✧ⅱ

それからパーティまで時間があったので、メリーと過ごすことにした。

メリーは三階の自分の部屋から、防寒用の毛皮コートと手袋、帽子を持ってきて、貸してくれた。とはいえ、部屋の中は外に比べて寒いなど感じなかった。ちょうどいい暖房がかかっていて、雪で濡れてしまったジャケットを脱いでいても平気だった。

俺は落ちたときにできた火傷のような擦り傷の手当てをしてもらい、メリーが最初に寝ていた安楽椅子に座ってタオルケットに包まれていた。暖炉がぱちぱちと燃えている。その火に当たった頬がほんのり熱を戻している。

 うとうととしているうちに、屋敷の中は壁から扉まで、羽のようなふわふわとした飾りで埋め尽くされていた。椅子から降りて、メリーを探した。メリーは応接間の中央にある机のそばで座り、満足そうに天井を見上げていた。手にはキラキラとした紙が握られていた。

「おはようございます」

 メリーはいたずらっぽく笑った。

「おはよう、もう時間かな」

「ええ、あと少しでございます。それまでゆっくりなさってください」

 伸びをして、体をほぐした。

「そうですか。ところでパーティは、しばしば行うの」

「はい。お客様の歓迎や仲間の誕生日などを祝ってパーティをします」

「客って、どういう人が来るの」

「この屋敷に初めてお見えした方、主に動物さんですけれど」

「ふうん」

 人間はほとんどやってこないのか。

 屋敷にやってきた人の、どんな人格で、どんな経歴があるかは重要でない。ただ、どこの誰かがわかればいいのだ。だから、見知らぬ俺のためにパーティを開こうとするのだ。なんて、平和な世界か。

 メリーと、小学生くらいの背丈しかない小人がせっせとキラキラした紙をつなげて飾りを作っている。

 きっと、皆が疑いを知らない。

 十人ほどいる小人のうちの一人が、俺に飲み物を差し出した。よく見ると、その小人にはしっぽが生えていた。この人が「人間」かはあやしいところだ。小人はそれぞれ顔が違うように、しっぽや羽や付属しているものも違うようである。何かしゃべっているが、声は聞けても、意味まではわからなかった。しかし、盆に乗せて俺に差し出しているのだから「どうぞ」とでも言っているのだろう。

 俺は言葉のかわりに笑顔で応えた。

「あらあ、笑うとかわいいじゃない」

 意外なところから反応があった。レディは今まで興味なさそうに床に伏せていたのに、急に立ち上がるとそばに寄ってきた。

「もう一回笑って。ねえねえ、お願い」

「ちょ、ちょっと。笑えって言われても」

「レディ。オーソネ様を困らせないでくださいね」

 メリーは力をこめた、しかし穏やかで包むような声でレディをたしなめた。レディはそれで仕方なくまた黙り込んだ。

「ごめんなさい、オーソネ様」

「いや、大丈夫です。ただ照れくさかったので」

「お気遣いいただきまして、ありがとうございます。レディも私も久しぶりのお客様とパーティで舞い上がってます。どうかご理解くださいませ」

「いや、いや。そんな恐縮です。かえって配慮が行き届きすぎると、緊張してしまいます」

「はい。かしこまりました」

 メリーは少し照れ笑いをした。

「あ、どうぞ。お飲み物を」

 そして小人のおぼんからコップを取り、俺に渡した。話が違うじゃないか、と思いつつ素直に受け取った。

「ありがとう」

 飲み物は角度によって、ピンクや青に、角度によって色が変わって見える。水のようでもなく、ゼリーのようでもない妙な光沢があった。においはミントか。

 つばを飲み込み、思いきり口の中に飲み物を流し込んだ。

 すると液体がねちゃねちゃと舌の上にからみつく。怖くなって味を確かめる前に飲み込んでしまった。あとから追ってのどがすっと涼しくなった。

「お口に合いますか?」

「……はい」

 二人は安心したようだった。

 もうひと口、とレディの目がせがんでいる。心なしかメリーも瞳が輝いている。これでは飲むしかない。

 飲み物に鼻を近づけると、スッとした香りが再び駆け上ってくる。何を混ぜたらこんな玉虫色に光るのだ。しぶしぶそれを飲み干した。不思議な感覚がのどにべっとりしがみついて離れなくなった。

「ごちそうさまでした」

 俺はそっとおぼんに戻し、かろうじて笑った。ひたいには汗がにじんでいた。

 程なくして時間は経ち、パーティは少し遅れて始まった。場所は同じ、台所のある応接間なので家庭的な雰囲気である。

 すべてがキラキラしていた。机の上にはスープ、前菜の盛り合わせ、鳥の丸焼きなどの料理、天上から壁に渡った飾り、住人のにぎわい。俺のために、それともパーティの再来に喜んでいるのか。メリーは服を変えてきれいな赤いカクテルドレスを着て、一層美しく見えた。俺もジャケットの代わりに毛皮のコートを羽織って、なんだか慣れない感覚だ。

 サンタとメリーは向かい合って笑っている。小人たちは輪になって踊り、歌っている。その中でレディだけはどうやら落ち着かないのか、時折周囲を見渡すだけで、だいたいは床に伏せていた。

 皆が集まる中央の机から一端離れ、入口で丸まって座っているレディの隣にそっと座った。それからぐいとワインを飲んだ。最初こそ目を合わさなかったが、レディの視線が俺の横顔に突き刺さって、それでようやくレディを見た。

 レディは上目づかいで、黙っていた。

「疲れてる?」

「いいえ。どうしたの、こんな端っこにきて。あなたが主役なのに」

「そうか、俺が主役か。不思議だ」

「なにが不思議なのよ」

「こんなに愉快な席で、君の声がしないから」

「もの変わりなのね。アタシの声は激しい雨のようで嫌だって言われるのよ」

「なあに、当分雨は降らないよ。外は大雪だ」

 俺は満面の笑みで、ワインを飲み干した。

少しだけ、いい気持ちになっている。

「ふふ、おかしいわあ」

「そうだね。ところでダーリンはいないの」

 レディはぴくっと耳を動かした。

「そうね……いるけれど」

 と言うなり耳は折れた。「けれど」には深い意味がありそうだ。ただ、そう思うだけで、俺にできることはレディのそばにいることだった。


   ☆


 それから何日が経ったのか。

 この世界は本当に不思議だった。

 時計が午後三時になると狂いだし、必ずぐるぐると左回りする。ある時は日が落ちず、いわゆる白夜のようで時間の感覚は定まらなかった。そのせいで時差ぼけのようにしばらく眠かった。

 さて、トナカイ番というのは、そもそも担当がいなかったという。トカナイ小屋の隣に小人の小屋があるので、気が向いた小人がエサをやり、その掃除もしていた。それを今度は俺ひとりでやることになったのだ。

 トナカイに食事とおやつをもって、スキー板で谷底まで滑っていくのが習慣になっている。そのスキー板は不思議なもので、力をいれずとも自然に浮くように滑っていくので、上り下りも楽である。ただ極寒なので、防寒対策に毛皮のコートと手袋、背中には湯たんぽのような道具を背負っていく。

