嶷の復命を待って命を発しても、遅くはありますまい」

 陳元達ちんげんたつはそう言って諌め、事は沙汰止みとなった。

 それより百日ほどが過ぎ、幽州からは王浚おうしゅんの計略により劉霊と呂鐘りょしょうが戦死したとの報が入り、さらに東平からの使者は、苟晞と戦った汲桑と呂律りょりつが炎に身を投じて落命したと報せた。

「王浚と苟晞めは吾が四大将を殺しおったか。この怨みに報いずには済まさぬぞ。朕が自ら十軍を率いて出兵し、王浚を生きながら擒として苟晞の首級を挙げ、はじめて怒りは鎮められよう」

 劉淵が怒って叫ぶと、右丞相ゆうじょうしょう諸葛宣于しょかつせんうが諌めて言う。

「王浚は北の幽州に拠って鮮卑せんぴ拓跋たくばつ猗盧いろ蘇恕延そじょえんと結んでおります。また、ぎょうの苟晞は兗州えんしゅう青州せいしゅうに腹心を置いて孤立を避け、その上、智謀に秀でます。いずれも容易い敵ではありません。古より、怒りを抑えられねば大業は成らぬと申します。陛下におかれましては、しばらく兵威を養って時を待ち、時勢が至れば一鼓に洛陽を落とされるのがよろしいでしょう。洛陽が陥れば晋の州郡は自ずから乱れます。その隙を突いて河南を奪い取れば、中原は大漢の有に帰しましょう。にわかに事を挙げて兵馬を損なってはならず、まして龍体は平陽の宮城を離れてはならぬものです」

「それならば、劉曜に命じて十万の軍勢とともに洛陽に向かわせ、石勒せきろくも同じく十万の軍勢とともに許昌に向かわせよ。司馬越しばえつを討ち取って晋の片腕を奪うのだ」

「なりません。洛陽を示す帝星ていせいはいまだ光を失っておらず、司馬越は軍勢を発さずとも自ずから敗亡いたします。しばらくはその変事を待って軍勢を動かしてはならぬのです」

 諸葛宣于が言葉を尽くして諫言するも、劉淵はその言を納れない。ついに劉曜を主帥に任じて姜發きょうはつを謀主とし、関謹かんきんと関山を左右に劉景りゅうけいを後詰とする軍勢を洛陽に向かわせる。さらに、洛水関らくすいかんの劉聰に人を遣って五千斛ごせんこく(約107.3kℓ)の糧秣を送り、洛陽で劉曜と会するよう命じる。

◆「洛水関」という語は用例がない。「洛水浮橋」という用例はあり、『後漢書ごかんじょ張純傳附張奮傳ちょうじゅんでんふちょうふんでんの注には、「津城門しんじょうもん洛陽らくようの南面の西門なり。洛水の浮橋に當れり」とあり、洛陽の外城の南西門を津城門と呼び、ちょうど洛水にかかる橋に面していたことが分かる。ここでは、その洛水浮橋の西、洛水に面したところに劉聰の軍営があったと考えるよりない。

 また、襄國じょうこくにも人を遣わして石勒を上党公じょうとうこうに封じるとともに、許昌への出兵を命じた。


 ※


 劉淵の命を受けた劉曜は、十万の軍勢を率いて平陽を発し、一路洛陽を目指して進む。郡縣からの飛報が洛陽に入り、漢の出兵を知った晋帝の司馬熾しばしは文武の官を召して事を諮る一方、人を遣わして東海王とうかいおうの司馬越を洛陽に召し出した。

 王衍おうえんが進み出て言う。

「先に漢賊どもが二度に渡って洛陽を冒しましたものの、大敗を喫して逃げ帰っております。懼れるに足りません。前衛ぜんえい将軍の曹武そうぶを先鋒に任じて漢賊を防がせればよろしいでしょう。後衛ごえい将軍の張騏ちょうき中衛ちゅうえい將軍の張驥ちょうきをその両翼とし、右衛ゆうえい将軍の賈胤かいんに三万の軍勢を与えて賊の援軍を阻ませれば、漢賊は手もなく敗れましょう。そうなれば、漢賊どもは二度と洛陽に攻め入ろうなどとは思いますまい」

