第8話 フィーと不思議な力の話

 ある日、ポポがフィーを引き攣れ、麓の村に出かけた帰り。道端に、小さな熊の子供が転がっているのを発見した。

 抱き上げて確認をしてみると、誰にやられたのか腹の部分に何かで刺されたかのようなひどく傷を負っていた。

「じいちゃんじいちゃん、かわいそうだ、助けでくれよ。このままじゃ、こいつ死んじゃうよ」

フィーは必死にそう訴えたのだけれど、なにせその小熊は腹に大きな傷を作り、そこから噴水のようにじゅぶじゅぶと血が溢れて地面に泉を作っている。顔色は真っ青でまるで幽霊のようであったし、呼吸は小さく、言葉通りまるで虫の息のようであった。

「無理をいうな、フィー。かわいそうだが、こいつは無理だ」

「なんで? なんでだ? じいちゃんは、なんでもできるじゃねえか。こいつを治してやることもできるだろ?」

 ポポは決して首を縦には降らなかった。フィーは、完全に信頼をし信用している祖父――フィーは、ポポのことをすでに“祖父”だと認識していた――の態度にショックを受けて、そしてまた、傷を負った小さな小熊がこのまま死んでしまうことにとんでもなく大きな衝撃を受けた。

 フィーは血まみれの小熊を抱きしめた。すでにもう、小熊は生きてはいなかったし、小熊の腹から流れ出た血液はフィーの衣服に付着して、生臭い汚れを染み込ませた。

 フィーは小熊を抱きしめたまま暫くその場に立ち竦んでいたのだけれど、そこは村の中心から少しばかり離れただけの場所であり、人の視線がたくさんあった。店と店を行きかう人々の目がフィーに注目し始めたことに気が付いたポポは、

「埋めてやっから連れて行くべ」

 とフィーの肩に手を置いた。その時だった。フィーの腕の中に潜んでいる塊が、ぴくりと動きを見せたのだ。

 なんということだ。大怪我を負い、いつ死んでしまってもおかしくないと思われていた小熊がたった数分で完治をしたのだ。

「じいちゃん、見てみ。こいつ、もう怪我治ったんだ。もう大丈夫なんだぞ」

 フィーは小さな小熊を抱えたまま得意げにそういった。小熊は、まるで母にあまえるかのようにフィーの顔をぺろりと舐め、くぅん、と歓喜の声を上げた。

「フィー……」

 ポポは、フィーが一体何をしたのか全く訳がわからなかった。フィーが小熊を抱き上げ、たった数分、ほんの数分。この銀色の髪と赤い瞳を持つこの子供が、何をしたというのだろうか。怪我をしたか弱いこの小熊に、一体何が起こったのだろうか。

 フィーは、自分の腕の中でぺろぺろと顔を舐め続ける小熊を引き離すと、そっと地面の上に降ろした。腹に大きな怪我をして蹲っていたはずのあの小熊は、ぴょんぴょんと飛ぶようにして去って行った。

 フィーの服には、怪我をしていたはずの小熊の、真っ赤な血液が文字通りべっとり付着していた。

 フィーの周りに起こった不思議なことはそれだけではなかった。

 フィーの家の後ろには大きな林檎の木が生えている。昔は季節を迎えると、赤々とした太陽のような大きな林檎を山のように実らせていたそうなのだけれど、古くなり枯れかけてきて、花を咲かせることも実を成らすこともなくなってしまった。

 ポポからその話を聞いたフィーは暫くの間残念そうな顔をしていたのだけれど、ふと何かを思いついたかのようにしてどこかへ行ってしまった。

 ポポは特に気を留めることもなく、家の中で本を読んだり編み物をしたりしていたのだけれど、どこかへ出かけていたフィーが帰宅をし、「じいちゃんじいちゃん!」と強く腕を引っ張ったことにより気が付かされることになる。

 なんと、葉を落とし幹を枯らし、亡霊のように突っ立っているだけであったあの古木が瑞々しく実を実らせていたのだ。

 水分が抜け、干からびて、まるで抜け殻のようになっていたはずの幹には力強く活力が湧き、老婆の屍のようになっていた枝の先には瑞々しく若々しい緑色の葉が灯り、真っ赤な太陽のような林檎がきらきらと揺れている。

 これはあり得ないことだった。なぜなら、フィーに「林檎の木」の話をしてからまだ半日も時間は過ぎていなかったし、この木はすでに「死んだ木」であって、もう、葉を生やすことも花を実らせることもなく、ただただ消えていくことを待つばかりであったのだ。

 呆然としたまま天を見上げると、太い枝の上に座り込んだ銀髪赤目の子供が、しょりしょりとおいしそうに林檎の実を齧っている。

「どういうことだ? フィー、お前は一体何をしたんだ?」

 ポポの独り言のような呟きを聞き入れて、フィーはきょとんと瞳を向けてこういった。

「俺は何もしてねえぞ。ただ、頼んだだけだ」

「頼んだ?」

 問いかける前に、狐の親子を見つけたフィーはそれを追いかけ食べかけの林檎を持ったまま走ってどこかへ行ってしまった。無邪気なものだった。あくまで、やっていることは。

 フィーのいなくなった木に近寄り、ポポはその幹に手を這わせてみる。皮は厚く、暖かくて、耳を澄ませが心臓の音が聞こえるかのような、皮を削れば肉が出て血が湧き出てきそうな気さえした。それほどまでに若々しく力強いものだったのだ。

 


