二十三章 巨星堕つ
第七十一回 劉曜は兵を率いて洛陽を攻む
漢主の
「劉霊と曹嶷の復命を待って命を発しても、遅くはありますまい」
それより百日ほどが過ぎ、幽州からは
「王浚と苟晞めは吾が四大将を殺しおったか。この怨みに報いずには済まさぬぞ。朕が自ら十軍を率いて出兵し、王浚を生きながら擒として苟晞の首級を挙げ、はじめて怒りは鎮められよう」
劉淵が怒って叫ぶと、
「王浚は北の幽州に拠って
「それならば、劉曜に命じて十万の軍勢とともに洛陽に向かわせ、
「なりません。洛陽を示す
諸葛宣于が言葉を尽くして諫言するも、劉淵はその言を納れない。ついに劉曜を主帥に任じて
◆「洛水関」という語は用例がない。「洛水浮橋」という用例はあり、『
また、
※
劉淵の命を受けた劉曜は、十万の軍勢を率いて平陽を発し、一路洛陽を目指して進む。郡縣からの飛報が洛陽に入り、漢の出兵を知った晋帝の
「先に漢賊どもが二度に渡って洛陽を冒しましたものの、大敗を喫して逃げ帰っております。懼れるに足りません。
司馬熾はその言を納れて曹武、張騏、張驥、賈胤の四将を召しだした。印綬を与えると禄秩を増し、曹武に五万の軍勢を授けて
戦場で兵機を使う者がこの七保刀に遭うと、なぜか壊れて使い物にならなくなる。そのことから、曹武は自らを無敵将軍と呼ばせていた。
詔を受けた曹武は洛陽から州境に向かい、漢兵が向かっていることを探り出すと進軍を阻むべく軍営を置いた。
※
翌日、劉曜が率いる漢兵が州境に到ると、曹武は軍営を出て平野に布陣する。劉曜は陣頭に馬を進め、その左には関謹、右には関山、前に
劉曜が呼ばわれば、晋の陣が披いて砲声とともに曹武も陣頭に進み出る。
「晋将の名は何という者か。今や晋朝は将帥を欠いて兵威も弱い。すみやかに洛陽を明け渡すがよい。吾が主上に願い出て晋主を
「お前たちは先にも洛陽に攻め寄せたが、命からがら脱げ出したではないか。今になってそのような大言を吐くとは恥を知らぬのか。先の敗戦を思い返し、馬より下りて投降すれば、命だけは許してやろう」
曹武が言い返すと、劉曜の背後にある関謹は大いに怒り、青龍の大刀を振るって晋陣に斬り込んでいく。曹武は二本の宝刀を抜きつれて大刀を阻み、陣前に戦うこと三十合を瞬く間に過ぎる。曹武は宝刀の力で大刀を壊して関謹を討ち取ろうと隙を窺う。しかし、関謹が振るう大刀は風のように舞って架け止められない。
いよいよ曹武が危うくなると、晋陣より宋抽と彭默が馬を拍って加勢に向かう。一方の漢陣からは竹節の銅鞭を振るう劉曜が飛び出した。この時、劉厲と関心も一斉に飛び出し、陣前は混戦模様となった。半時(一時間)も経ずに宋抽は関謹の一刀を受けて馬下に斬りおとされ、動揺した彭默も関山に討ち取られる。曹武は二将の戦死を見ると馬を返して洛陽に向かった。
漢将はその後を追って洛陽に攻め込もうとするも、張騏兄弟の軍勢が到着したために曹武はその先に逃れ去る。
「漢賊ども、逃げようとしてももう遅い。命を捨てる覚悟を決めよ。
関防が大刀を振るって斬りかかれば、張騏は鎗を捻って架け止める。関防と張騏は武芸に秀でた好敵手、一心に戦うこと四十合を超えてもまだ勝敗を見ない。弟の張驥も加勢に飛び出したものの、同じく加勢に向かう関謹と行き合った。
関防と張驥が馬を合わせて戦うこと数合、そこに賈胤の軍勢が攻め寄せて漢兵の前進を阻んだ。
「晋将どもはただ力攻めで吾らを止められると思い込んでおる。今をおいて何時、敵陣を突き破るというのか」
陣頭の劉曜が鞭を振るって叫ぶと、劉厲や関山たちも一斉に軍勢を進める。十人を越える漢将を四人の晋将では支えきれず、晋兵たちは総崩れとなって潰走をはじめる。漢兵は勝勢に乗じて追い討ちに討ち、夜を徹して七十里(約40km)も休まず走りつづけた。
翌日の辰の刻(午前八時)、漢兵は洛陽城下に到って軍営を置いたことであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます