聖夜の覚悟



※こちらは筆者の長編小説「転がるペガサスとユニコーンパラダイス」から派生したお話となっています。一話完結のショートショートですが、元の作品を読んで頂くと、さらに楽しめると思います。






「……なぜ先生がここにいるんですか?」


 僕はそう尋ねた。


 目の前にいるのは予想外の人物、そう、それは僕の担任だった。


 美人で明るく、それでいて全く気取ったところがなくて生徒と気さくに話してくれる若い彼女は生徒みんなのお姉さん的存在であり学校一の人気者と言える教師だった。


 学校はもう冬休みに入っていたし、彼女と会う機会はしばらくないだろうと思っていた。それになにしろ今日はクリスマスだ。誰からも愛される彼女のことだからきっと今夜は友達や恋人なんかと楽しくやっているに違いない。そう思っていたのに。


 繁華街の広場にある小さな噴水。この辺では有名なデートスポットだ。夜になってライトアップされたそれは幻想的で待ち合わせにも最適な場所だった。


 そこに彼女は一人で立っていた。まるで僕を待ち構えるかのように。


 僕が呼び出したのは彼女じゃないのに。


「驚いた? 私はね、あなたを止めに来たのよ」


 そう、彼女は言った。真っ直ぐにこちらを見つめる眼。それで僕は全てを悟った。彼女は知っているのだ、僕の計画を。ショックのあまり声が出なかった。なんと答えるのが正解なのか判断できなかった。


 すると彼女は震える僕の肩にそっと手を置き僕の顔を覗き込んできた。いつもの優しい笑顔の彼女がそこにいた。


「ここは人が多いから、二人きりになれる場所に行きましょう。そうね、カラオケ屋さんでいいかな?」


 僕は黙って頷くしか無かった。我慢していたのに涙がこぼれた。彼女はポケットから出したハンカチでそっとそれを拭いてくれた。







「えーと、どこから話せばいいかな? そうね、じゃあ、私がなぜあなたのやったことに気付いたのか話すわね」


「……はい」


 カラオケ店の個室。オレンジジュースで喉を潤した僕たちは腰を落ち着けて話を始めた。


「最近世間を騒がせている『ペガサスの再来事件』、学校でも話題になっているけど、私もずっと興味があったの。実はね、二十三年前のペガサス事件には私の家族が深く関わっていてね」


「えっ! 本当ですか!」


 僕はひどく驚いた。そんな話は初耳だったからだ。


「ええ、本当よ。私はまだ小さかったから後になって話で聞いただけだけど。悲しいことがいっぱいあった事件だったみたい。だから今回マスコミが騒いでいる『ペガサスの再来事件』は他人事じゃなかったの」


「そうだったんですか」


「二十三年前に起きた連続通り魔事件。短期間に次々と起きた事件の犯人は別々の人間だったけど、奇妙な共通点があった。ひとつは犯行中に『ペガサス』という言葉を叫んでいたこと。そしてもうひとつは犯行直後に意識を失って目が覚めた時は犯行時の記憶を失っていたこと。オカルト好きが喜びそうなミステリー事件よね。宇宙人のしわざだとかマッドサイエンティストが黒幕だなんて説もあるくらいだから」


 そう言うと彼女はオレンジジュースに口をつけた。


「未だに謎が多い事件よね。当事者以外の人からすれば」


 その言い方に僕は引っ掛かりを覚えた。それって、つまり……。


「ひょっとして先生は事件の真相を知っているんですか?」


「ええ。でも正直とても信じられない話よ。話してくれたのが信頼できる家族じゃなかったら私だって信じていなかったと思うわ。それくらい嘘みたいな話なの」


 あの事件の真相。僕は思わず興奮を隠しきれなかった。でも彼女は実に落ち着いた口調で話を続けた。


「でもそれは今回の件とは関係ないわ。なぜなら『ペガサスの再来事件』はただの便乗にすぎないもの。この街で起きた有名な事件に乗っかっただけ。そうなんでしょ?」


「……はい」


 悔しいが彼女の言うとおりだった。


「マスコミの注目を集めたかったんです。だから名前を借りました」


「ペガサスの名前を使って新聞社やテレビ局に脅迫状を出したのはあなたね?」


「その通りです。でも、先生、なんで僕が犯人だと気付いたんですか?」


「さっきも言ったけど、私はペガサス事件と少なからず因縁があるわ。だからペガサスを名乗る人物から脅迫状が届いたという報道はずっと注目していたの。二十数年ぶりに復活したというペガサスは再び通り魔事件を起こすと宣言し、その月日や時間、場所まで予告した。もちろん警察が警戒にあたった。でも何も起きなかった。ところがそれから数日経ってまた予告状が届いた。時間と場所が記してあったけど、前回同様、その時も何も起きなかった。それが何度か続いて世間の反応としてはたちの悪いいたずらだろうということで話がまとまった。そうよね?」


