第2話 出会い


「おねえちゃん、おねえちゃんって『夜空の君』でしょ! ねえ、ぼくのママを助けて!」

「おはよう、ボク。色々、『夜空の君』とか、聞きたいことが沢山あるけど……まずは落ち着きましょう。ゆっくり深呼吸してごらん。

 お姉さん、ボクのお話をちゃんと聞くまで、ここにいるわ。

 ほら、吸って…吐いて…」



 ワンピースを両手で握りこみ、必死にしがみついてくる男の子をなだめる。しゃがみ込み視線を合わせ、ゆっくりと背中をなでれば、幾分か落ち着いたようだ。

 ほう、と息を吐く音が聞こえたので見上げれば、ヨルンが水を片手に立っていた。



「ほら、飲みなよ、パウル」

「急がないで、ゆっくり飲むのよ」



 水を飲みながらも、片手はしっかり私の服を握っている男の子――パウルの背をなでながら、ヨルンを見上げる。



「ヨルンさん、この子の、パウル君のお母さんは……」



 彼の顔は依然として表情を変えず、困った様子である。

 そしてどうやら、私とパウルを引き合わせたくなかったようだが、もはや後の祭りだ。ここで私が退いてしまっては、これまで積み上げてきた信頼にほころびがでてしまう可能性があるのだから。



「パウルの母親は、病気でね。ソフィアちゃんも聞いたことがあるだろう……石化病せきかびょうだ。

 都市で腕のいい医者に診てもらったらしいんだが、必要な薬が大層高かったもんで、先日ここに帰ってきて家で療養してるんだ。そしてそれを聞きかじった若い連中が、夜空の君――いや、まあソフィアちゃんなら、必要になる薬草を簡単に取ってこれるんじゃないかと、この子に言ったらしくてなあ」



 なんとまあ傍迷惑な話である。



 石化病。

 この世界に未だ蔓延はびこる奇病の一つで、心臓が石のように硬化し、死に至る病だ。十数年前までは不治の病だとされていたが、王宮付属病院のとある研究室で治療薬の開発に成功したことから、徐々に風化しつつある。

 しかし未だ発症の原因は不明であり、薬の材料の希少性から、患者数はゼロにならない。特に富裕層でない患者には、心臓が完全に硬化し死ぬか、体力低下で衰弱死するかの二択しかない。

 その病気に対する治療薬はただ一つ。そして必要な薬草で手に入りにくいと言ったら、一つしか思い浮かばない。

 私の薬草園では扱っていませんね、と呟くと、だろうな、と大きなため息で返ってくる。



「高い値段がつく理由なんて、考えりゃあ分かるもんだろうに。近いうちに一喝しておかねえと……」



 声が尻すぼみになっていくヨルンの目線は一瞬パウルに向けられ、今度はため息を飲み込んだらしく、かわりに頭をガシガシと乱していた。根は世話焼きなので、どうすることもできない自分にいら立っているのだろう、いつもより口調が粗雑になっている。

 いつの間にか飲み終わったらしいパウルからコップを預かると、うるんだ瞳に捕まった。



「おね、おねえちゃん、ぼくのママ……」



 人間とは分からないもので、どうしてこんな時に涙を我慢してしまうのか。この子はまだ生まれて十かそこらの子だ。それなのに、私とヨルンの会話から、ある程度のことを察してしまったらしい。

 すがりついてくる手とは裏腹に、この子はもう「助けて」と口を開かない。



「パウル君、お母さん思いの健気な坊や……お姉さんのお話、聞いてくれる?」



 唇をかみしめ、引きつっている頬を温めるように包み込む。こくりと頷いたことを確認した後、一等やわらかで染み込むような声を意識して喋る。



「パウル君のお母さんに必要な薬はね。調合が難しくて、材料の薬草が見つかりづらいから、お金が沢山必要なのよ。その薬草はね、決まった自生地がないから、どこにあるのか、誰にも分からないの。

 だからね、パウル君。その薬草を見つけることは、パウル君でも、ヨルンさんでも、私でも難しいことなの。万が一その薬草のある場所が分かったとしても、あの森は危険がいっぱいだわ……迷子になって帰ってこれないかもしれない。毒を持つ虫に噛まれてしまうかもしれない。凶暴な獣に襲われてしまうかもしれない」



