どっちも表



※こちらは筆者の長編小説「転がるペガサスとユニコーンパラダイス」から派生したお話となっています。一話完結のショートショートですが、元の作品を読んで頂くと、さらに楽しめると思います。






「先生、本当に今日で辞めちゃうんですか?」


 僕はどうしても我慢できずそう聞いた。


「……ああ。もう決めたことだからね」


 予想通りの答えだった。彼女の決意が固いことはもちろん僕もよく知っていた。でもひょっとしたら今朝になって考えを改めてくれたのではないかと少し期待していたのだ。しかしどうやら本当に今日が最後になるらしい。


 今日は寒い。そういえばあの日もこのくらい寒かった。


 僕が彼女に弟子入りを志願したのは三年前の冬のある日だった。


 その日、僕はくそ寒い公園のベンチで頭の中が真っ白のまま自分の靴をぼうっと眺めていた。その時に突然声を掛けてきたのが先生だった。


「女、みたいだね。別れを告げられたけど理由がわからない、そんなとこだろ?」


 僕はあの時、化け物でも見るような表情で先生を見上げたと思う。ところがそこにいたのはどこにでもいる普通のおばちゃんだった。僕はそれに少しホッとして「なんでそんなことをあんたが知ってんだよ!」と強気に返した。


「占い師だからね、あたしは。まあ、占い師じゃなくても、さっきのアンタの様子を見れば女に振られたんだろうなってことくらいわかるだろうがね。アッハッハ」


 半信半疑というのが最初の印象だった。でもその後、先生と色々な話をするうちに「この人は本物だ」と僕は確信した。先生が指摘したことに心当たりがあったからだ。絶対に僕しか知らないことだった。


 僕はその日のうちに先生に向かって占いを教えて欲しいと頼み込んだ。占いの力で彼女と復縁できるのではないか、そう思ったからだ。いま思えばこれは全くの勘違いだった。色々やってみたが結局彼女は僕の所に戻って来なかった。


 占いは人の心を書き換えるためのものではない。


 弟子になることを許されて三年経った今だからこそ言えることだ。実を言うと先生は僕の邪な気持ちを最初からお見通しだったらしい。それではなぜ弟子にしてくれたのか? 先生曰く「あんたには才能がありそうだったから」らしい。


 そんなすごい先生が突然引退を口にしたのは数ヶ月前のことだった。テレビで取り上げられるほどの人気占い師で数カ月先まで予約でいっぱいだったのに「もう新しい予約は取らない。いま受けている依頼が全部終わったらもう占い師は辞める。店は弟子のお前に譲るよ」と突然宣言したのだ。もちろん僕は止めたのだが頑固な先生は聞く耳を持たなかった。


 そして瞬く間に時が流れ、今日の日を迎えたわけだ。今日の予約は三件。それが終われば先生は占い師を卒業してしまう。


「先生、なぜ辞めるんですか? 僕も含めて辞めないでほしいって言う人たちは大勢いるじゃないですか!」


「そりゃ決まっているよ。当たらなくなってきたからさ」


「えっ! ま、待ってください。先生の占いの結果を聞いてみんな納得してお帰りになっているじゃないですか? 先生の占いはちゃんと……」


「自分にしかわからないことなんだよ。全盛期に比べたら私の感覚は明らかに鈍くなってきている。悔しいけど事実さ。確かに騙し騙し続けることは出来るのかもしれない。でも自分に嘘をつく占い師なんて私も嫌だからね。本当ならもっと前に辞めても良かったんだけどさ。変な奴が転がり込んできたから今まで頑張ってみたってわけさ。その変な奴もだいぶ一丁前になってきた。だからそろそろ潮時なんだよ」


 僕は何も言えなくなった。まさか、この三年が僕のためだったなんて……。


 そうか、もうこれ以上先生に頑張ってほしいと言うのは酷なことなのかもしれない。先生のその言葉で僕の腹も据わった。僕は黙って開店の準備を始めた。


 そしていつものように淡々とあっという間に三件の占いは終わった。外はもう暗い。最後の客が帰ると僕はいつものように店の掃除を始めた。先生はいつものように占いの道具を片付ける。いつものように無言だった。


 本当にこれで終わりなのか。さて先生になんて言葉を掛けようか?


