その夜は雪だった。

 綿毛のような真白な雪が風のない錆びれた街角に舞い降りてくる。

 雪が降ると音を吸い取ると言うのは本当らしい。

 やけに静かな通りを暖かい部屋の中から見ていると、遠くに見える人工的な飴色のネオンライトがクリスマスなのだと教えてくれる。

 日中、タンシチューを食べた雪野はどうやら徹夜でパーティーの準備をしていたらしく、うつらうつらと舟を漕ぎ始め、パーティーの開始まで仮眠をとる様に勧めると、二階の自宅で夕方まで仮眠をとり真新しい真白なコック服を着てまた調理場に姿を現した。


 風呂上りなのか、仄かにシャンプーの匂いが香る。

 まだ髪が少し濡れている様にも見えた。


「おぉ……クリスマスっぽいですね……」


 雪野は装飾された店内を見て、目を瞠る。


「流石にツリーまでは用意出来なかったけどな。雪野さんのお店に合う様にアットホームな感じに仕上げてみましたよ」

「飾り付けはこのくらいで良い? お代官様」

「あぁ」

「人に買い出しまで行かせて、店中レイアウトさせといて、もうちょっと褒めてくれても良くね?」

「苦しゅうない。これをやろう」

「喧しいわ! それは俺がお前に付けようと思って買って来たサンタ帽!」

「そうか、ならこっちがお前のだな」


 黒須はそう言ってトナカイの角のカチューシャを篠田の頭に装着した。

 面長でどちらかと言えば鷲鼻の篠田は、その角が異様に似合う。


「……篠田さん、似合いますね」

「ちょ、雪野さんまで!」

「篠田、今度、苔を買ってやる」

「要らんわ!」


 まるで学生の文化祭の様に、男三人で調子の良い会話を繰り広げている所に、カランとカウベルの音が響いた。


「こんばんわ」


 小柄でグレンチェックのチェスターコートの下には、清楚感のあるYシャツに臙脂色のアーガイル柄のニットベストを着た初老の男が杖をついて立っていた。


「先生、お早いですね」

「黒須君のお願いですから、遅刻しては怒られてしまうと思って」

「俺が鬼みたいな言い方止めて下さいよ」

「君は怒ると怖いから」


 そう言いながらも初老の男は笑っている。

 黒須は先生のコートを預かり、寄り添う様にして一番奥の席まで案内する。

 彼が杖をついているのは年齢のせいでは無く、片足が不自由なせいだとその歩き方を見ればすぐに分かった。


「雪野さん、ご紹介します。藤井料理学校で理事をされている藤井先生です」

「は、初めまして……」

「黒須君の友達の、藤井です。今日はお招き有難う」

「こっちが同僚の篠田です」

「おや、サンタさんがトナカイさんを連れてやってきたのか」


 藤井は篠田が頭に付けている角を見て、心底楽しそうに口角を上げた。

 愛嬌のあるその笑い方は、彼の人となりをより優しく見せた。


「私、黒須と同じ会社に勤めております、篠田です。今日はサンタさんのアシスタントとして一生懸命働かせて頂きます」

「藤井先生はお変わりない様で」

「そお? まだまだ、気持ちは若いんだけど、体がね。でも黒須君がこっちに帰って来て初めて連絡くれた事だし、今日は楽しみにして来たんだ」

「こっちに帰って来て?」


 雪野が藤井の言葉を拾い上げ、繰り返した。

 黒須はその雪野の言葉を食い気味に打ち切る。


「まぁ、積もる話はあとにして、先生、お願いした例の件はどうですか?」

「最近ね、生徒たちにぐるーぷらいんと言うものに誘って貰ったんだ。そのぐるーぷの子達はほぼ全員参加してくれるみたいだよ。後はほら、僕の友達とか……」

「流石、先生です。お願いして良かった」

「ここに入り切れるかなぁ……結構人数いると思うけど、お料理は大丈夫?」

「なんとかなりますよ、藤井先生」

「黒須君が腕を振るってくれるのかい?」

「まさか。ここにプロがいるのに、素人が調理場に立つなんてご無礼は出来ません。リストランテ・ユキノの若き店主が心を込めておもてなししますよ」


 黒須は状況が良く分かってないと言う顔で立っている雪野の肩を抱いて、ぐっと前に寄せる。

 あぁ、やっぱりフローラル系のシャンプーの香りがする。

 コック服はパリッとノリが効いていて、雪野自身、このパーティに乗り気じゃ無かった癖に、気合十分なのだと黒須はコッソリと微笑んだ。


「今日は料理人としてではなく、黒須君の友達として僕はここに来た。存分に楽しませて貰うよ」


 その言葉が合図だったかのように、雪野の店には続々とパーティに招かれた客人が来店した。

 雑誌で見た事ある料理評論家、テレビに出ていたフードコーディネーター、全く顔も名前も分から無い人、開始の十九時を迎える頃には満員御礼となり、作っておいた料理もセルフで勝手に運び出される始末で、一番驚いているのは雪野だった。


「何これ……全部、黒須さんの知り合い?」

「違うよ。これはみんな藤井先生のお知り合いの方々だ。料理学校の先生だからそっち系の知り合いの人が多いみたいだけど、俺の狙いはそこじゃない」

「狙いって……?」

「まぁ、見てれば分かるよ。おい、トナカイ。出番だぞ」

「わーってるよ」

「好きなだけ狩って来い。プライベートは勝手にしていい。その代り、問題だけは起こすなよ」

「らじゃー」


 軽快にそう返事を返して篠田は来店した客の合間を擦り抜け、あっちのテーブル、こっちのテーブルに愛想と酌を振り撒きながら、いとも簡単にその場に溶け込んで行く。

 やっと調理場がひと段落した雪野に、黒須はシャンパングラスを持って労いの言葉をかけると、その隣に座って篠田のアホ面を眺めた。


「篠田さんは何してるの?」

「仕事だよ。ああやって一緒に飲みながら、次の機会を作っている」

「次の機会って? 何の?」

「そりゃ、契約の為の? 後は、まぁ……気に入ったらお持ち帰りするんじゃなかろうか」

「お、お持ち帰り……合コンみたいだな……」

「でも、皆楽しそうだし、料理も満足してくれてるみたいだ。雪野さんが徹夜で頑張ってくれたお蔭だな」

「でも、黒須さんのシチューが一番旨かったな……」

「それは雪野さんが疲れていたからだよ」


 君を想って、君だけの為に作った、シチューだったんだから。


「舌だけに、下味ついてるんですけどね! 旨いんですよ! アッタンダって言うんですけど、あ、タンだ。なんてネーミングが洒落てるでしょ?」


 遠くから聞こえる篠田の残念な会話に、黒須も雪野も顔を見合わせた。

 黒須のげんなりした顔を見て、雪野はプッと吹き出した。

 そして黒須はふと思い出す。


 そう言えば篠田の前の彼氏は、商品開発部のヤツだったと……。

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