 はらり、と涙が一粒だけ零れ落ちる。



「パウル君。お姉さんと約束してほしいの。

 絶対に、あの森に入ってはいけないわ。誰かと一緒でも駄目よ。あなたが自分のせいで怪我をしたってお母さんが知ったら、きっと悲しむわ。心に傷がついてしまうの」



 濡れた頬を撫でる。自分が何もできないと知ったその瞳は、これ以上涙を流すまいとこちらを睨みつけている。



「その代わりにね」



 いつの間にか服から外れていたパウルの両手をぎゅっと握り、ふんわりと微笑んでみせる。

 ヨルンは何かを察したのか、焦った様子で私の肩を掴んでくるが、気にしない。これは、私の平穏な生活のために必要なピースだ。



「私に出来るだけのことはやってみるわ」

「やめとけ。アンタみたいな嬢ちゃんには荷が重すぎる」



 後ろから投げかけられた、地に響くような低い声に振り返ると、背の高い男が剣呑けんのんとした眼差しでこちらを見下ろしていた。先ほどまで薬草棚のほうにいた男だ。



「どちら様でしょう」



 今更こちらの話題に入ってくるのか、空気の読めない男め。そんな思いを少しだけ視線に乗せて、挑むように見上げる。私の強気な態度に驚いたのか、その男は眉を少し上げ、わずかな好奇をにじませつつ私を観察しているようだ。パウルは男が怖かったのか、私の後ろに隠れるようにしがみついた。

 私たち二人の間に流れる不穏な空気を感じ取ったのか、ヨルンが割って入ってくる。



「あー、ソフィアちゃん。ソイツはね、ヴィチーノ隣町で狩人をしているヴァレンツだ。時々今日みたいに、薬や薬草を買いに来るんだよ。

 ヴァル、こちらソフィアちゃん。お前がよく買っていく薬草や薬を提供してくれる子だ。気立てもいいし、町の人からも人気なんだぜ」



 ほら、握手握手。

 なんて、必死にこの場の空気を払拭しようとしているヨルンの気遣いを立てるべく、立ち上がって手をだす。



「……どうも」

「いつも御贔屓いただき、ありがとうございます」



 一瞬強く握り、パッと離す。少々放り投げるようにしてしまった事には気付かれなかったようだが、ヨルンは私がいつもと違う笑顔をしているのに気づいたのだろう。引きつった笑みで私の肩に手を置き、なだめるように撫でた。



「俺もね、ソフィアちゃん。ヴァレンツに賛成なんだ。君がパウルに言ったように、あの森には危険が沢山潜んでいる。奥に行けば行くほどね。いくらソフィアちゃんが昔から森に住んでいて、俺たちより森について熟知しているとしても、君に危険な真似はしてほしくないんだ。分かってくれるかい?」



 顔をのぞき込んでくるヨルンと目を合わせないように、拗ねた顔をして横を向く。

 頭の中では、二つの選択肢が浮かび、そしてシミュレーションが始まる。起こりうる沢山の結果がぐるぐると飛び回り、消えていく。


 私の平穏な生活のための選択は、どちらだろう。


 未だに私の後ろに隠れて、ヴァレンツの視界に入らないよう小さくなっているパウルの頭を撫でる。

 この小さく賢い坊やの未来は、平穏だろうか。

 横目でヨルンをうかがうと、もうひと押しと思ったのか、再度口を開く。



「俺もその薬草についての噂は聞いたことがあるからさ、元々、この件はヴァレンツに相談しようと思ってたんだ。こいつに薬草関係の学はないらしいけど、少し前まで冒険者ギルドにいたし、それなりに有名で腕が立つんだ。森での探し物にはうってつけの奴だろう?

