#2 ハートの城

 全身を切り裂くような風を感じる。僕の体は絶賛急降下中だ。



「何だよこれ~~~っ!!」



 謎の空間への入り口は、ワープホールになっていた。見たくはないが、反射というものはどうしようもない。視線を下に向けた瞬間、視界に飛び込んできたのは一面の赤だった。



(ば…?!)



 薔薇だ──そう認識すると共に、来るであろう痛みの衝撃に、思わず体が強張る。このままでは、撒き散らしてはいけないものを撒き散らし、赤い薔薇もろとも地面を赤く染めてしまうのも時間の問題だ。

 体に軽く何かがぶつかる衝撃を感じ、死を覚悟した。



「…あれ?軽く?」



 目を瞑っていたが、しばらく待ってもそれ以上の衝撃はやって来ない。恐る恐る目を開けると、目の前には白髪の、ウサギ耳の生えた男の顔があった。



(またか…)



 ここの住人は揃って、変な耳を生やしていないと死んでしまう呪いにでもかかっているのではないだろうか。



「驚きました…まさかこんなところから『アリス』が降ってくるなんて」



 衝撃が軽く感じられたのは、男の腕に支えられていたかららしい。支えるというか、うまくキャッチされたというか…



(僕ってそんなに軽いのか?)



 ヴィッセルに投げられた時も感じたが、動物耳のファンシーな男に軽々と持ち上げられるというのは、男としての矜持も何もあったものではない。



「あ、ありがとう。でももう大丈夫だから、離して」

「そうですか?先程の穴、チェシャ猫のでしょう」



 先程のと言われ、頭上を確認するが、自分が飛び出てきたものらしき穴はすでに塞がっていた。



「迎えに行こうと思っていたのですが、少々手が空かず…私は白ウサギのホワイト、この城で宰相をしています」

「やっぱりウサギなんだ…」

「はい、白ウサギです」



 まともな感想が出てこない。さすがに、上空からの急降下を食らった後だと、夢の中の登場人物の外見に少しおかしなところがあるくらいではあまり驚けない。



(自分で言うのも何だけど、この順応力も大概だよね)



「チェシャ猫に会っているということは、こちらのことについて何か聞いていますか?」

「こちら?いや、どこの地区から来たのかって聞かれたり、『アリス』って呼ばれたりしたくらい…」

「なるほど。それではその辺りの説明も兼ねて、陛下からゲームの説明があります。すでに知り合いがいるのでしたら、その方の地区長に聞いてもらっても構いませんが」

「あー…その地区とかがよくわからないから、やっぱりここで聞くよ」



 そう言うと、ホワイトの表情が少し緩んだ。自分の提案が受け入れられて嬉しかったのかもしれない。



(堅物そうだけど、意外と可愛いところもあるんだな)



「わかりました。それでは陛下とブラックは、すでに女王の間に待機しています。行きましょうか」



 長い廊下を歩き、案内された女王の間は、先程落下した薔薇園のごとく真っ赤だった。置かれている家具や絨毯、飾りの薔薇も全て赤色だ。



「…少し目が痛むかもしれません」

「い、いや…平気だから」



 ホワイトは至極申し訳なさそうに耳打ちをし、そのまま待機していた青年と玉座を挟むような位置に移動する。

 予想通りというか、ブラックは黒ウサギらしい。ホワイトが真面目そうな雰囲気であるのとは対称的に、ブラックはその服装からも粗野な雰囲気を醸し出している。それにしても…



(女王様に…動物耳がない…?!)



 当たり前のことに驚いてしまった。

 女王の頭には王冠が乗っているが、その隣に並ぶウサギたちとは違い、動物の耳らしきものは付いていない。

 だが、ようやくまともな人が…という幻想はすぐに打ち砕かれることとなった。



「よく来たな、『アリス』。早く妾のものになれ」



(は?!)



 突然の発言に、理解が追い付かず呆然としていると、両端のウサギが女王を制した。



「違います、陛下」

「むっ…よいではないか、少しくらい」

「初っぱなから『アリス』をドン引きさせて、どうするんっスか」



 別にドン引きはしていない。

 女王は思っていたよりも若く、端正で凛々しい顔立ちをしている。部屋と同様、玉座も服も赤だらけだが、しつこい程の赤を着こなすのに十分すぎる容姿をしていた。

 有り体に言えば、すごく美人なのだ。



「…こほん」



 頬を赤らめ、軽く咳払いをした女王は、改めて僕の方に視線を向けた。



「自己紹介が遅れたな。妾はこの不思議ワンダーワールドの女王、メディアだ。『アリス』、お前の名は何という?」

「ええっと…シエラ=リデルといいます、女王様」

「シエラか、よい名だ。だが、その話し方は気に食わぬ。呼び方もだ。メディアと名乗っているのだから、メディアと呼ばんか」



 それは女王の名を呼び捨てで呼べといっているのだろうか。仮にもロンドンで育った一貴族として、父さんから王族は敬えと学んできていた。それを、そんな簡単に覆すことは…



「…命令に従えないのか?ええい!この者の首をはねよ!」

「いけません、陛下。『アリス』ですよ」

「ルール破って、また次回出場停止になっても知らないっスからね」



(い、一気に展開が不穏に…!)



「し、従う従う!メディア!」

「うむ、最初からそうしておればよいのだ」



 メディアは苛立ちの表情を一変させて、満足そうな表情になった。ひとまず命の安全は保証されたらしい。



「シエラよ、この世界に来たのはいつだ?」

「さっき…だと思う。目が覚めたら変な森の中にいて」

「ならば問題はないな。今よりゲームの開始を宣言しよう」



 メディアは手に持っていた剣を天井に向けた。



「なっ…?!」



 剣が少しずつ原型を失っていき、その姿を多くの赤い薔薇の花弁へと変化させた。まるで意思があるかのように、開いていた窓から外に飛び出し、四方へ飛んでいく。



「これで他の地区への伝達は済んだ。ゲームの説明か…ええい、面倒だ!後はお前たちがやれ!」



 頭を抱えるホワイトと、肩を竦めるブラックと、呆然としたままの僕を放って、メディアは奥の部屋へと消えていった。

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