第4話 謀りごと
朝日の中、バケツを片手に、近くの川まで歩く。周りを飛ぶおしゃべり好きな小鳥たちのさえずりを聞きながら、昨日のことを思い返す。
お茶会から帰宅した私は、研究室にある書物や資料の全てに目を通した。
そこから抜き出したのは、石化病の治療薬についての書物と資料、それとわずかな墓守草についての資料だ。墓守草の資料が少ないことは把握していたが、思わず頭を抱えてしまった。祖母は墓守草にさほど興味がなかったのだろう、めぼしい情報は見当たらなかった。
墓守草を別の薬草で代用できないかと思い、調合法が書かれた書物を読んでみたが、やはり難しい。短時間では不可能だろう。
その時点で、あの男を祖母の墓へ案内する事が、私の中で決定事項になった。
あまり時間をかける案件ではないことは承知している。しかし、急いて事を仕損じるわけにはいかないのだ。
パウルの母親の容体は、昨日のうちで2匹の小鳥に確認させた。彼らによると、今日明日で亡くなってしまう程病気が進行しているわけでもなさそうなので、急いで採取に行かなくても良いだろう。
幸いにも、調合に必要な材料は、ほとんど薬草園で
さらさらと流れる、透き通った水質の川で、小鳥たちは我先にと水浴びを始める。それを横目に川沿いを歩き、目当てのところでしゃがみ込む。この辺りは外から見ると浅く見えるが、実際手を伸ばすと、肘が飲み込まれるくらいの深さになっている。
川の流れは少し速く、木々の間から朝日が差し込むこの場所こそが、水草の自生地だ。
水草が群生していることを確認した後、いったん川から手を引き、バケツに水をくむ。そうして必要な分だけ、丁寧に採取する。
ある程度採取し終えたとき、対岸で草を分ける音がした。覚えのある気配だ。ここまで近づいていたその気配に、全く気付かなかった。
一瞬止まってしまった身体を、さりげなさを装ってまた動かす。水草を根っこからゆっくりと引き抜き、両手を使ってバケツに入れる。そして、あたかも今気づきましたと言わんばかりの表情と仕草で、対岸に目をやった。
「あら、ヴァレンツさん。おはようございます」
そこにはやはり、猟銃を背負ったヴァレンツが立っていた。身体は完全にこちらを向いているので、水草の採取をまじまじと見ていたことになる。なにか興味でもひいただろうか。
「ああ、おはよう。朝早いんだな」
「はい、早起きが得意なんです。ヴァレンツさんは見回りですか?」
「いいや、見回りではなく、少し身体を動かしてたところだ。
それに、ヴィチーノの近くにオオカミが出たのは昼頃だったからな。見回りは昼と夜だと決めてるんだ」
「そうだったんですか。お疲れ様です」
「ああ……そっちに行っても?」
「ええ、どうぞ」
鎧のような筋肉は、毎朝の運動で維持されたものだったのか。
身軽にこちらに飛び移るヴァレンツのために場所を開け、近くに置いていたタオルで軽く手を拭く。そして予備で持ってきていたもう一枚を、ヴァレンツに渡した。
「汗をそのままにしていたら、身体を冷やしますから。使ってくださいな」
「助かる、ありがとな。あとで洗って返そう」
「お気遣いなく。もう朝の運動は終わったんですか?」
「そうだな、今はちょうど家に帰るところだったんだ。嬢ちゃんはここで何を?」
荒っぽく汗を拭くヴァレンツは、不思議そうにバケツを覗いている。しゃがんでいても大きい人だ。
「水草の採取ですよ。治療薬に必要なんです」
「この草がか? 俺はこれ、あー、水草というのか、ギルドにいる頃に食料にならないかと食ってみたことがあるんだが、不味くてな。調理しようにも、すぐに先の方についている実が割れてしまって、食えたもんじゃなかったってのを覚えてるんだが」
眉間にしわを寄せて、水草を睨み付けているヴァレンツの近くにしゃがみ込み、触れようとしていた武骨な手をやんわりと引き留める。
「水草はとても繊細なので、扱うときには注意が必要な植物なんです。長い間空気に触れると身が割れてしまうので、こうして自生地の水の中に浸して持ち運びするんですよ。
と言っても、使い道は飲み薬の材料が主ですから、薬を調合する人以外には正しい扱い方が広まっていないのでしょうね。
