このエピソードを読む
2018年1月28日 20:19
久々の八王の乱! その第六幕ですな。中央の政権を握っても洛陽内に決死の士を養っている軍事的に優秀な指導者がいれば簡単にひっくり返せるという教訓を、司馬倫と司馬允の戦いから学んでいなかった司馬冏の失敗ですね。後伝でも史実でも、軍事力の時代になっているのに、いつまでも父の司馬攸を引きずっている司馬冏は時代遅れになっていました。史実では言いがかり臭い司馬冏の誅伐ですが、三国志後伝の世界では安全なところにいて兵糧を絶つという行為に出たので、こういう結果は仕方ないでしょう。死んだのは葛旟・董艾・路秀・劉眞・韓泰・衛毅の六人ということは、司馬倫との戦いで活躍した王義は生き残ったということでしょうか。字まで設定されていたのにフェードアウトはかなり荒削りな感じを受けます。(帝室)恵帝:司馬衷皇后:羊献容太子:司馬覃執政:✕司馬冏・司馬越→司馬乂・司馬穎(八王)✕斉 王・司馬冏長沙王・司馬乂成都王・司馬穎河間王・司馬顒東海王・司馬越汝南王・司馬亮(死亡)楚 王・司馬瑋(死亡)淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり趙 王・司馬倫(死亡)梁 王・司馬肜(死亡)※八王にいれる説あり(親王公)瑯琊王・司馬睿南陽王・司馬模呉 王・司馬晏范陽王・司馬虓東瀛公・司馬騰東安王・司馬繇新野王・司馬歆予章郡王・司馬熾東平王・司馬楙清河王・司馬覃→太子へ
作者からの返信
こんばんは。八王も少なくなりました。〉中央の政権を握っても洛陽内に決死の士を養っている軍事的に優秀な指導者がいれば簡単にひっくり返せるという教訓あー、これは確かにそうですね。クーデターが成功しやすい体制であり、結局は武帝の軍縮の結果、というわけです。郭欽や陶璜が諫言したのに。。。〉安全なところにいて兵糧を絶つという行為に出た分かりやすくワルモノと言うか、朝権を握ってはひっくり返されるの繰り返しになってしまい、その結果として権力奪取→劣化の繰り返しになっています。物語としては単調に感じてあまり良くないです。〉王義印象に残っていない。。。そもそも人が多過ぎる気が。。。人数に比してエピソードが少ないのが原因かも知れません。
久々の八王の乱! その第六幕ですな。中央の政権を握っても洛陽内に決死の士を養っている軍事的に優秀な指導者がいれば簡単にひっくり返せるという教訓を、司馬倫と司馬允の戦いから学んでいなかった司馬冏の失敗ですね。
後伝でも史実でも、軍事力の時代になっているのに、いつまでも父の司馬攸を引きずっている司馬冏は時代遅れになっていました。
史実では言いがかり臭い司馬冏の誅伐ですが、三国志後伝の世界では安全なところにいて兵糧を絶つという行為に出たので、こういう結果は仕方ないでしょう。
死んだのは葛旟・董艾・路秀・劉眞・韓泰・衛毅の六人ということは、司馬倫との戦いで活躍した王義は生き残ったということでしょうか。字まで設定されていたのにフェードアウトはかなり荒削りな感じを受けます。
(帝室)
恵帝:司馬衷
皇后:羊献容
太子:司馬覃
執政:✕司馬冏・司馬越→司馬乂・司馬穎
(八王)
✕斉 王・司馬冏
長沙王・司馬乂
成都王・司馬穎
河間王・司馬顒
東海王・司馬越
汝南王・司馬亮(死亡)
楚 王・司馬瑋(死亡)
淮南王・司馬允(死亡)※八王にいれる説あり
趙 王・司馬倫(死亡)
梁 王・司馬肜(死亡)※八王にいれる説あり
(親王公)
瑯琊王・司馬睿
南陽王・司馬模
呉 王・司馬晏
范陽王・司馬虓
東瀛公・司馬騰
東安王・司馬繇
新野王・司馬歆
予章郡王・司馬熾
東平王・司馬楙
清河王・司馬覃→太子へ
作者からの返信
こんばんは。
八王も少なくなりました。
〉中央の政権を握っても洛陽内に決死の士を養っている軍事的に優秀な指導者がいれば簡単にひっくり返せるという教訓
あー、これは確かにそうですね。クーデターが成功しやすい体制であり、結局は武帝の軍縮の結果、というわけです。郭欽や陶璜が諫言したのに。。。
〉安全なところにいて兵糧を絶つという行為に出た
分かりやすくワルモノと言うか、朝権を握ってはひっくり返されるの繰り返しになってしまい、その結果として権力奪取→劣化の繰り返しになっています。物語としては単調に感じてあまり良くないです。
〉王義
印象に残っていない。。。そもそも人が多過ぎる気が。。。人数に比してエピソードが少ないのが原因かも知れません。