青ずきんと狩人

月乃宮

第1話 始まり

〈外れ狼が死んだんだって!〉

〈へえ、どこで?〉

〈この先にあるおばあちゃんの家で!〉


〈おばあちゃんを食べようとして、喉に詰まらせちゃったの?〉

〈それがね、女の子とおばあちゃんを食べた後に、グースカ寝てたところを狩人にバキュン!〉


〈流石人狼の恥さらしだねえ。おばあちゃんは無事かな?〉

〈ちゃあんと二人とも、狩人が助けたみたいだよ〉


〈よかったあ。ぼく、おばあちゃんの作るパン、とっても好きなの〉

〈ほわほわでおいしいもんね! あ、そういえば、二つ隣の町でね……〉




 柔らかな陽射しが森を包み、 一日の始まりを告げた。そうして、森中の生き物たちが活動を始める。暖かい春がこの『黒の森』にもやってきたことに、喜びを抱きつつ。


 そして同じく、森の中の、町から離れた私の住む小さな家にも、春のぬくもりは平等にやってきた。

 いつものように、小鳥たちのお喋りを目覚ましにして、私は起床した。にぎやかなさえずりに紛れたかつての同胞の存在に眉をしかめつつも、柔らかな朝日に誘われてベッドを離れる。

 窓を開く。

 朝の澄んだ冷たい空気を目いっぱい吸い込み、そして吐く。木々や土、芽吹いた花、そして春の香り。ゆっくりと気分を上げながら、光をたどって上を見る。木々の間からのぞく晴天に、頬が緩むのを自覚して思わず笑いがもれた。



「今日は素晴らしい買い物日和ね」



 適当に髪をまとめながら洗面所へと向かう。こんな素敵な日に家に閉じこもるなんて、もったいない。ひんやりと冷たい水で顔を洗い、今日の計画を立てながら鏡の前で支度をする。

 鏡に映るのは、月光のような金髪に、深い青の瞳。そして、一対の獣耳。


 私は人狼族だ。


 人狼の力をうまくコントロールできなかった私は、完全に人に擬態できない。尻尾は隠せるのに、どうしても耳が残ってしまうのだ。

 この森の奥深くにある人狼族の里でも、完全に人に擬態できるのは一握りだった。そのうちの一人が、私の幼馴染だ。今度の里帰りの時に、またコツを教えてもらおう。そうして今度こそ、完璧に擬態してやるのだ。

 そう結論付けて、頭巾をかぶる。私の瞳の色と同じ色をしたそれは、この家の持ち主だった祖母に作ってもらったものだ。この頭巾のおかげで、私は人間に紛れて町を訪れることができる。



 支度した後は朝ご飯を食べて、きれいに洗った真っ白なシーツを干した。ハーブや花が咲いている垣根に干しておけば、乾いたときにほのかな香りが移り、穏やかな睡眠に誘ってくれる。


 そして、大きめのバスケットに薬草と花の蜜、野イチゴのジャムを入れる。

 町の人が入れない、森の少し深いところで採れるそれらは、町で売るとそれなりの収入になる。特に薬草や調合した薬においては、流通はしているらしいが、都市から離れたここら一体の町では高級品として扱われている。それを私が手ごろな値段で持ってくるので、町の人から重宝されていた。

 祖母も似たようなことをやっていたので、その跡を継ぐ形になった私も、それなりの信頼は得られているのだろう。

 その小さな積み重ねが、人間の恐怖である『オオカミ』から私を遠ざけてくれる。人狼だと嗅ぎ付けられる可能性がなくなっていくのだ。


 ふと、小鳥たちの言っていた、外れ狼のことを思い出す。人に擬態できない、自分本位で身勝手な里の厄介者。



「欲張った結果だわ。本当に愚かね……」



 人はその弱さ故、強者を狩る者。それを忘れてはいけないというのに。

 群れは面倒。その理由だけで里を離れて祖母の家に転がり込み、人と触れ合いながら生きている私が言うことじゃあないのかもしれないけど。



 玄関に飾ってある鏡でもう一度頭巾を確認した後、家を出た。薬草園を通り抜け、目隠しを兼ねた侵入者対策の茨の垣根から出て、一番近い町――アンゴロへと向かう。


 買い物が終わった後は何をしようか。小鳥たちが噂していた彼女のことも心配なので、顔を出した方がいいだろう。怪我はしているだろうか。お見舞いと称して、何か買っていった方がよいのだろうか。


 思案しながら歩いていると、いつの間にかアンゴロに着いていた。道行く人々と挨拶を交わす。

 花屋の前を通ると、店主のアンナさんと目が合った。向こうは気付いた瞬間に快活な笑顔を向けてくるものだから、自然に足が止まる。そうして私は、ふんわりとした笑顔を向けてみせるのだ。



「おはようございます」

「ソフィアさん、おはよう。早いのねえ」

「ええ、とてもいい天気なので、思わず。花の香りに誘われたのかもしれませんね」

「あらあら。最近、暖かくなってすごしやすくなってきたものね。ソフィアさんは、ヨルンの雑貨屋に?」

「はい。今日は花の蜜と野イチゴのジャムを持ってきました。どちらもパンやお菓子に合いますし、紅茶とも楽しめますよ」



 バスケットから適当にジャムの小瓶を取って見せる。



「まあ、いいことを聞いちゃったわ。後で寄っていくわね」

「ぜひ。それではまた」

「いつもありがとうね」



 お見舞いの品は花でもいいかもしれない。可愛らしく咲いている花を横目に、アンナさんに軽く会釈し、雑貨屋へと足を進めた。



 カランカラン

 扉を開けると、ベルの乾いた音が鳴る。



「いらっしゃい、ってソフィアちゃん! 今日は早いね」

「おはようございます。春の陽気に誘われて、ふらりと来ちゃいました。今大丈夫ですか? 新しいもの、持ってきたんですけど……」



 いつも昼から夕方にかけて来るはずの私が顔を見せたことに驚いたのか、店主のヨルンは口をポカンと開けて驚いている。店内にいるのは一人の男と、小さな子供だけだ。男は薬草の棚のほうにいて、男の子はどうやら、ヨルンとお喋りをしていたらしい。



「いつもありがとな。大丈夫っちゃあ大丈夫なんだけど……」



 彼にしては珍しく口を濁し、男の子に困ったような表情を向けている。対する男の子は、まるで宝物を見つけたかのような眼で私を凝視しているのだから、こっちも困ってしまう。


 ああしまったな、これは、面倒ごとに巻き込まれる流れだ。

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