 司馬熾はその言を納れて曹武、張騏、張驥、賈胤の四将を召しだした。印綬を与えると禄秩を増し、曹武に五万の軍勢を授けて宋抽そうちゅう彭默ほうもくを副将に任じ、先鋒として漢兵を防ぐように命じる。この曹武は曹洪そうこうの孫であり、曹操が使った七保刀しちほとうを得物とする。

 戦場で兵機を使う者がこの七保刀に遭うと、なぜか壊れて使い物にならなくなる。そのことから、曹武は自らを無敵将軍と呼ばせていた。

 詔を受けた曹武は洛陽から州境に向かい、漢兵が向かっていることを探り出すと進軍を阻むべく軍営を置いた。


 ※


 翌日、劉曜が率いる漢兵が州境に到ると、曹武は軍営を出て平野に布陣する。劉曜は陣頭に馬を進め、その左には関謹、右には関山、前に劉厲りゅうれい、後を関防が囲む。その他の将たちは左右に披いて並んだ。

 劉曜が呼ばわれば、晋の陣が披いて砲声とともに曹武も陣頭に進み出る。

「晋将の名は何という者か。今や晋朝は将帥を欠いて兵威も弱い。すみやかに洛陽を明け渡すがよい。吾が主上に願い出て晋主を安楽公あんらくこうに封じて生命を全うさせてやろう。さもなくば、城池を打ち破って城内の玉石を分かたず焼き払う。そうなっては殺戮を免れようと願っても叶わぬぞ」

「お前たちは先にも洛陽に攻め寄せたが、命からがら脱げ出したではないか。今になってそのような大言を吐くとは恥を知らぬのか。先の敗戦を思い返し、馬より下りて投降すれば、命だけは許してやろう」

 曹武が言い返すと、劉曜の背後にある関謹は大いに怒り、青龍の大刀を振るって晋陣に斬り込んでいく。曹武は二本の宝刀を抜きつれて大刀を阻み、陣前に戦うこと三十合を瞬く間に過ぎる。曹武は宝刀の力で大刀を壊して関謹を討ち取ろうと隙を窺う。しかし、関謹が振るう大刀は風のように舞って架け止められない。

 いよいよ曹武が危うくなると、晋陣より宋抽と彭默が馬を拍って加勢に向かう。一方の漢陣からは竹節の銅鞭を振るう劉曜が飛び出した。この時、劉厲と関心も一斉に飛び出し、陣前は混戦模様となった。半時(一時間)も経ずに宋抽は関謹の一刀を受けて馬下に斬りおとされ、動揺した彭默も関山に討ち取られる。曹武は二将の戦死を見ると馬を返して洛陽に向かった。

 漢将はその後を追って洛陽に攻め込もうとするも、張騏兄弟の軍勢が到着したために曹武はその先に逃れ去る。

「漢賊ども、逃げようとしてももう遅い。命を捨てる覚悟を決めよ。張志遠ちょうしえん(張騏、志遠は字)将軍が見参である」

 関防が大刀を振るって斬りかかれば、張騏は鎗を捻って架け止める。関防と張騏は武芸に秀でた好敵手、一心に戦うこと四十合を超えてもまだ勝敗を見ない。弟の張驥も加勢に飛び出したものの、同じく加勢に向かう関謹と行き合った。

 関防と張驥が馬を合わせて戦うこと数合、そこに賈胤の軍勢が攻め寄せて漢兵の前進を阻んだ。

「晋将どもはただ力攻めで吾らを止められると思い込んでおる。今をおいて何時、敵陣を突き破るというのか」

 陣頭の劉曜が鞭を振るって叫ぶと、劉厲や関山たちも一斉に軍勢を進める。十人を越える漢将を四人の晋将では支えきれず、晋兵たちは総崩れとなって潰走をはじめる。漢兵は勝勢に乗じて追い討ちに討ち、夜を徹して七十里(約40km)も休まず走りつづけた。

 翌日の辰の刻(午前八時)、漢兵は洛陽城下に到って軍営を置いたことであった。

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