第4話 真面目に考える高等教育

 まず高等教育とは大学や高等専門学校、専門学校のことを指し、高等学校のことではないことを断わっておく。

 今回考えたいのはその中でも大学に関してのことだ。


 大学全入時代とも言われて久しいが、高等教育は様々な面で問題に直面している。

 それは大学の新設が相次いだことで、定員を確保するために生徒の学力を半ば無視して生徒数を確保したため教育の質を下げざるを得なくなったり、研究成果を求められ不正に手を染めたりなどいろいろあると思う。


 まず大学の生徒が定員割れをしている問題は、単純に子供の数が減ることが分かっていたにもかかわらず規制緩和によって新規参入ラッシュによって少ないパイの奪い合いになった結果だろう。

 しかし、地方の新規参入した大学が減るとますます都心部への受験者集中を引き起こしてしまい、結果的に都市部の人口集中を起こして地方の衰退を招く要因にもなるだろう。

 魅力ある大学を作ることは難しいだろうし、なにより学生側が都会へ出たいという希望を持っていることもあって新年度の募集を停止する大学も出てきている。


 次に教育の質の低下と研究不正についてである。

 大学が就職予備校だのと言われていることからもわかるが、もはやお勉強よりも就職活動を見据えたスケジューリングや教育になっている。

 原因としてはいつからかビジネス化した学生の就職活動や就職率を売りにしたい大学側の思惑とか色々あるのだろう。

 4年間の集大成であるところの卒業論文に着手する時期に就職活動なんてしていたら碌な研究をできるはずもない。

 事実私の周りでも(就職活動の開始が3月頃だったと思う)8月を超えても内定がでない友人もいたし、彼らの研究成果も芳しいものではなかった。

 そういった彼らが少ない時間を割いて実験を行い、得られた結果が望ましいものでなかったときに一番手っ取り早く解決する方法が不正だ。

 この例はたがが一学部生の卒業論文の中のことなので実際に学会発表や科学誌に載せる論文の例とは違うだろうが、時間がないということはそういう誤った判断を生みかねないということだ。

 そもそも他者の査読の時点で不審な点は弾かれるはずなのだが、その人が研究のトップだったり新規性の高いものであったりした場合は見つかりづらいのかもしれない。


 ここまで書いてみて、就職が悪なのではないかと思い始めたが、労働は義務なのでいたしかたない。 

 日本の「新卒」という幻想が打ち破られれば、大学側も本来の教育に力をいれることができるではないか。

 

 次回は私の在籍していた研究室の例とお隣、中国の大学の例を挙げて話を進めていく予定。

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