人が飯を食っているのをただ黙って見ている。

 まるで猫のようにジッと眺めている視線を横目に感じながら、別に彼がナポリタンを一口欲しいわけでもない事は分かっていた。


「ゆ、雪野さん……俺の顔に、何かついてます?」

「いや、食べ方が綺麗だなって思って」

「そ、そうですか……」

「黒須さんって粗野な感じだし、もっとがっつくのかと思ってたから意外でした。細いけどガッシリしてるし、男らしいって言うか……野性的って言うか」

「ははっ、褒められてますかね? 俺もう三十三ですよ? 会社に飼いならされたただのオッサンです……」


 雪野はカウンターに腰を預けて腕を組み、長い足を交差させ「ふーん」と興味無さそうに答えた。


「うん、親父さんの味とは違うけど、美味しかったです。ごちそうさまでした」

「で? 親父の味とどっちが旨いわけ?」

「……それは好みの問題かと」

「黒須さんは?」

「どっちも好きですよ」

「そう言うの要らないから」

「は?」

「皆同じ事を言う。親父の時と味が違うって。そう言い残して帰るヤツは大抵二度と来なくなる」


 別に不味いわけじゃない。

 寧ろ彼の作るナポリタンは高級なイタリアンレストランで食べるに相応しいくらい出来が良いとも思う。

 ただ、このリストランテ・ユキノに来る客はそれを求めて来ない。

 

「雪野さんはお父さんと同じ事がしたいのですか?」

「現実的にそうしなきゃ客は来ない」

「お父さんの味を守り、お父さんがお爺さんから継いだこの店を守りたいと言うのなら、お父さんの味を再現する事は必須課題かもしれませんけど……それは、雪野さんがやりたいことなんですか?」

「今、あんただって親父と違うって言ってたじゃないか。この店に来る客は皆、親父の味を求めて来る。だけど、親父はレシピを一つも残して無いんだ……。イタリア行ってここに帰って来るまで、親父の飯なんてロクに食ってない俺に再現なんて出来るわけない」


 あぁ、何だ。ちゃんと悩んでいるのか。

 黒須は雪野の落ち込んだ様子に、心底安堵した。

 辞めて行くバイトは後を絶たず客足も遠のく一方で、今日篠田から立ち退きの話を聞かされて、大口を叩きはしたもののこれは本当にダメかもしれないと思っていた。

 彼の自分と言うプライドが周りの人達には通用していない。

 ここが高級ホテルの調理場か、一流レストランの調理場なら、彼は称賛され持て囃されるだろうが、小さな町の馴染が通う古いレストランにそんな尖がった鼻のシェフは必要ないのだ。

 彼の父親がそうであった様に、昨日のテレビの話、会社の愚痴、ママ友の女子会に混ざって喋れる優しさ。

 勿論子供だって雪野のおじさんが大好きで、雪野のおじさんの所のお子様プレートにはいつもオマケがついている。

 だから雪野のおじさんの所のご飯は美味しい。


 彼の料理はプロに通用するプロを唸らせる料理であって、腹の減った子供を元気にする魔法は掛かっていない。


「雪野さん、コレ見て下さい」


 黒須は鞄から例のアッタンダのサンプルを取り出し、雪野の眼前へと突き出した。


「ちょ、またその話っ?」

「良いから、これを見て」

「見てますよ」

「もっと見て」


 グッと身を寄せた黒須を避ける様に、雪野はカウンターへと仰け反った。


「見てますってば!」

「何て書いてあります?」

「はぁ?」

「読んで下さい」

「あっ……たんだ……」

「ぶっ!」

「ちょ、何笑ってんですか!」

「いや、別に……」


 黒須は真面目な顔して言われた通りにしてしまう雪野の意外とお人好しな所が可愛くて、もっと弄ってみたい衝動に駆られる。

 ずい、と顔を近づけても仰け反るだけで逃げようとしない鈍い所とか、多分唐突過ぎてどうしたら良いのか分からないまま無表情を保っている事を想像するだけでニヤニヤと笑みが零れてしまう。

 跳ね除けようと思えば出来るはずなのに、雪野は根本的に人に優しく臆病だ。


「もっかい、もっかい言って下さい。雪野さん」

「はぁ? いやもう良いでしょ! 何なんですかっ!」

「えー、じゃあポケットの中、見てみて下さい」

「はい?」

「ポケットの中ですよ、その右の」


 黒須は彼のコック服の右ポケットを指して満面の笑顔でそう言った。


「ポケット……? え、何これ? いつの間に!?」

「俺の名刺です。気付かなかったでしょう?」

「って言うか、名刺なら最初に来られた時に貰いましたけど?」

「どうせ必要ないとか言って、ポイッと捨てちゃったんでしょう?」

「……そ、そんな事は……」


 嘘が吐けないのだな、と黒須はその嘘くさい挙動をにんまりと笑って躱した。


「人間って、ココって言われるとそれ以外の所が見えなくなったりするんですよね。だから俺は貴方に気付かれずにポケットに名刺を入れる事が出来た」

「だ、だから?」

「親父さんと同じメニューを食べれば、そりゃ誰だって違うって言うと思います。だって、貴方は親父さんから料理を学んだ訳でもなく、ましてや別の人間なんですから。答えがあるから間違いだって言われちゃうなら、答えのないものをどうだっ! って突き出してみるのも悪くないと思うんですけど、どうです?」

「何か無理矢理話をそっちの都合の良い様に持って行ってないです?」

「俺に提案があります。明日はクリスマスイヴだし、ここでパーティやってみませんか?」

「はぁ? 明日って、そんな急に……客が来なかったら意味ないでしょ……」

「一人は宛てがあります」

「いやいやいやいや、それ黒須さんだけって事でしょ? あんた一人の為にパーティーしてどうすんですかっ!」

「そんな詐欺みたいな事しませんて……」

「どうだか……。この商品の残念な名前見ても、信用しろって言う方が無理です」

「その秀逸なネーミングを考えたアホは、俺じゃありません」

「アッタンダって……ないわ……」

「料理はお任せします。そうだな、満席になる予想で準備をお願いします。俺も明日は休みですし昼頃には来て手伝いますよ……十九時スタートでどうでしょう?」

「いや、黒須さんっ! 無理ですってばっ!」

「もし、このパーティが成功したら、俺のお願い聞いて下さい」


 カウンターに両腕を付いて雪野を囲う様に追い込んだ黒須は、真摯な眼差しで彼を見た。その黒須の視線に、雪野は困った様に眉尻を下げた。

 普段無愛想で冷たい表情をしている雪野が内心慌てているのだと分かって、黒須は満足気に口角を上げる。こう言う懐かないタイプの男を振り回すのは心底楽しい。

 黒須はずっとこの美麗で賺している雪野の表情を崩してみたかったのだ。

 雪野は押し切られるまま「分かりましたよ」と不貞腐れて言い捨てた。

 実際問題、立ち退きがあろうとなかろうと収入がなければ生活出来ない雪野には、やらないと言い切るだけの理由がなかった。

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