第3話 お茶会
ヨルンの雑貨屋をあとにし、花屋の前でヴァレンツと別れた。その後アンナさんに黄色の花を中心に花束を作ってもらい、隣町――ヴィチーノへと向かった。
抱えた花束から香るやわらかな匂いに頬が緩むのを感じ、そこでやっと身体の緊張が解けたことを知る。そのことを苦く思いながらも、静かに深呼吸をした。
しばらく歩くと、柔らかな陽光に照らされた、こじんまりとした家が見えてきた。
庭に丁寧に植えられていただろう花たちが乱雑に踏み倒されているのは、かの外れ狼による襲撃の跡だろうか。
年季が入った木の扉をノックする。
「エドナおばあちゃん、ソフィよ。お見舞いに来たわ」
「お入り。鍵は開いていますよ」
扉を開けると、安楽椅子に座ったエドナおばあちゃんが縫い物をしていた。見たところ怪我らしいものは見当たらない。そのことに安堵し、小さく息を吐く。
「来るんじゃないかと思っていました。息災でなによりです、ソフィ」
「心配したのは私の方よ。怪我はしていないようだけど、もう起きて大丈夫なの?」
「ええ、ご覧の通り。大事になる前に、この町の狩人さんに助けてもらいましたから。一ヶ月前に戻ってきたヴァレンツという人なのだけれど……貴女はまだ会ったことがありませんでしたね」
出てきた名前に、眉間にしわが寄りそうになるのを耐える。そうして何でもないような顔をして、肩をすくめて見せた。もっとも、私の心情の細部を、彼女は理解してしまっているのだから、意味はないだろうけど。
しかし、戻ってきたということは、ヴィチーノはあの男の故郷なのだろうか。
「今日会ったわ。そのことで貴女に相談しに来たの。今、時間あるかしら?」
「構いませんよ。お茶の用意をしますね」
「ありがとう、お茶なら私がやるわ。エドナおばあちゃんはお花を飾ってくれる?」
持っていた花束を渡し、最近よくお茶会で使っているティーポットを棚から取り出す。ミルクティーに合う強いコクの茶葉を選び、少し濃いめに蒸らす。そうしてポットとカップ、ミルクをテーブルまで運ぶと、花が綺麗に生けられていた。
「綺麗なお花をありがとう。アンナのお店で買ったんですね」
「ええ。通りかかったら可愛らしく咲いていたものだから、エドナおばあちゃんに合うように花束を作ってもらったの。気に入ったのなら嬉しいわ」
柔らかく微笑んでいる彼女の前に、たっぷりとミルクを入れた紅茶を置き、自分のものには少しだけミルクを入れて椅子に座る。
「貴女のいれる紅茶は、いつも美味しいですね」
「ありがとう。でも、おばあちゃんに比べるとまだまだだわ」
一口飲み、目の前に座っている彼女の顔をちらりとうかがうと、そうかしらと首をかしげていた。
「シュティーナのいれた紅茶も好きだったけれど、ソフィの紅茶も好きですよ。愛情がこもっていて、とても優しい味がします」
「……そう言ってくれる貴女が好きよ、エドナおばあちゃん」
「うふふ、私も好きですよ、可愛い子。それで、今日はどんな相談を?」
彼女は鈴のようにコロコロと笑い、話を促してくる。
見ていると何故か泣きたくなるような、全てを包み込むように力強く、なんでも許してくれるような慈愛溢れる柔らかな笑顔。
私の祖母――シュティーナの唯一の友であり、私の大事な家族の一人。私たちの全てを受け入れてくれた彼女に、寄りかかるように頼ってしまうのは、昔からの癖だった。それでも鬱陶しがらず、変わらない笑顔で相槌をうちながら聞いてくれる彼女に、今日起こったことを愚痴混じりに喋り倒した。
「坊やを見捨てることが出来なかったんですね、ソフィ。貴女のその優しさは、忌むべきものではありませんよ」
「優しさなんてものじゃないわ。全ては私のためよ。おばあちゃんが作ってくれた私の居場所を守るための布石にすぎないわ」
「そういう頑固なところは、本当にシュティーナにそっくりですね。それで、貴女は何を憂いているのかしら」
「問題は、薬の材料になる薬草なのよ」
「先ほど手に入りにくいものだと言っていましたが、シュティーナの手記にも無いものだったんですか?」
彼女は、この森において祖母が知らない事など一つもない、と思っている節があるので、心底不思議そうに聞いてくる。もちろん私もその意見に異存はない。しかし、今回の場合は勝手が違うのだ。
「いいえ、そもそも、その薬草に対する人と私たちの認識がズレているのよ。
その薬草の名前は“眠り花”、通称”
私たちの一族の墓の周りにほぼ生息しないとされている種だから、人間の流通にあまり乗らないの。
エドナおばあちゃんも見たことがあるわ。覚えているかしら、鮮やかな赤の花」
「ええ、ええ、もちろん。シュティーナのお墓の周りに咲いていましたね。
つまり、今回森の深部への出入りをヴァレンツに制限された貴女は、シュティーナの墓へ行き薬草を採取する際、彼を連れて行かなければならなくなった、というわけですね。
