#1 迷いの森
頬に当たるくすぐったい感触に、僕は目を開けた。
「ん…ここは、森?」
頬を撫でていたのは草木のようだ。辺りの木々を見渡しながら、どうして自分がこんなところにいるのか思い出そうとするが、どこか
(確か庭で休憩してる間に眠くなって…)
だとすればこれは夢だろうか。手に触れる草の感触は、現実と変わりないというのに。
迷っていても仕方がない。夢だとしたら、僕の記憶の中にある場所の可能性だってある。
(これって遭難中…だよな?無闇に進んでも大丈夫かな?)
何も考えずに進むのは、いくら夢でも怖い。ポケットを漁ると、いつもの護身用のナイフが出てきた。
…夢だというのに生々しい。
「…生々しい?」
(護身用なんだから別に生々しくなんてないんじゃ…)
何かあってからでは遅いと言われ、母から貰ったナイフを握りしめる。用途は予想していたものとは少し違うが、十分役に立ってくれそうだ。
近くの木に切り傷を入れる。しばらく歩いた先の木にも、そのまた先の木にも切り傷を…
「きみ、何やってるの?」
ひょっこりと木の影から姿を現したのは、自分と同い年くらいの少年だった。
驚いている割に眠そうだとか、目の下の隈は大丈夫かとか、そんな言葉は引っ込んでしまう程の衝撃的なものが頭の上に付いている。
「は…み、耳?」
耳とは顔の横に付いているもの、常識だ。だが少年の耳は頭の上に付いている。しかも丸い、灰色のそれは、冗談みたいな話だがネズミ耳にも見える。
(夢って深層心理を表すとかいうけど…こんなメルヘン思考なはずは…)
どちらかと言えば、昔から現実主義な方だ。それは可愛げもない程に。
少年は黙ったままの僕を不思議そうに見つめていたが、ふと思い付いたように袖を引っ張ってきた。
「うわっ!」
「きみ、一人で遊んでるんだね」
「いや、違…」
「退屈でしょ?ぼくたちと一緒に遊ぼう!」
(人の話を聞かないタイプか)
こういう子には気がすむまで付き合うしかない。どこか妹のイーディスに似た雰囲気にため息が漏れた。
そのまま引っ張られ、辿り着いたのは森の広場だった。ネズミ耳の少年と同じく──いや、もっと奇抜な風貌の少年が寝転がって眠っている。
(ね、猫耳が霞むくらい服がうるさい…!)
蛍光色だらけの服に腹出しシャツ…ファッションに詳しいわけではないが、センスを疑ってしまう装いだ。
「ヴィーくん!起きて、ヴィーくん!」
「う~ん…俺はまだ昼寝中なんだよ~…むにゃむにゃ」
「森で遊んでる子がいたから拾ってきたよ」
「拾っ…?!」
思わず声を上げてしまった。言った本人は、まるで僕の反応の理由がわからないとでも言いたげだ。
「拾うって変だろ?僕は人間なんだから…」
「どうして?」
「どうしてって…」
「ふぁあ~…無理無理。そいつおバカだから、まともな会話なんて出来ないぜ」
目を擦りながら、呆れた口調でヴィーくんと呼ばれた少年が割り込んできた。
「見かけない顔だけど、どの地区の子?迷った?」
「地区?」
地区、というのは住んでいる場所のことを聞いているのだろうか。
「ロンドンの…」
「ろん…え?何だって?」
「地区だよ?きみはどこの地区の住人なの?」
怪訝そうな視線と純粋な瞳…どちらも居心地が悪い。そもそも、質問の意味が分からない。
「あれ?あんた、もしかしてここの住人じゃないのか?」
「ここの…」
(夢の中の住人ではないって意味か?それならそうだけど…)
「そういやそんな時期か…あんたが今回の『アリス』なんだな」
「え?どういう意味?」
「『アリス』?…きみは悪い『アリス』じゃないよね?」
少年の目に剣呑さが混ざり、嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
「あ、アリスって何だよ!僕はシエラだ、シエラ=リデル」
「シエラ?でも『アリス』なんでしょ?」
確かに今まで、あだ名でアリスと冗談で呼ばれたことはあった。女性名で呼ばれるのは、あまり気持ちのいいことではなかったが。
だが、今回のは少し違うように思える。
「ややこしくなるから黙ってろって。挨拶が遅れたな、俺はヴィッセル。こいつはマーミット」
「むぅ…」
マーミットは不満を隠す素振りも見せない。それでも今はこの二人を頼らなければ。悔しいが、僕一人では森を抜けられるかすら怪しい。
「シエラ…だっけ?あんたが『アリス』なら、さっさと城に行った方がいいぜ」
「城?」
「ハートの城。こんなとこで立ち往生されても困るからな…今回だけの特別サービス!」
ヴィッセルはそう言うと、近くの木に手をかけ…
(ええっ?!)
まるで皮を掴んで剥がすような仕草をすると、そこには何とも言えない空間が現れた。こちらからでは奥がどうなっているのかわからない。
「なっ、えっ、こ、これは…?!」
「怖がらなくても大丈夫だぜ~?ほれっ!」
軽々と背負われ、何の躊躇いもなく、僕は謎の空間に向かって放り投げられた。
「~~~~~~っ!!」
言葉にならない悲鳴が森の中に響き渡る。
一瞬見えたヴィッセルの表情は、悪戯に成功した子供のそれだった。
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