狩場を用意してやると言った言葉は聞き逃して無い様だ。

 篠田はキッチリとスーツを着て時間ピッタリに最寄りのスーパーの袋を引っ提げてやって来た。


「トナカイの餌、持って来たぞ」

「篠田、良い事を教えてやろう。トナカイは芋は食わん。それはお前の餌だ」

「休日出勤のご褒美が芋て……酷い男っ! クリスマスイヴに芋て! ってか、じゃあトナカイは何食うんだよ?」

「苔だ。と言うか、早く車を出せ」

「つーか、もう一つ聞いて良い?」

「ダメだ」

「そのデカイ鍋、何よ? 俺を食う気か?」

「お前を食ったら俺が腹壊して死ぬ。さっさと車を出せ」


 殴ろうが蹴ろうが意に介さない篠田のメンタルは蒟蒻だ。

 学生時代からこんな風ではあったけれど、まさか三十路を過ぎるまでこうも変わらない男がいるとは信じ難いと黒須は溜息を洩らした。

 それでも、それ故にゲイだと知ってもこの通り友達でいられるのだ。


 リストランテ・ユキノに着いて裏の勝手口から調理場へと入ると、昨日から仕込みをしていたであろう料理が所狭しと並べてあった。

 その調理台の片隅に抱えて来た圧力鍋を置いて、姿の見えない雪野を探す。


「あ……黒須さん」


 物陰から出て来た雪野は、少し疲れている様に見えた。


「こんにちは、雪野さん。今日は同僚にも手伝わせようと思って連れて来ました」

「初めまして、篠田です」

「……どうも」


 篠田が差出した名刺を一応両手を添えて受け取った雪野だったが、目線を合わせる事無くそれをポケットに仕舞いこんだ。


「篠田、芋の皮を剥け」

「え、俺がやんの?」

「芋の皮くらい剥けるだろう?」

「実がなくなっても知らねぇぞ……」

「実がなくなったらお前の昼飯がなくなるだけだ」

「酷いっ!」


 ブツブツ言いながらもスーツのジャケットを脱いで芋の皮を剥こうとするところが篠田だ。いつものやり取りを見て、気付かれないように顔を背けて控え目に笑う雪野を黒須は見逃さなかった。


「すみません、アホな同僚で」

「いえ、何か黒須さんがいつもと違うからちょっと……」

「え、俺ですか?」

「敬語じゃないとそこまで変わるもんなんですねぇ」

「あぁ……こいつ相手だといつもこんなもんですよ」


 たどたどしい手付きで芋の皮を剥く篠田を見て、雪野が唖然と口を空けた。


「ちょ、篠田さんっ……そんな包丁の持ち方じゃ、指切っちゃいますよ」

「え、あ? そう、なんですか?」

「篠田、お前本当に不器用なんだな……」

「お代官様みたいに何でも出来るわけじゃねぇよ!」

「お代官様? って何?」


 そう聞いた雪野はもう既に含み笑いをしている。


「この男が横暴な悪徳代官みたいな男なんでね! 俺はいつもそう呼んでるんですよ! あ、雪野さんも呼んじゃっていいですよ?」

「黙れ篠田! お前昼飯抜きにするぞ」

「ほら、ね? ね? 酷いでしょ?」

「ぶはっ! 黒須さんって結構俺様なんだ?」

「俺様どころじゃないですよぅ~。もう、酷いったらないんですからぁ~」

「しーのーだぁあああああ!」

「あ、はい。黙ります。すいません」


 黒須が篠田を連れて来た理由の一つはこれだった。

 良く喋って調子のいい篠田に釣られて、喋るヤツは多い。しかも相手を油断させる独特な篠田の雰囲気は、良い具合に相手の警戒心を解いてくれる。

 しかも向かうところ敵なし、と言う勢いで相手がどんなに強面だろうとこの調子なのだから、ある一種の特技と言ってもいい。

 そして篠田は黒須が雪野を気に入っているのだと言う事に気付いている。

 だから安心して雪野の前に連れて来られたのだ。

 篠田は節操なしだが、意外と恋愛に真面目な黒須の意中の相手には手を出した事がない。友達として、最低限の節操は保っている。


「ふははっ、何か黒須さんってもっと賺してんのかと思ってた」

「え、そうですか?」

「もう敬語止めてっ! 余計嘘くさく聞こえて笑っちまう」

「う、嘘くさいって……」

「って言うか、何でジャガイモ? 黒須さん、何か作るの?」

「あぁ……これをね、お昼ご飯にと思って作って来たんです。雪野さん人が作ったご飯とかあんまり食べてないかと思って……芋はその付け合せに」

「え?」


 傍に置いていた圧力鍋を指して、その黒須の指先へと視線を向けた雪野は意味が分からないとばかりに言葉を失った。


「アッタンダを使ったタンシチューです」

「サンプルを試食させる為じゃないですか!」

「まさか。昨日の今日で無理を言ったお詫びです。雪野さん、昨日仕込からやってあんまり寝てないでしょう?」

「いやまぁ、やるって言ったのは自分だし……客来なかったらどうしようとか思うけど……約束、したし……黒須さんと」


 あぁ、やっぱりこの男は実直で不器用で、人に優しい。

 黒須は昔からいい人を嗅ぎ分ける能力に長けていて、特に自分が好きになる男は内弁慶で世渡りの下手な男が多いのだが、不特定多数に上手く優しく出来ない人間は内側に入れた人間に殊更甘い。

 雪野と初めて出会った時から、彼がそう言う特別感をくれる美味しい男だと嗅ぎ分けていたのだ。


「シチュー温めますから、お昼ご飯食べたら少し休んで下さい。店の用意は俺と篠田でやっておきますから」

「そんな……それはダメです。俺の店なのに……」

「雪野さんの店で俺と雪野さん主催のパーティをやるんです。その位は俺がやってもいいでしょ? それに、今夜は長いですよ」

「また……敬語になってる……」

「あぁ……ごめん。癖でつい……」


 雪野は懐いた猫が、膝の上に乗せてくれとせがむ様な眸をしている。

 黒須が作って持って来たタンシチューに篠田が皮を剥いた歪なジャガイモを蒸かしてシチューに添えた。

 雪野に頼んで生クリームを温めて貰い、線状にシチューの上にふりかけてそれらしく飾って雪野の前に差出す。

 出されたタンシチューを大人しく一匙掬って食べた雪野は、戸惑う様に「旨い」と零した。


「そりゃ良かった。プロに旨いって言って貰えるなんて光栄だ」

「ホント、腹黒い悪徳代官の癖にスペック高くて腹立つわぁ」

「篠田、黙って食わねぇと芋だけにするぞ」

「ホントに、すげぇ美味しいよ、黒須さん。ありがとう」


 雪野がふんわりと口角を上げ、クシャリと眉尻を下げる。

 黒須はその雪野の抜ける様な白磁の頬が少し染まった笑顔に、胸が鳴る。

 あぁ、この笑顔が見たかった。

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