「そうですね。最近は報道自体されていませんね。脅迫状の郵送はずっと続いているのに」


「そう。私ね、実は警察関係の知り合いがいるの。その人からこっそり聞き出したのよ、その事実を。それでふと思い付いて予告された場所を残らず地図上にマークしてみたってわけ。そして気付いた。それを線で結ぶとクリスマスツリーの形になるって」


「手の込んだいたずらでしょ? 子供染みた単なるいたずら、そう思わなかったんですか?」


「もちろん警察もその事実には気付いていてやはり今回の件はいたずらだと判断したみたい。通り魔が実際に起きることは無いだろう、と」


「でも先生は違ったんですね」


「うん。何か意味があるような気がした。それで地図上にマークした場所についてひとつひとつ調べてみたの。そうしたら数年前にある場所で悲しい事件が起きていたことがわかった。当時あるグループに所属していた中学生の女の子がいじめを受けて自ら命を絶った現場。そのビルの周辺が予告された場所の一つだった。そしてその娘のことを調べてみたらあなたの名前が出てきたわ。家が近所で幼馴染だったんですってね」


「そうです。一人っ子の僕にとっては妹のような存在でした。小学生の時に彼女の家が離れた場所に新築することになってそれから学校は別々になりましたけど。中学になってからもたまに連絡を取って会っていました。いじめられているという相談も受けていた。でも、僕は救ってあげられなかった……」


「だからって復讐なんて馬鹿なことを考えてはいけないわ。あなたが今日呼び出した本当の相手、同じ学年の男の子でしょ? 彼は当時彼女をいじめていたグループの中心的存在だった。ひょっとしてあなたは復讐のチャンスを窺うために彼と同じ学校に入ったの?」


「そうです。ずっと僕はあいつを監視していました。彼女の死について彼が後悔や反省をしているのか見極めたかった。でも残念ながらそんな気配は微塵も感じなかった。あいつは高校に入ってからもクズだった。だから計画を実行することにしたんです」


「あなたの復讐の対象が彼なんじゃないかと気付いて彼と話をしてみたの。それでクリスマスの夜、つまり今夜あなたが彼を呼び出していたことがわかった。あなたは監視を続けるうちに進学や就職の時に困るような彼の弱みを幾つか掴んだようね。でもね、そんなことをしても彼女は帰って来ないのよ?」


 そう言われて僕はついカッとなった。


「ふざけるな! さっき、先生は自ら命を断ったと言いましたよね? とんでもない! 彼女はあいつらに殺されたのと同じですよ。追い詰められたんだ、そうするしかないような精神状態まで!」


「気持ちはわかるわ。でも亡くなった彼女は本当にそんなことを望んでいるの? 厳しいことを言うようだけど、あなたは酔っているんじゃないの? マスコミを煽って注目を浴びようとしたのはなぜ? それってただの自己満足にすぎないわ!」


 わかっていない。こいつは何もわかっていない。


 あんな偽の脅迫状で世間を騒がしてマスコミを巻き込んだのは自分が起こす事件を出来るだけ多くの人に知って欲しかったからだ。面白半分に人をいじめて死に追いやるような人間がどんな悲惨な最期を迎えるか教訓として歴史に残したかったからだ。


 いたずらだと思われていた犯行予告が暗号的な意味合いを持った壮大な前振りだと知り、みんな驚くだろう。地図に現れたクリスマスツリー、その頂点で起きる凄惨な事件と犯人である僕の名前の意味、それらがこの復讐を特別なものにし、人々の記憶に刻んでくれるはずだ。そう、伝説のペガサス事件のように。


 人々の記憶から薄れていく彼女の痛ましい死は僕が起こす事件によって誰も忘れられないものに昇華する!


