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自宅に帰った黒須はスマホを片手に台所に立った。
イヴイヴである今晩ツーコールで出る所を
「似非越後屋か」
『何だよぉ、お代官。何用でござるかぁ?』
「明日、最高の狩場を用意してやるから十一時に車で迎えに来い」
鞄に入っているアッタンダのサンプルを三つほど取り出して乱雑に剥いた。
『いや、待て、お代官様よ。明日は休みだ。しかも雪予報!』
「どうせ暇なんだろう?」
『お前、クリスマスイヴに同僚に休日出勤させるとは何事だ! いかなお代官とて横暴が過ぎるぞ!』
「一人虚しくマスかいてるよりは有意義な過ごし方だろうが」
『待て待て待て! もしかしたら俺にだって可愛い彼女とか彼氏とか、いるかもしんねぇだろっ!』
「俺に彼氏がいないのに、お前に彼女や彼氏がいて堪るか。この節操なしが!」
『いっぱい食べる君が好きっ! て子もこの世にはいるんだ!』
「煩い、お前はただ雑食で大食漢なだけだろ。食い過ぎて腹壊して死ね!」
そもそも彼女なのか彼氏なのか明瞭としないとは何事だ。
篠田は学生時代からの腐れ縁で、黒須が生粋のゲイである事を唯一知っている友達でもあるが、色んな所の螺子が緩い篠田は特定の相手を作らない上に、バイセクシャルで仕事に矜持など持ち合わせてはいない。
根っからの腰巾着で、人の褌で相撲を取るのが自分の得意技だと信じて止まない所があるが、割と機転が利くので黒須はそこだけは認めている。
『死んだら淋しいくせにぃ~。ってか……どうせあれだろ? またお代官様の御庭番衆みたいな人来るんだろ?』
「今回は一人だが、粗相の無い様にしろ。損はさせんよ、似非越後屋」
『俺はお前の部下じゃなくて、部長の部下なんだけどなぁ……ホンット、お前みたいに腹黒いサンタいたらこえぇわ』
「黙れ、まだキャンペーン中だ!」
言い捨てて通話を切る。まぁ、いつもの事だ。
パウチから転がり出たグロテスクな肉の塊を子供の拳ほどにザックリ切って一旦フライパンで焼いて圧力鍋に入れ、ローレルの葉と一緒に煮込む。
その間に玉葱と人参を小さめに切って肉を焼いたフライパンで柔かくなるまで炒め、タンと一緒に赤ワインと水で煮込み始めた。
噎せ返る様な葡萄とアルコールの匂い。
立ち昇る湯気はまだ食欲をそそるには色々と足りてない。
黒須は灰汁を取りながらこれから二時間は掛かるであろう煮込みに備えて一旦キッチンを離れ、寝室で部屋着に着替え、思い出したかのように篠田が言っていた御庭番衆に電話を掛ける。
「あ、お久しぶりです。ちょっとお願いしたい事がありまして……」
電話の相手は朗らかに愛想良く、明日の邂逅を喜んで受けてくれた。
まぁ、来ると分かっていて電話したのだが。
黒須は無血開城を掲げるほど争いごとが嫌いな質だが、それは血を見るのが嫌いだとかそう言う繊細な理由では無い。何せ、面倒な事が嫌いなだけだ。
そして、その面倒な事より負けるのがもっと嫌いな男だった。
勝算のない計算などしない。
次男末っ子の本領をいついかなる時も発揮するのが
それから鍋の様子を見ながら煮込みを続け、タンが溶ける頃合いを見計らって血に染まって更にグロさが増したアッタンダを掬い出し、残りの野菜をミキシングしてその野菜ジュースワイン的な物の中へとアッタンダを戻す。
デミグラスソースや必要な調味料で味を調えて、また更に三十分ほど煮込んだ。
「あ、流石に生クリームがなかったか……」
普段黒須は家でも結構料理をする方だが、生クリームを常備しているほど時間があるわけでもない。それに一人で食べる食事に生クリームは必要なかったりする。
それでもローリエの葉があるくらいには黒須は料理が好きだった。
圧力鍋いっぱいのタンシチューが出来上がる頃、世間はイヴを迎えようとしていた。久しぶりに誰かの為に料理をした事に、妙な達成感と気恥ずかしさがある。
「まぁ、雪野さんの所に行けば生クリームくらいはあるだろ。喜んでくれるといいけど……」
一人暮らしも長くなると独り言も達者になる。
黒須はリストランテ・ユキノに通い始めてからずっと雪野が気になっていた。
最初は経営が余り上手く行ってないと言う情報から昔馴染の店だと言う事もあり、付け入る隙がありそうだと赤子の手首を捻るくらいのつもりで飛び込んだのに、店主になった若造は無愛想で、言葉は達者じゃないのに強気で断り続けられ、黒須はいつの間にかこう思う様になった。
この男はどんな風に笑うんだろう――――と。
寝る準備万端になってベッドの中へと潜り込み、ふと思い出してスマホを手に取った。
>明日、ジャガイモ持参で来い。遅刻は許さん。
>Re:トナカイの餌か?
黒須はチッと舌打ちをし既読無視して、落っこちる様に眠りについた。
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