第六十八回 陳頵は上書して王導に贈る
瑯琊王は余暇に王導に嘆いて言う。
「晋室は不幸にも自ら損ない、西の
祖逖が答えて言う。
「晋室の乱れは民が叛いて間隙を生じたものではありません。ただ、上に立つ者が統治に道を失い、親王は相争って内乱に疲弊したのです。北漢はその隙に乗じて地を広げたに過ぎません。諸鎮を正しく統制して放埓を許さず、辺境の防備を固めて外敵の侵攻を防ぎ、民を安寧ならしめるのが肝要です。家が安定していれば人は危険を冒そうとはせぬものです。まずは臣の如き敢死の士を募って中原の州郡を恢復すれば、豪傑は風を望んで勤皇の挙に応じましょう。その時こそ晋室の中興が成し遂げられるのです」
「孤は家国の多難を克服できず、力が及ばぬことを悔いて鬱々とするばかりであった。今、卿の言を聞いて目の前が開けたようだ。これよりは意を中原の恢復に尽くして宗廟社稷を深く思って事を行おう」
瑯琊王はそう言うと、祖逖を
祖逖は自ら英雄を募って数日のうちに三千の精鋭を得ると、すぐさま長江を渡る。船が江の半ばまで来ると、
「祖逖は中原を清めて州郡を恢復するまで、この長江の波のように還ってはくるまい」
その言葉は強い決意を秘めていた。従う将兵もその言葉に決意を固め、
豫州では兵を屯田させて糧秣を積み、その間に練兵を繰り返す。百姓より奪うことなく生活を安定させたため、賊徒は征伐せずとも降り、多くの者たちが志願して兵役に従った。
その勢力は黄河の南を席捲して北は衛や鄴にまで届き、州郡の将吏はみなその命に従って税収を差し出す。
「
瑯琊王は祖逖の躍進を喜んでそう言うと、さらに鎮北大将軍の号を加えた。これよりその威名は響きわたり、北漢の軍勢も易々とはその領域を侵せなくなった。
祖逖が六郡を兼ねたと知り、
「吾は常に矛によって敵を待ち、梟雄たらんと胡族どもと戦ってきた。ただ、
※
その二人は、瑯琊王が祖逖に重任を委ねたと知ると、招聘に応じて建康に向かった。二人の訪問を受けた瑯琊王は召し入れて問う。
「ご両所の令名は夙に聞き及んでおるが、これまで顔を合わせる機会を得なんだ。今日その機会を得たのは幸いと言うべきであろう。この戦乱にあたって百姓は塗炭の苦しみに喘いでおる。二公は孤にどのようなことを教示頂けるだろうか」
周顗が言う。
「臣らが出仕の命を受けず、甘卓が委任を謝した理由は、齊王、成都王、河間王、東海王、南陽王の諸親王が遠謀を欠き、ただ嫉妬の心によって私党を樹て、漢賊を等閑にして骨肉の親と争ったがためです。このような有様では、敵を破ることもできず、枝を蝕まれた木のように根本も腐って倒れざるを得ません。誰も漢賊の平定を思わず、内に乱れて糧秣を無駄に費やしております。将兵を損じて国庫を空しくして、国運の長きを願ったとて得られるはずもありますまい」
「孤も久しくこの病を憂えておったが、力及ばず如何ともし難かった。ただ害に苦しんで意見を述べる機も得られぬ。そのため、傾覆せんとする国家を嘆いて溜息を吐くばかりである」
瑯琊王の嘆きに周顗が言う。
「大王が誠に賢人を求めて士人を礼遇し、英雄を麾下に収めて中原の恢復を図ろうとされるのであれば、荊州の重鎮に信任する者を派遣されるのがよいでしょう。糧秣を積んで府庫を支え、群盗を降して兵とすれば、一朝に事があった際には北伐の軍勢を起こして北漢を打ち破れましょう。これぞ千載一遇の機であっても、生かせねば意味がありません」
「江南の僻地によって公の言うような偉勲を挙げられるとは到底思えぬ」
桓彝が進み出て言う。
「江南は僻地ではありますが、項羽も孫呉もこの地から発したのです。呉越は春秋時代に覇業を成し遂げましたが、これは徳の軽重によるものであり、軍勢の多寡にはよりません。江南は水郷、大河の険によって長江と淮水の隘を塞ぎ、軍勢を練って糧秣を積んでおれば、北に向かって中原を恢復することも難しくはございません。鼎立の勢をなすことも掌を反すようなものです。どうして偉勲を立てられぬなどという懸念を要しましょうか」