 だから、君には言わないでおこうと思っていたし、町の人にもそう言ってある。君は心優しい子だから、自分の危険をかえりみず森の奥まで探しに行くだろうって、みんな分かってるから賛成してくれたよ。パウルの母親もな」

「アンタの薬草には世話になってるし、腕を疑っているわけでもない。だが、あの森もそう甘くないってことは、理解しているんだろう? 聞き分けろ、嬢ちゃん。

 ヨルン、片手間にはなるが、俺が動こう」

「ありがたいが、本当に頼んでよかったのか?」

「気にするな。最近俺の町の近くでオオカミが現れたんだ。そいつは始末したんだが、念のため巡回しようと思っていたところだったからな」



 おそらく、これ以上言いつのると、目の前の男に目をつけられる。外れ狼を殺した狩人本人らしいが、この男、人間にしては鋭い感覚を持っている。そして疑問に思ったこと、目に留まったもの、腑に落ちないことをそのままにしておけないタイプ。獣のような執着心を、その身体の奥深くでこっそりと飼っている――人間にしては珍しい、コチラ寄りの性質だ。

 あまり近寄りたくないものだ。このまま、この一件を全てヨルンに任せて、すぐこの店から飛び出したい。


 ああ、しかし。

 今まで作り上げてきた『ソフィア』は、きっと。

 『彼女』にとって一番美しいストーリーは、やはり。



「私は、できることをやらずして、諦めたくはありません」



 少しの威圧を乗せて響かせた声に、全ての視線が集まる。口を開かせる前に、言いたいこと全てを言ってしまおう。



「私は自分の力量をしっかりと把握できているつもりです。ですので、危険を感じるほど深いところに行くつもりはありません。でももしかしたら、私の手の届く範囲に自生しているかもしれないのです。

 私は私のできること、私にしかできないことをします」



 目の前の二人が威圧に当てられて息をのみ、絶句しているのを横目に、再び膝をつき、パウルと目を合わせた。



「ごめんね、パウル君。絶対に見つけて持ってくるという約束はできないの。でも、頑張ってみるわ。だからあなたも、できることをしましょう」

「ぼくに、できること?」

「ええ、パウル君にしかできないことよ」



 バスケットの中から一つの瓶を取り出し、パウルの手に持たせた。



「きれいな色……おねえちゃん、これなあに?」

「お花の蜜よ。寝る前にね、これをホットミルクにスプーン一杯入れて、お母さんに飲ませてあげるの。できるかしら?」

「うん、できるよ! ありがとう、おねえちゃん!」

「どういたしまして。薬草が見つかったら、すぐに薬を作って持ってくるわ。それまで、しっかりとお母さんを守ってあげてね」



 頭を抱えているヨルンを見ないふりして、さりげなくパウルを店の外まで誘導する。



「またね、小さな騎士ナイト様。瓶、落とさないようにね」

「うん! ばいばい、おねえちゃん! ケガしないでね!」

「ありがとう」



 小さくなっていく背中に手を振り、店内に戻る。ヨルンはともかく、ヴァレンツは機嫌が悪くなっているだろう。……そう思い振り返ったのだが、予想外にも、そんな雰囲気は全くなかった。そのことが逆に気味悪くて、ヨルンに視線を逃がす。



「まあ正直、この結果になるだろうなとは思ってたよ。ソフィアちゃんとパウルが会った時からさ」

「わがまま言ってごめんなさい、でも……」



 申し訳ない、けど退く気もない。そんな目で彼を見つめると、しょうがないなあ、と存外甘い笑みを向けられる。



「君は、とても正義感が強いからなあ。『人の為に』というその信念は、誇っていいものだよ。俺は、俺たちは、そんな強くて優しいソフィアちゃんが大好きなんだから。君がそうすると決めたなら、俺たちは迷いなく手を貸すよ」



 子供にするように頭を撫でられる。嬉しそうな様子に手を振り払うこともできず、居心地が悪いまま立っていると、ヴァレンツに妙な顔をされた。



「お前、他人を甘やかすタイプだったか?」

「この子は特別だって。アンゴロこの町の人気者って言ったろ。それに、俺の大事な妹分だ」

「なるほど、お前の身内か」



 何をどう納得したのかは知らないが、ヴァレンツは私と向き合った。



「少しでも深いところに行くときは、俺に言いな。護衛くらいなら、いつでも請け負おう」

「……その時は、よろしくお願いします。ヨルンさんがあんなに絶賛する方なら、とても心強いですもの」



 これからの計画を立てながら、小さく微笑んでみせる。

 この男の奥深くに潜んでいる獣の疑心を晴らし、信用を得ることができたら、私はより平穏な生活を送ることができる。


 虎穴に入らずんば虎児を得ずとはよく言ったものだ。

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