 僕が先生の様子を窺いながらそう思っていた時だった。「CLOSED」の札を掛けておいたはずのドアがゆっくりと開いた。先生と僕は反射的に入口の方を向いた。顔を出したのは綺麗な顔立ちをした一人の若い女性だった。


「あっ、すいません。もう今日は終わりなんですが」


 無意識に口をついた「今日は」の言葉が僕の中に残る未練を象徴しているようだった。それを聞いた彼女は困ったような表情を浮かべて頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! もう閉まっているってわかっていたんですけど、急に『今、ここに入らなきゃ!』って胸騒ぎがしてしまって」


 自分でもなぜそんな行動をとったのかわからなくて動揺している、彼女はそんな感じに見えた。


 ああ、なるほどね。僕はそう思った。実は意外とよくあることなのだ。人にも相談できない、自分でも解決できない、そんな悩みを抱えた人間が歩いている時に「占い」の看板を見て衝動的に店へ入ってくる。僕もこの三年間に何度かそんな光景を目にしていた。しかしまさか、最後の日のこんな時間に飛び込みの客が入ってくるとは。いつもなら「予約しているお客様が大勢いらっしゃるので」と丁重にお断りするのだが、僕は一瞬判断に困った。


「あ、あの、表に張ってある張り紙は拝見しました。今日で引退なさるとか。それにこちらの先生が何年も前から予約しないと占って頂けないほど有名な方であることも存じています。でも失礼を承知でお願いしたいんです。私の相談に乗って頂けないでしょうか?」


 こちらの胸まで痛くなってくるほど切実な表情だった。余程困っていることがあるのだろう。僕がそう思っているとそれまで黙っていた先生の口が開いた。


「……いいでしょう。占ってあげる」


「ほ、本当ですか?」


「ええ。お嬢さんを私の占い人生最後の客にするわ。実を言うとね、さっきの客がすごい我儘親父でイライラしていたところなの。あんな奴が私の最後の客だなんてこれから先とても我慢できそうにないわ。どうせなら思い出の客はあなたみたいな可愛いお嬢さんの方がいいに決まっているでしょ?」


 先生がそう言うと彼女はぱっと明るい表情になり「ありがとうございます」と頭を下げた。そんな彼女の姿を見て僕も思わず笑顔になっていた。自然な言葉でお客様の心の重荷を軽くする。僕が真似したくてもなかなか真似できない先生の得意技だった。


 それにしても「我儘親父」とは。あの人、テレビでも見掛ける結構大物の政治家なんだけどな。


 先生は早速仕舞い掛けていた道具をテーブルに出して占いの準備を始めた。僕も掃除用具を片付けてずらしていた椅子を定位置に戻し彼女をそこに座らせた。全ての準備が整うといつものように先生は彼女に問い掛け始めた。


「ふーん、どうやら何を占って欲しいというよりも大きな悩みに苦しんでいるって感じね」


「は、はい、そのとおりです」


「占いで当ててみせてもいいけど、そういうのは自分から言ってすっきりしちゃった方がいいかもしれないわ。どう、言える?」


 先生にそう問い掛けられた彼女はチラッと僕の方を見て黙ってしまった。やはりあまり聞かれたくない話らしい。


「あー、そいつは大丈夫。口が固いことだけは私が保証するよ。まっ、占いはまだまだなんだけどね」


 おいおい、「まだまだ」って、そんな奴に明日から店を任せるつもりなのか、この人は。


 僕は思わず苦笑いを浮かべた。そんな僕の表情を見て何を思ったのかわからないが、彼女は少し安心したような笑顔を見せてくれた。


「わかりました。お話します。いま私には付き合っている男性がいます。もう出会ってから十年以上経ちますね。よく喧嘩もするけど何とか今まで仲良くやってきました。ずっとこんな感じで付き合って行くのかなって思っていました。でも最近彼が結婚を意識しているようなんです。はっきりそう言われたわけじゃないけど彼の言葉や態度を見ているとわかってしまって……」


「あなたは結婚したくないってことなの? 仕事とか時期の問題かしら? それとも……」


「いえ、そういうことじゃなくて……。もちろん、彼のことは大好きです。彼とずっと一緒にいられたらどんなに幸せだろうって思います。でも、あの、私にはそんな資格無いんじゃないかって……」