瑯琊王はその言葉を聞くと、席を下りて二人に謝する。
「孤の心は久しく塞がれておったが、二公の議論を聞くより天下を澄清にする志を得た。願わくばすみやかに孤を輔け、足りぬところを正して欲しい」
桓彝がさらに言う。
「聞くところ、上流の荊州では賊徒が横行しているとのこと、これも討ち平らげねばなりません。江南で大業を成すには荊州が門戸となります。門戸の守りを疎かにしては、家の安きは望めません」
「朝廷より平定の命を受けておらぬ。どうして擅いままに軍勢を動かせようか」
「殿下は親王の身、国家のために賊徒を平定するにあたり、どうして朝廷の命を待つ必要がありましょうか」
「孤は東海王より恩を受け、その東海王が朝権を握って百官は命を奉じておる。孤が独断で軍勢を動かせば、猜疑を招くであろう」
瑯琊王がそう言って逡巡すると、桓彝と周顗が声を揃えて言った。
「東海王が権を専らにしているとはいえ、その識量は狭く、
▼「臨淄」は青州の治所、如何にも遠い。
瑯琊王はその言に励まされ、周顗を
桓彝は密かに周顗に言う。
「吾らは中原の乱を避けて江東に移り、自家を全うせんと図った。功業を成そうと図れば、瑯琊王の怯懦は明らか、どのように事を為したものであろうか」
そう言うところに、王導がその寓居を訪ねてきた。二人は王導と時事を論じてその言が理にあたると知り、時を過ごして日が暮れてようやく別れた。
桓彝は王導を送り出すと周顗に言った。
「吾らも彼には及ぶまい。瑯琊王の管仲を見るに、先々を憂える必要もなさそうだ」
※
それより数日の後、瑯琊王は名士を新亭に集めて宴会を開き、群賢はことごとく集った。周顗は盃を挙げると衆人の耳目を集めるべく、すすり泣いて言う。
「美しい風景に変わりはないが、目に映る山川は河北のものではない。どうにも心が休まらぬものだな」
言い終わるとはらはらと涙をこぼした。その場に居合わせた人々はいずれも顔を見合わせて同じく涙を流す。
王導は顔色を変えて言う。
「諸公は大王とともに力をあわせて河北を恢復するべきであるにも関わらず、どうして囚われ人のように涙を流していられるのか」
人々はいずれも涙を拭い去ると、謝して席より退いていった。
その場に居合わせた
「先に晋室が傾覆したのは、酒宴を好んで政事を怠ったからに他ならぬ。今また新亭にしばしば酒宴を開き、勲功を建てて河北を安定させることを誰も思ってはいない。好ましい状況であるとは言えぬ。まずはこの事を明かにするべきであろう」
そう言うと、書状を認めて王導に遣った。その書状の内容は次のようなものであった。
「中華の傾覆は人材の遣い方を誤ったことによります。つまり、虚名を重んじて実務を軽んじ、そのために浮華の徒が競い合うようになったためです。朝野を惑わす老荘の学に優れているという理由で人を推薦し、清談に優れた者を高尚として政事にあたる者を卑しみ、大患を招いて国体を壊したのです。今、遠く中原を制さんとされるのであれば、まずは近くより始めることが肝要です。徳を収めて民に厚くし、酒宴を省いて信賞必罰の意を明かにし、僻地であっても優れた人材があれば登用し、その後に大業は成りましょう。それでこそ、晋室の中興も成し遂げられようというものです。まずはこの事を朝野に審らかにすべきです」
一読した王導はその論に理があるとし、その書状を瑯琊王に呈する。瑯琊王も一読してその意を悟り、州郡に令を下して言う。
「官職にある者はまず職務を尽くすことを考えよ。鯨飲して度を失い、時ともなしに遊山に出かけ、老荘の学を崇めて清談に現を抜かし、国の法典をないがしろにする者は罪を問われるものと心得よ」
陶侃も上書して瑯琊王の節制に従う旨を申し出てきたため、瑯琊王は褒辞を与えた。また、王敦とともに
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