第2話 聖夜に考える小児性愛2

 前回の文中で小児性愛と小児性犯罪者という言葉を使ったが、子供が被害者となった性犯罪はすべてが小児性愛者によるものというわけでもない。

 だからといってペドフィリアは皆良い人!と言いたいわけではない。

 ただそもそもの意味合いとして別のものだということをご理解いただきたい。


 こういった子供を狙った性犯罪を起こす動機というのは様々な指摘がある。

 人格形成期のトラウマ、孤独や憂鬱といった負の感情から逃れるため、自身も性的被害者であるなどが挙げられる。

 そのどれもが犯行に至った要因であるかもしれないが仮説の域を出ないものばかりである。

 また、犯行の多くは顔見知りであることが多い。

 知らない人には付いていってはいけないとは家庭でよく教えるかもしれないが、よく知ってる人にも注意しなければならないのは何とも悲しい。

 性犯罪者はその地位を利用して簡単に子供に近づいてくるのだ。

 数年前にPTAの会長が小学生を殺害にまで至ってしまった事件があったかと思うが、これはその典型かもしれない。


 以前とある小児性犯罪者の言葉として紹介されていたが、「その常習性と衝動性は他の性倒錯の群を抜いている。好みの子どもを見ると、まるでそれに吸い込まれるように近づいてしまうんだ」というものがあった。

 この一文を読んだ時私は、非常に理解ができた。

 理解ができるからといって、行動に移すわけではないことをここで断言しておきたい。

 が、理解はできるのである。

 目が奪われる、体が引き寄せられる、言葉として表すならそんな表現が良いかもしれないが、体感としては本当に吸い込まれるというのに近い。

 私は基本的なスタンスとして子供には笑顔でいてもらいたい、不安なく日々を過ごしてほしい、ただそれを眺めているのが好きなのだ。

 子供の悲しむようなことはしたくないし、自分の欲求を満たすことだけを考えた行動を取るつもりもない。

 ここまで書いてみて、これでは自分が犯罪者予備軍ですよと喧伝してるみたいだが内心の自由を盾にしておきたい。


 ここまで書いて見たが、別に世の中から性被害をなくす方法なんて思いつかないし、自分の性的嗜好を変えられるとも思っていない。

 生まれ持ってきてしまったものだから折り合いをつけて生きていくほかないと思うようになった。

 ただ、最後に綺麗事を書いておくと、自分の行動によって悲しむ人がいるということを少し考えてみるべきだ。

 それは性犯罪に限ったことではなく、日常どんなことにも当てはまると思う。

 

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