「資格?」


「はい。私には幸せになる資格なんてないんです」


 そう言うと彼女はまた僕の方をチラッと見たが今度は黙ることはなかった。


「昔、私は重い罪を犯しました。私のせいで二人の人間が命を落としたんです。だから私は幸せになっちゃいけないんです」


 人が死んだ? しかも二人? 僕は正直動揺したが出来るだけ表情に出さないように務めた。先生はさすがというか全く驚いたような様子もなかった。


「……なるほど。罪の意識ってわけか。まあ、詳しい事情は聞かないでおくよ。法的にあなたがどう裁かれたかなんて今となってはあまり意味のないことだろうからね。問題なのはあなたがそのせいでずっと苦しんでいるってことだ。それだけで充分罪滅ぼしになっていると思うがね」


「いえ、たぶん私の罪は死ぬまで消えないと思います。だから結婚なんてしちゃったら彼にまでその重さを背負わせてしまうんじゃないかって、それが心配なんです。彼はすごく優しい人です。私の犯した罪を全部知っていて、それでも私に手を差し伸べてくれた人。そんな彼にこれ以上迷惑を掛けたくない。だから彼が結婚を匂わせてきた時、私、どうしたらいいかわからなくなってしまって」


 とても難しい問題に思えた。僕は男だから彼の気持ちというのもよくわかる。彼は結婚というけじめを付けることで彼女をもっとちゃんと守りたいと思っているのだろう。でもそれが罪の意識を持つ彼女を尚更傷付けてしまっている。難しい。こういう時はどんなアドバイスをするのがいいのか、確かに「まだまだ」な僕には検討もつかなかった。


「大体の話はわかったわ。じゃあ、占ってみるわね」


 そう言うと先生はいつものように目をつぶった。三十秒ほどそのまま精神統一をしてからタロットカードを混ぜテーブルの上に配置していくのだ。


 普通ならそのはずだった。


 ところがその時ばかりはいつもと違っていた。目をつぶった先生の表情が突然歪んだのだ。三年間、先生の占いを見てきた僕だったが初めて見る光景だった。声を掛けていいのかもわからず僕は戸惑った。するとフッと先生は目を開いた。


「……では占いの結果を解説するわね」


 えっ! あ、あの、先生、カードは……。


 そう思ったが真剣な表情の先生を見ているとなぜかそれを口にしてはいけない気がした。


「はい、お願いします」


「あなたたちは二人とも『表』しか相手に見せてないわね。そこがまず問題なのよ」


「えっ……、どういう意味ですか?」


「二人揃って優しすぎるのよ。相手を傷つけちゃいけないと気にするあまり遠慮し合っている。よく喧嘩するって言っていたけど、いつもつまらないことが原因でしょ? それはね、じゃれ合っているだけ。実際は本気で本音をぶつけあったことがないんじゃないかしら?」


「……確かにそうかもしれません。彼にだけは嫌われたくない、どうしてもそんな風に思っちゃって……」


「じゃあ、彼の前に好きだった男性の時はどうだった? あなたが初めて好きになった人」


 先生がそう言うと彼女の表情が明らかに変わった。驚きと悲しみが入り混じったような、そんな複雑な表情だった。


「な、なぜそのことを?」


「まあ、占い師だからね、あたしは」


 三年前と同じ言葉を先生は口にした。


「か、彼には……、うん、確かに彼には何でも本音で言いました。でも、今の彼とその彼は……」


「そう、違う。でもあなたは心のどこかで比べていない? 二人を」


「えっ! そ、そんな違います! 違う、そんなんじゃ……」


 そう言いながらも彼女は明らかに動揺していた。その戸惑った表情がすでに答えを出していた。


「……そうなのかな? そんなつもりじゃなかったのに。私、無意識に比べていたのかな?」


「心に刺さったままの思い出って奴は厄介だからね。時が過ぎれば過ぎるほど元の大きさ以上に膨らむのさ。そんなものと比べられたら今の彼が可哀想だよ」


「確かにそうですよね。でも、じゃあ、私、どうしたらいいんですか?」


「アドバイスできるのは一つだけ。あなたたちが裏だと思って隠している部分は裏じゃないの」


「裏、じゃない?」


「本来、心には表も裏もないのよ。それなのに勝手に自分でそう思い込んで心を無理やり潰して裏を作り出しているだけなの。怖がっちゃ駄目よ。あなたの心はどっちも表なんだから。裏なんてないの」