それと、薬が苦い原因の一つです」
「なるほどな……つまり、これは食えないものだったのか。
それにしても大した知識だ。ヨルンから聞いてはいたが、優秀だというのは身内びいきではなかったらしい」
「ふふ、恐縮です」
やはりこの人は、自分自身で他人を判断する人だ。たとえ信頼する人が良しと判断しても、自分の眼で直接見て、接することで情報を得て、それから自らの判断を下す。味方であるならばとても心強いのだろう。ただ、その眼で観察されていることを察している身としては、なんとも居心地が悪い。
そのプレッシャーに圧され、ボロが出ないようにしなくては。
「採取はもう終わったのか?」
「はい。万一の時の予備を含めて、これで必要な分は採取できました」
ヴァレンツに続いて立ち上がる。バケツを持とうとすると、横からヴァレンツが手を伸ばし、バケツをゆっくりと持ち上げた。
「あの……」
「送ろう。本当は今の時期に、一人で森を歩いてほしくはないんだが……あー、いや、タオルの礼だ」
「それは、ありがたいのですが、お疲れではありませんか?」
「はは、嬢ちゃんが思うよりも体力はあるんだぜ? こういう力仕事があるなら、気軽に声をかけてくれ」
「……そうですね、では、お願いします」
高いところにある顔を見上げ、微笑むと、数秒視線が絡んだ後にふいと逸らされる。相変わらず、その表情と瞳に、思考や感情は見当たらない。というよりも、隠すのが上手いのだろう。
「方向は?」
「こちらです。ここをずっとまっすぐ」
家の方向を指し示し、二人で歩きはじめる。隣に並ぶ男の歩幅は不自然なほど小さく、その上バケツを揺らさないよう細心の注意を払っている。その水面にわずかでも波紋ができないのは、流石といったところか。
「ヴァレンツさん、一つお願いがあのですが」
「ん、なんだ?」
「私のこと、嬢ちゃんではなくソフィアと呼んでくださいませんか? その方が呼ばれなれていまして……もちろん、良ければ、ですが」
「構わんよ。もしかして気に障ったか? すまんな」
ふと思いついて、唐突に”お願い”してみたが、それでも感情を揺らした様子はない。ヴァレンツは変わらず、前を向いて歩いている。
もしかして、この男が常に私を観察し、警戒しているというのは考えすぎで……いや、常に最悪を考えて行動することが、私を生かしてくれるのだ。気は抜けない。
「いいえ、もう嬢ちゃんと呼ばれる歳ではないと、そう思ったので」
「そうか? 嬢ちゃ、いや、ソフィアか」
ソフィア、ソフィアと男は小声で、口を慣らすように呟く。
この男の口で、この男の声で、自分の名前を呼ばれるのは、どこか不思議な感じがして、ざわりと心が小さく揺れた。このざわめきは、何だろう。自分の中に分からないモノがあるのは、どうにも気持ち悪い。名前を呼んでとお願いしたのは間違いだったかもしれない。
ただ、里の連中を思い出すから、あの呼び方を止めてほしかっただけなのに。
家までの道のりを、踏みしめながら歩く。ちらりと男をうかがうと、周りを警戒するように気を張っていた。見回りではないと言っていたが、この様子では見回りとそう変わらないだろうに。森を歩くとき、いつもこんなふうに気を張っているのだろうか。だとしたら、相当な精神力の持ち主だ。
「そういえば、薬草の方はどうだ? 名前はなんて言ったか……」
「眠り花、ですよね。治療薬の調合が載っている本はあるんですけど、やはり自生している場所は、黒の森、とだけ。今日はこれから、自生地と並行して、他のもので代用できないか調べる予定です」
「この森にあることはあるのか……もう一度言っておくが、一人で森の深部へ行こうと思うなよ。行くときは俺に声をかけるんだ、いいな」
強い瞳で釘を刺される。思っていた通りだが、この男の目をかいくぐってお墓まで行くのは難しそうだ……隠してもすぐにばれてしまうだろう。いや、お墓に向かっている途中でばったり出くわしそうだ。恐ろしい。
「分かりました。森に行くときは……」
「そうだな、しばらくは朝と夕方の2回、ヨルンの店に行くようにしよう。なにかあったらその時間帯に来るといい」
