サンタさんのシチュー

篁 あれん

 座右の銘は無血開城。

 どんな相手も決して争わずに落としてみせる。

 CM食品営業部、営業売上NO1を誇る黒須の理念は、今日も変わらない。

 今日も元気に鞄に肉を詰め、三キロオーバーの使い古した黒い鞄を抱えて、颯爽と会社を出ようとした黒須は同僚の篠田に引き留められた。

 

「お代官様ぁ~」

「何だよ? 似非越後屋」

「耳寄りな情報がありまして?」


 意味あり気に近づいてきた篠田は、ニヤリと嫌な笑い方をしながら耳打ちする。


「ほほぅ? 聞くだけ聞いてやる」

「えっらそうに」

「良いから早く言え。急いでんだよ」

「お前が通い詰めてるあの店、駄目かもよ?」

「雪野さんのとこか?」

「あの辺り一帯、都市開発の話があるんだとさ。来春には立ち退き開始で、秋には更地になるらしい」

「はぁ? 誰がそんな事言ってんだ」

「誰って、強いて言えば市長様?」

「あぁん? 市長様ってのは、お代官様よりえれぇのかよ?」

「ぶはっ、どうだろうな」

「そんなの、阻止すんに決まってんだろ」

「きゃー、燦多さんたさんかっこぃ~」

「黙れ。十二月は下の名前呼ばないキャンペーンだ! 特に下旬は気を付けろ。このキャンペーンが成功するかどうかはお前のイージーミス撲滅に掛かっていると言っても良い。分かったか?」

「ら、らじゃ……」


 黒須燦多くろすさんた

 まるでクリスマスに生まれて来た申し子の様な名前だが、誕生日は四月だ。

 命名したのは父親で、黒須の父親にダジャレの趣味があったわけでもない。

 上には双子の姉と兄がいて、姉は一生いちい、兄は仁紀にき、弟の自分は三番目で燦多さんたなのだが、三や参ではなく燦然と輝く幸福に多く恵まれる様にと言う父親の中ではクソ真面目に考えられた名前なのだ。

 きっと父親の中で苗字が黒須である事は失念されていたに違いない。


 黒須が通い続けているリストランテ・ユキノは昭和から続く古い洋食屋で、今年の初めに若い息子が後を継いだばかりだ。

 勿論それが狙いだったのもあるが、平たく言えば営業マンとしての意地で通い始めた様な物だった。

 ピンポイントで利用者の限られた品物を会社が作ったお蔭で、スーパーから老人ホーム、学校給食に至るまで、色んな所に道場破り並みにぶっ込んでみたものの成果は芳しくなく、黒須は単発ではなく継続的にその品物を納品できる場所をずっと探していたのだ。

 ネーミングから具合の悪いソレは【アッタンダ】と言う名の牛タンを下茹でし、ほんのりと下味をつけたものを真空パックしたもので、パウチから出せばすぐに調理可能と言う便利な代物ではあるのだが、一体会社がこれをどのマーケットに向けて開発したかは気が知れない。

 あ、タンだ。ダジャレにしても酷過ぎる。まだ親父の方がマシだ。

 商品名つけたヤツを営業に連れて回ってこの名を連呼させてやりたい。


「重い……」


 サンプルとしてそのグロテスクな【アッタンダ】を毎日カバンに詰めては、経営の傾いていそうな小さな個人経営の店を回った。

 手始めに焼肉店や居酒屋を回ってみたものの、信頼のおける仕入れ先が固定されているだけに手強い。

 しかもアッタンダに関してはほんのり下味が付いているというのが曲者だ。

 世の料理人と言うのは武士の様に自分の腕に誇りを持ち、その刀とも言える食材にはプライドを懸けて挑んでいる。

 切っ先から柄まで、他人に汚されては武士の名折れ。

 微妙に味の付いたものなど、一流の俺様にはお呼びでないと言うのが本音だろう。

 そうして目を付けたのが代替わりしたリストランテ・ユキノだった。

 メニューに牛タンを使用していない事を調べ、新しいメニュー開発と新しい客層の開発を試みようと言う発想で、若いシェフに打って出て早二ヶ月が過ぎようとしている。


「……またですか、黒須さん」

「今日はまたサンプルをお持ちしました。一度食して頂けたら、と思いまして」

「何度来られても、うちはメニュー変える気はありませんし、サンプルも受け取りません」

「食べて頂く分には良いでしょう? ご自宅で夕飯の足しにでもして下さい」

「しつこいな、貴方も」

「営業マンですから」


 黒須は営業マンの誇りである営業スマイルを容赦なく見せつける。

 無愛想なその若いシェフは、いつも端的に断ってくれちゃう釣れない男なのだが、立ち姿が綺麗で、コック服が良く似合う二十代後半の美麗な男だ。

 噂では十代でイタリアへ飛び三ツ星レストランで働いていた経歴もあると言う。

 突如他界した父親の後を継いで町の小さな洋食屋を始めてみたものの、客足は遠のくばかりで経営は上手く行ってないらしい。

 案の定、今日も店には客が入っていない。


 三十も過ぎて真正のゲイである黒須からしてみたら、そんな訝しげな顔されても美味しいだけで、怖くも何ともない。寧ろ、可愛くすら思える。

 色白で色素の薄い雪野は、小顔の割に眸が大きく黒目がちで少し印象がキツイ。

 眦がつっているせいだろうけど、それも綺麗なロシアンブルーの眸の様で見ようによっては愛らしくもある。


「ここは、立ち退きの話があるとか……雪野さんもしかして、閉店されるおつもりなんですか?」

「あんたには関係ないだろ」

「もし閉店されるのでしたら、少し残念ですね……。俺、ここのナポリタン好きなんですよ」

「食った事もないくせに良く言うよ」

「ありますよ、随分昔の話ですけど。貴方のお父さんがまだご健在だった頃、俺この辺りに住んでたんです」

「は……?」

「学校の帰りに、夕飯まで待ちきれなくてよくここでナポリタン食って帰ってました」


 嘘ではなかった。

 この店のナポリタンが好きで、この店の赤煉瓦の壁が好きで、立ち込める珈琲の匂いは学生だった黒須を少し大人な気分にしてくれて、いつも最奥の隅の席に座る藤井と言う中年のおじさんとも仲が良かった。


「……食って行きますか? ナポリタン」

「え……」

「どうせ昼飯、どっかで食うんでしょ?」

「あ、はい。じゃあ……」


 突如デレた雪野に、黒須は僅かに驚いて目を見開いた。

 清閑な古い店内は、あの頃より少し淋しくて、珈琲の匂いがあまりしない。

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