 ポポは元々、フィーに対し人間離れした「何か」を感じていた。燃える炎のような真っ赤な瞳、鈍く光る銀色の髪。容姿だけではない、あの大雪の日に、初めて子供に出会ったとき。雪に埋もれ、凍死寸前の状態で発見をした小さな子供が回復をし、こうして生活を営んでいることも「ありえないような奇跡」であったのだ。

 時にポポは、フィーが得体の知れない「何か」に守られているということを、強く強く感じていた。もしくは、フィーはすでに人間ではないのではないかと考えることすらあった。

 しかし、それと同時にポポにとって、フィーは「得体の知れない何かを持った」「ただの子供」でもあったのだ。

 フィーはまだ子供だった。漢字の読み書きも未だきちんとできていないし、包丁の使い方も危なっかしい。時に弓矢を持たせてみれば、その大きさと重さにふらふらとしてそのまま後ろにひっくり返る。剣を持ちかたもままならない。一人で買い物に行かせれば、買い忘れる上に違うものを買ってくる。帰り道で兎を見つけ、追いかけて迷子になりそのまま夜まで帰ってこない。

 すでにフィーはポポにとって、いなくてはならない大事な大事な子供であり孫だった。

 だからこそ、未知なる何かを持っているフィーのことを心配していた。

 ある晩、ポポは椅子に座り本を読みながら、足元に引っ付いているフィーに問いかけた。

「フィー、おめはいつから、あんなことができるようになったんだ?」

「あんなこと? あんなことってなんだ?」

「怪我をした小熊を治したり、枯れだ木に林檎を実らせたりっちゅうことだ」

 大好きな祖父の問いかけに、フィーはうーん、と考えて、それからあっけらかんとした口調でこう答えた。

「わかんねえ。前はできなかった気がするけど、できた」

「林檎の木を治すとき、“頼んだ”って言ったべ? 一体誰に頼んだんだ?」

 ポポの疑問に、フィーははまたうーん、という唸りながら腕を組み、首を捻った。

「わがんね」

 いまいちはっきりとしないフィーの答えに、ポポははぁ、とため息をついた。不満であったが、これは仕方のないことだった。いくらしっかりしているとはいっても、フィーはまだ、わからないことばかりの子供なのだ。

 ポポはフィーの体を抱き上げて膝の上に乗せると、語りかけるようにしてこういった。

「フィーよ。お前には多分、他の人にはできねえことができる」

「できねえこと? できねえことってなんだ? 怪我を治したりとかそういうことか?」

「そうだ。んだげんど、それはじいちゃん以外の人の前では、絶対にしちゃいけねえがらな」

「なんでだ? みんなびっくりすっからか?」

「ああ、そうだ。びっくりするだけではなくで、もしかして、気持ち悪がったりする人もいるかもしんねえがらな」

「気持ち悪がる? なんでだ? 他の人にはできねえからか?じゃあ、じいちゃんも気持ち悪がるのか?」

「俺はそーたごどはしねえよ。でも、世の中には色んな人がいるごどを知っていっぺ?」

「うん」

「優しい人に怖い人、厳しい人に優しい人。じいちゃんはフィーのことを見ても、気持ち悪いなんで思わねえけんど、もしもお前のことを、この世にある不思議な出来事を一切信じることのできねえような心の狭いひとが見っちまったら、きっと悪いことを思っちまうべ。 わかっぺ?」

「……うん」

「勘違いしてはいけねえよ。おめの力は、弱えものを守るために神様から与えられだ素晴らしいものなんだ。決して卑下するようなものではねえ。ただ、それがわからねえ人間が多いというだけなんだ。おめはとでも優しくて賢い素晴らしい子供だ。わかったらもう寝なさい。フィー、おめは俺にとって、たった一人の自慢の子だよ」

 果たして、幼いフィーがポポの言葉と真意をきちんとすべて理解できたのかどうかはわからない。

 けれども、その時からフィーが「力」を使うことが極端に少なくなったのは事実だった。

 道端で怪我をした鳥を拾っては、怪我を治すことなく連れて帰り治療をして世話をする。踏まれた花を見つけたのなら、水を与え支柱を添えて誰も踏み入れることないよう囲いを作る。 

 フィー自身が、「力」を使うことを止められたことに対し、どのように思っているのかポポにはわからなかった。けれどもポポは、フィーが「力」を使うことがなくなったということは、とてもよい傾向だと思っていた。使わなくてもいい能力など、使わない方がいいのだ。

「力」がなくとも、フィーはあくまでフィーであった。赤い瞳も銀色の髪もその輝きを失うことはなかったし、ポポとってのフィーが、賢く優しい、立派な孫であることに全く変わりがなかったのだ。

 ポポはこのまま、幼いフィーが「得体の知れない何かの力」を忘れて、普通の人間として成長をし、暮らしていくことを願っていた。

 欲のないポポにとっての唯一の願いで唯一の祈りが、フィーの成長だったのだ。

 フィーはどんどん大きくなった。

 本を読み、数字を覚え、文字を書いて知識を蓄えた。剣を習得し、弓矢をものにし、罠の仕掛け方もどんどん上達していった。言いつけだって勿論守った。

 山に来た当初、栄養が足りなく腹を空かせ、背丈も低く肉がなくて殆ど皮と骨ばかりであったはずのフィーの身長はどんどん伸びた。気が付いたときには、靴のサイズが一回りも二回りも大きくなっていた。

 ポポは満足をしていた。

 銀の髪と赤い瞳を持った子供は、きっと立派な人間になるだろう。かつて、自分がなしえることのできなかった何かをきっとやり遂げてくれるのだろう。

しかしそれはあくまでも、希望的観測でしかなかったのだ。  

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