わかりました、と頷く。それを確認したヴァレンツは、満足そうに小さく微笑んだ。
朝と夕方、この男は森から離れる――明日の勝負は、その時だ。
背の高い茨の垣根が見えてくる。ヴァレンツよりも少し高いので、彼も思いっきり背伸びをしない限り、中の様子をうかがうことはできないだろう。
「送ってくださって、ありがとうございます」
「ここまででいいのか?」
「はい。この囲いの中が、私の家なので」
「ほう、誰が住んでるのか疑問だったんだが……ソフィアだったのか」
「私の祖母が、安全のためにと植えて育てたんです」
一見何もないように見える茨の垣根の中に、手を入れる。ヴァレンツは私の行動にギョッとして止めようと手を伸ばしてくるが、その前に仕掛けを解除した。
カチッという音と同時に、茨の垣根の一部が、扉のように内側へ開いていく。これも祖母が、『安全のため』に作ったものだ。ちなみに敷地の中からは、木の扉に見えるという仕掛けだ。
扉が開いていくのと同時に引っ込めた手には、傷一つない。茨程度で傷つくほど、この身体は
そっとヴァレンツを見上げると、まじまじと仕掛けを見ていた。驚きが大きすぎて、私の手には目がいかなかったらしい。まあ、好都合だ。
「なるほど、これなら町に住むよりも安全かもしれんな」
「ふふ、そうかもしれませんね。
ここまでバケツを持ってくださって、本当に助かりました」
「言ったろう、タオルの礼だ。ああ、タオルは後日に洗って返そう。
それと、あまり無理はしないようにな。身体を壊したら本末転倒だ」
「はい。ヴァレンツさんも、お気をつけて」
バケツを受け取り、軽く頭を下げるが、ヴァレンツは頷くだけで扉の前から動こうとしない。私が中に入って扉をちゃんと閉めるまで、見届けるつもりなのだろう。
バケツを敷地内にそっと下ろし、ゆっくりと扉を閉める。
ふと思いつき、閉まる直前、
完全に閉まった扉を背に、漏れ出る笑いをこらえて、バケツをひょいと持ち上げ、一切揺らすことなく調合室へ運ぶ。
明後日の調合に備えて、集めた材料の処理をしながら、考えるのは墓守草のことだった。
墓守草。
それ自体のクセが強く、未だ石化病の治療薬にしか使い道が発見されていない、黒い森の産物。
生育の条件は一体何だろう。私たち一族の血肉か。それともこの森の土壌か。
今までは、この森にしか人狼がいないから黒い森の産物だと人間に認識されている、と思っていたのだが、早計だっただろうか。
必須条件は、人狼の血肉と黒い森の土壌の、二つ?
それならば、唯一この森の外で栽培に成功した王宮魔導士の彼女は、人狼について知っている……? だとしたら、私たちはなぜ生かされているのだろう。人間は私たちを絶滅させたいと願っているはずなのに。
ひたすら、悶々と考える。
この森近辺から出たことのない私の知識は、おそらく偏っているのだろう。
もしかしたら私が知らないだけで、この国以外にも同胞がいるのかもしれない。だって私の母親は、より強い伴侶を求めてこの森を、この国を飛び出していったのだから。
すべては夢物語だと長老に教わった。だが、もしかすると我ら人狼だけでなく、他の獣人もどこかで息をひそめながら生きているのかもしれない。むしろ、隠れることを選んだ我ら一族とは違い、堂々と生きている可能性だってある。もしかしたら、伝説の古竜だって……なんて、流石に夢物語がすぎるか。いるはずのない生き物から取れるものを材料に作られる秘薬は、それこそ伝説の類。
だが世界は広い。長老たちでも分からないことだって、沢山あるだろう。ならば私たち一族が安心して暮らせる場所が、この森以外にもある可能性だってゼロではないはずだ。祖母が私に、大人になったら旅に出て他の国を見に行くといい、と言ったのだって、それを示唆しているのかもしれない。
しかし、私たちの祖先は、この森の奥で隠れ住むことに決めた。
ならば、私たち一族にはそれが最適なのだろうか。
欲が過ぎれば破滅を招く。それが世の理。
なんども言い聞かされた『教え』が、耳に響く。
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