そしてそれが、心底嫌だと」
「全くその通りよ」
外れ狼の
それに、人間に墓守草の生態を知られるわけにはいかないので、「先日撃ち殺したオオカミは、その後どうされたんです?」なんて妙な質問はしないに限る。このタイミングで私がヴァレンツへこの質問をするということは、オオカミと墓守草に何かしらの関係性があると悟られても不思議ではないのだから。
人狼族の墓地以外のところでごく稀に生息しているらしいものを探し出すには時間が足りず、ましてや里の墓地へ近づけるわけにもいかない。
こっそり行くにしても、あの男はどこからか嗅ぎつけて後を追ってきそうだ。
結果、選択肢は5年前に亡くなった祖母の墓へ、ヴァレンツを案内することのみ。
「仕方の無いことだと分かっているけどね。あんな得体の知れない男を、おばあちゃんのお墓まで案内しないといけないなんて、……ひどい悪夢だわ」
「あまり難しく考えなくても良いんじゃないかしら。あなたは信用できないかもしれないけれど、ヴァレンツは良いお人ですよ。心配しなくとも大丈夫です」
微笑む彼女に、少しの焦れったさを覚えた。確かに状況から言えば、彼女の無事について私はヴァレンツに感謝の意を伝えるべきなのだろう。
オオカミから家族を救ってくれた恩人、それがソフィアから見た彼。
だが、理想とは幻想であり、追い求める故に届かないものだ。
「貴女の恩人を悪くは言いたくないけど……あの男と目を合わせた瞬間気づいたのよ。
あの男は正しく狩人。弱者を狩る強者――こちら側に限りなく近い存在だって。
なのに、なのによ! 混じりっけのない人間なのよ、あの男!
……チグハグすぎて恐怖すら生まれるわ」
あの類の人間が、ギルドに沢山所属しているのだろうか。もし彼らがあの男に連れられて森に入ったら、いずれ里へと辿り着き……。自分で想像したことに鳥肌が立つ。自分の腕を宥めるように擦り、少しずつ気持ちを落ち着けた。
「落ち着きなさい、ソフィ。心の乱れは気の乱れ。オオカミが出てきますよ」
「……ええ、大丈夫よ」
人間に恐怖したと知れたら、里の連中に笑われそうだ。族長や長老たちならば、理解してくれるだろうか。
「確かに彼――ヴァレンツの性質を見ると、私たち人間ではなく、シュティーナやあなた寄りかもしれませんね」
「でしょう? 今までどうやって人間に紛れて生きてきたのか、とても不思議だわ」
「あら、それはねソフィ。あくまでも、それは彼の一面にすぎないからですよ。
あなたは自分に近い部分が鮮明に見えすぎて分からなかったでしょうけど、彼の本質は“優しさ”にあります。大分不器用ですけどね」
まさか。
その言葉を必死に飲み込み、呆けそうになる口を引き結ぶ。人の内面を見抜くことに関して彼女の右に出るものはいない。全く信じられないことだが、それが真実であることに間違いはないのだろう。
「貴女のその言葉、信じるわ。とても……いえ少し、そう……不本意だけどね」
あの男ではなく、あくまでも信じているのはエドナおばあちゃんだけれど。
そんな心の内を、紅茶とともに飲みほすと、目の前の彼女はクスクスと少女のように笑っている。
「あまり根を詰めないようにね」
「ええ。相談にのってくれてありがとうね、エドナおばあちゃん」
「どういたしまして。ところで、お昼は食べていくのかしら」
魅力的なお誘いに頷きそうになるのを、必死に我慢しながら首を横に振る。
「いいえ、とても残念だけれど、やることが沢山出来たんだもの。薬草園の手入れもまだ終わっていないから、今日は帰るわ」
「そう、また今度一緒に食べましょう」
「ありがとう、エドナおばあちゃん」
軽くなったティーポットとカップを手に立ち上がる。私が片付けますよ、という声を聞き流し、気をそらすように尋ねる。
「おばあちゃんのお墓までの地図、少しの間借りてもいいかしら?」
「構いませんよ。あなたの物ではなく、私の物が必要なんですね」
「ええ、念の為」
手渡された古い洋紙を軽く折り、バスケットへとしまいこむ。
「そういえば、そろそろルドルフ坊やが来る時期ですね」
その言葉で、一瞬にして仏頂面をした幼馴染が思い出された。
「もう少し後よ。それより、いい加減その“坊や”はやめた方がいいと思うわ。不貞腐れたルディを宥めるの、とても大変なんだから」
「はいはい。時間があったら二人で来てくださいね。ルドルフの好きなお茶菓子を用意しておきますから、と伝えてください」
「ええ、伝えておくわ。エドナおばあちゃんは、あまり無理しないでね」
「ふふ、分かりました。では、気をつけてね」
戸口で手を振る彼女に一回だけ振り返って手を振り、ひんやりと冷たい森の影の中を歩き、家へ帰る。
さて、準備をしなくては。
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