ちなみにトナカイたちは人間と同じような食べ物をエサとしているというので、目玉焼きなどの簡単なものを作って出してやる。

 トナカイは全部で五頭いた。フルネームがあるのはレディだけで、他の四頭はそれぞれ名前だけだった。

「レディ、この子なの? トナカイ番って」

 キャロルがレディに聞く。

「おなまえはなんていうの」

 ベルが間髪いれずに質問する。

「オーソネっていうのよ。どうどう、かわいい子でしょ」

 とすぐにレディは自慢げに言った。

 メストナカイたちは嬉しそうに騒いでいる。たった二頭のオスを尻目に。

「おい、お客様だろう。静かにしないか」

 とうとうオストナカイのうちの一頭は苛立ちを隠せないでいた。一方でもう一頭は完全に俺に興味がないようだ。

「いえ、お構いなく。今日からはただのトナカイ番です。いっそのこと好きに使ってくださいよ」

 そして俺を連れていってくれ、元のボロアパートへ。

 トナカイが飛べるなら、それもたやすいことだ。幸いにも俺には時間がある。学校も冬休みに入った頃だろう。暇つぶしと思えば、気楽だ。

 トナカイを利用して帰る作戦を成功させるときには、まずサンタとの接点をつくらなければならないのだが、どうしたものか。

 ここ数日はそんなことばかり、ぼんやり考えて暮らしている。

 トナカイ番をする以外は特になにをするというわけでもない。ただメリーの仕事の邪魔にならないように、応接間でぼうっと過ごすことが多いのだった。

 つれづれに応接間の窓から外を見やった。

空にはうすっぺらい月が白く見えた。この世界からも日本と同じ月が見えるのだ。

 ああ、あの煙たい路地が無性に恋しい。今はあのつまらない日々がなつかしく思える。

バイト帰りに中華店で一杯やっていたときだった。店の外に雑に置かれた机でゆっくりと、ビールを片手に餃子を頬張っていた。客はおやじが数人いるだけ。それも店内で固まって笑っている。笑い声が外に漏れてくるが、外の席には俺だけだった。 

月を見ていた。路地の雑居ビルと電線の隙間に、裂きイカほどの細さの三日月があった。

「おにいさん、久しぶりだね」

 カナコが話しかけてきた。会うのは一ヶ月ぶりだった。

「ああ、バイトの給料日だったから寄ったよ」

 カナコに会いたかった、とは言えなかった。

「毎日働いてるの」

「私も学生だよ。週に四日働いてるの」

「そうなんだ。しっかりしてるから、てっきり年上かと。ねえ、注文したいものがあるから、隣で待っててよ」

酔った勢いで、自分の隣の椅子をひいて彼女を見つめた。

 ずいぶんと強引だな、と苦笑いをしたら、カナコも一緒に笑っていた。

 月は小さいながらも、美しかった。



「メリー、あれは月だよね」

 台所に立つメリーの背に問いかけた。

「はい」

 メリーは急いで手をすすぎ、エプロンで水を払った。そして窓際に寄ってきた。

「そうです。月ですよ」

「ここは、ファンタジーだよね」

「そうでしょうか。仮にオーソネ様のお住まいの世界を表とするならば、サンタランドはちょうど裏の世界です。ちょっと曲がれば自由に行き来できます。なぜなら、ここもまた地球なのですから」

「なんだって。自由に行き来だって?」

「はい。本当に来た道を忘れてしまったのですね」

「恥ずかしながら、まったくその通りです」

「そうですか」

 メリーは事務的に言うと、また食事の支度に戻った。

 コトコトと鍋が鳴っている。鍋蓋から白い湯気が立ち、天井の端に吸い込まれていく。この部屋に換気扇はないけれど、部屋に湯気がたまることはない。

「ねえ、メリーはどこかに出かけたことあるの」

 メリーは壺に木のスプーンを入れてかき混ぜている。壺からはガリガリという音がするばかりだ。

「え、はい。なんですか」

 メリーはスプーンを持ちながら俺のほうに振り向いた。

「いや」

 俺は笑いそうな口元をとっさに抑えた。右手に壺、左手はスプーンをにぎり、不自然に持ち上げられている。そしてメリーの赤くなった顔。近寄り、持っていたものをそっと奪った。

 中身をのぞくと、白い塊が見えた。

 メリーは俺の目を一瞥した。

「塩だよね。こっちでも湿気には弱いんだ」

「はい。新しいものをいれたのに、すぐこうです」

「なるほど」

 メリーの代わりに、力を込めて塩を削った。ザリザリとすこしずつだが、粉に変わっていく。辛抱強く続けると、塊はほとんど無くなった。

「これでしばらくは大丈夫かな」

「はい! ありがとうございます。助かりました」

 メリーはにっこりと嬉しそうに笑い、深々とおじぎをした。



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