「どっちも表?」


「そう。だから自分の思っていることを一度包み隠さず彼に話してみたら良いんじゃないかしら? もちろん代わりに彼の本音もちゃんと聞いてあげてね」


「……正直、恐いです。そんなことしたらお互い相手を嫌いになっちゃうんじゃないかって……」


「今まで二人で積み上げてきたものを信じなさい。それと、最初の思いも」


「最初の思い?」


「彼と出会った頃の思いよ。なぜあなたは彼と付き合い始めたの? それを思い出してそれを信じれば自ずと答えが出るはずよ。彼はその頃と全然変わっていないわ。信じてあげなさい、彼と自分を」


「彼と、……自分? ……あっ!」


 彼女の表情がぱっと変わったのがわかった。先生の言葉に彼女は何かを感じたようだった。


「……私、大事なことを忘れていました。それを今、思い出しました」


「これは占いじゃなくて私の勘だけどね。彼、きっと今からあなたに会いに来ると思うわ。もうお帰りなさい」


「はい! ありがとうございました! あ、あの、それで料金の方は?」


「今日は気分がいいからいらないよ。何かあったら『今度は』彼と一緒にいらっしゃいな。色々相談にのるよ。でもその時はちゃんと料金頂くからね」


「えっ、今度って、でも……」


 今度だって!? その先生の言葉に彼女以上に驚いたのは僕だった。


「アッハッハ、お嬢さんの行く末を知りたくなったのさ。そこにいる弟子を見守るために私は三年引退を待った。お嬢さんのためにもう少し引退を延ばすのも一興ってもんさ」


「あ、ありがとうございます! じゃあ、私、これで今日は失礼します。絶対また来ます!」


 彼女はそう言うと何度も頭を下げながら店を出ていった。彼女の余韻が残る中で僕は先生にこう聞いた。


「先生! 今の話、本当ですか? 引退を撤回してくれるって」


「まあね。こんな面白いことがあったら続けないわけにはいかないだろう?」


「面白いこと?」


「私はカードを使わなかっただろう? 実を言うと今のは占いじゃないのさ」


「ええっ、占いじゃない? どういうことですか?」


「私が眼をつぶっている時、様子がちょっとおかしかっただろう?」


「あ、はい、確かに」


「あの時ね、実は突然頭の中で声がしたのさ、男の子の。そうだねえ、中学生くらいかね?」


「声? 中学生?」


「色々と彼女のことを私に教えてくれたよ。お陰で参考になった。彼女にしたアドバイスはほとんどそいつの言葉を借りたものさ。私はただの通訳みたいなものだったね」


「何ですか、それ? えっ、あっ、まさか、幽霊!?」


「そうかもね。長く占い師をやってきたがこんなのは初めてさ」


「はあ、驚きました。幽霊ですか。それでその少年の声って今も聞こえるんですか?」


「いいや。なんか『今度はバーの方に行かなくちゃ!』とか言い残して消えちまったよ。霊の世界ってのもなかなか忙しいんだね」


「そうか、その少年は彼女を一生懸命導いてくれているんですね?」


「ああ。彼女ならちゃんと彼が言いたかったことに気付いてくれるだろうよ。罪を償うっていうのは誰かに何かをするだけじゃ駄目なんだ。同時に自分のことも許してやらなくちゃ。それが約束だったわけだし」


「約束?」


「今の彼との約束さ。彼の誓いは『きっといつか君が空ばかり見ないようにしてみせる、絶対に』、彼女の誓いは『彼と自分、二人の人間を救う』、二人はそこから始まったんだよ。それさえ思い出せれば大丈夫さ」


 先生はそう言うと満足そうに笑った。いい笑顔だった。いつか、僕も先生のように裏表なく笑える日が来るだろうか?


 占い館「ペガサス」はまた明日から忙しくなりそうだった。



                 

               (了)





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