 酔っているって? 別に構わない。


 僕はすっと懐に手を入れた。あいつに突き立てるつもりだったナイフ。その後、自分の身に深々と刺さるはずだったナイフ。計画はだいぶ狂ったが目の前の邪魔なこの女を片付ければまだ間に合う。


 そう思った瞬間、それは起きた。


 突然、先生の横に現れた顔。悲しげに僕を見つめる懐かしい彼女の顔が叫んだ。


「やめて! 私はずっとあなたを見ていたよ。そんなに思ってくれてありがとう。でもあなたはあなたのための人生を歩んで。もういいの。私はもう誰も恨んでない。だからそんな怖い顔しないで。私が好きだったあの頃のあなたに戻ってよ!」


 幻覚だ。そう思った。彼女は死んだのだ。死んだ人間が現れるわけがない。あの時、僕は毎日のように願ったのだ。苦しくて胸が張り裂けるくらい彼女に会いたいと声にならない声で叫んだのだ。でもどんなに願っても彼女は現れなかった。


「嘘だ……」


 僕がやっと絞り出した言葉に先生は不思議そうな顔をした。彼女はすぐ横にいるあの娘の姿に気付いていないようだった。


「毎年お花ありがとう。忘れていないんだってわかって嬉しいよ。だから前を向いてよ。あなたの心の中にいる私と一緒に君も前に進んで」


 微笑む彼女。ああ、彼女の笑顔を見るのはいつぶりだろう?


 自然と涙が溢れた。もう止められなかった。自然と力が抜けて僕はナイフから手を離した。懐から床に落ちたそれを見て先生は一瞬驚いた顔をしたが、特に何を言うわけでもなく涙と鼻水で汚れたまま嗚咽する僕を優しく抱きしめてくれた。


 どのくらい時間が経っただろう? 目を開けるといつの間にか彼女の姿は消えていた。僕はいま起きたことを全て先生に話した。彼女はうんうんと頷きながら僕の話を聞いてくれた。


「それは幻じゃないわ。本当に大事なもの、それをあなたに気付いて欲しくて彼女が来てくれたのよ。そういうことって本当にあるんだから」


 なぜか先生が言うセリフには経験者のような説得力があった。憑き物が落ちたように落ち着きを取り戻した僕はふと頭に浮かんだ疑問を先生にぶつけてみた。


「……先生、先生はいま好きな人がいますか?」


 自分でもなぜそれを聞いたのかわからなかった。彼女はちょっとびっくりした表情になったが、すぐにニコッと微笑んで教えてくれた。


「いるわよー。実はね、先生、そのうちプロポーズしようと思っているの。いい? ここだけの話、二人だけの秘密だからね?」


 今度は僕の方が驚かされた。


「えっ、先生の方から?」


「ええ。さっき、警察の知り合いがいるって言ったでしょ? 実はその人なの。元々は兄のお友達だったんだけど、もう一人のお兄ちゃんっていうかずっと憧れの人だった。だから私の方から猛アタックしてお付き合いしてもらったのよ。でも彼は結婚に消極的みたいでね。だからプロポーズも私の方からやっちゃおうかと思って」


「お兄さんって、確か、十歳以上離れているって言ってませんでした?」


「そうよ。みんなからツッコまれるのよね、それ。なんか変かな?」


「えーと、なんかすごいですね、先生……」


「そう? あ、そうだ、このナイフは先生が預かっておくわ。先生と一緒に警察に行ってくれるわね?」


「はい」


 これまでの人生で一番素直な返事が僕の口から自然と飛び出していた。


「大丈夫。私の彼に力になってもらうから。あ、そうだ、ついでに君が握っているあいつの弱みって奴も全部警察で話してもらえるかな?」


 そう言って先生はちょっと悪い顔をした。僕は思わず笑った。


「よし、じゃあ、話はここまで。じゃあ、今夜は歌おうか?」


「え! で、でも……」


「今日はもう遅いじゃない。まずあなたのご両親とお話しないとね。警察に行くのはそれからよ。あ、彼は仕事だから気にしないで。だから今夜は二人で歌いましょ! そのためのカラオケなんだから。クリスマスソングとかどうかな? 誠也くん」


 まったく、この人にはかなわないな。たぶん年の離れた彼という人もこの天真爛漫さに振り回されているんだろうな。


 会ったこともない彼に僕はちょっと同情を覚えた。


 僕の知らないクリスマスソングを熱唱し始めた美優先生と何年か振りの笑顔を浮かべて手拍子を始めた僕の聖夜は一生忘れられないものになることだろう。






                ~了~





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欠片たちの物語(蛇足) 蟹井克巳 @kaniikatsumi

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