第7話 フィーと東の国の話

 フィーがこの山に来て三か月を過ぎる頃には、山全体を覆っていた雪は朝露のように綺麗に消えて、春を迎えた。

 土の中からは小さな緑の芽が息吹き、花が咲いて、洞窟の中で冬眠をしていた動物たちが目を覚ました。美しい蝶が縦横無尽に舞い踊り、きらきらと音を鳴らし始めた。

 その頃になると、ポポは完全に回復を果たしたフィーを連れ山に赴き、狩りを教えるようになった。

 弓の持ち方矢の引き方、罠の作り方仕掛け方。

 ポポの腰の高さにも達しないような小さなフィーの体では、弓矢を持つのも一苦労だった。自分の背丈よりも長さのある弓を持つにはわざわざ背伸びをせねばならなかったし、腕がちぎれるほどに伸ばさなければ矢が引けない。持ち運ぶたびに地面に引きずり傷をつけ、弓矢の重さに耐えきれず、矢を引いたまま時にそのまま後ろに倒れた。

 あまりのありさまに心を痛めたポポは、フィー専用の小さな弓矢を作ることを決めた。

 家の前に生えていた木を切って、日当たりの良い場所に置いて乾燥させ、糸を張り矢をつける。これはとても難しい作業だったのだけれど、ポポにかかればそれはほんの数時間――フィーが山に出向き、夕食の木の実を取り帰ってくるまでの間――に作ることが可能だった。

 ポポは、小さなフィーが大きな籠一杯に木の実や果物を抱え帰ってきたところを呼び止めると、その背中にできたばかりの弓を括りつけぴかぴかと音が鳴るほど新しい矢を握らせた。

 背中から正面に廻り、弓を背負ったフィーのことを上から下までじっ、と眺め、ポポは満足げにフィーの両肩をポンと叩いた。

「どうだ、フィー。これで、ちっとは見栄えがするようになったべ」

 まずは近くにある石や岩を狙う所から初めて、それから徐々に距離を伸ばし、それから動物を狙うようになっていった。フィーは手先が器用な子供であり、真面目で、吸収がとても速かった。弓矢を扱うことを初めて三か月を過ぎる頃には、高々と空を羽ばたく鳥を射止め、木々の木陰の兎を仕留めた。このことにポポは大層感激をし、喜んだ。けれどもフィーは、鳥や兎を射ることに対し喜びを感じることはなかったし、むしろ疑問さえ抱いていた。

「なぁじいちゃん、俺、弓は嫌だ。うまく扱えるのはうれしいけれど、兎や鳥を傷つけるのは嫌だ。どうして生きているのを殺さなくちゃいけねえんだ?」

 フィーは優しい子供だった。罠に掛かり、矢に射とめられ、傷ついて息の根を止めた動物達に、かつてに自分と自分の周りにいた子供たちの姿を重ねていた。

 年老いた老人は、小さな子供の思いに胸を痛め、それから返答に喉を閊えさせた。

「どうして動物を殺さなければいけないのか」

 それはとても素朴で簡単な質問だったのだけれど、とても難しく答え難い質問だった。

 ポポは考えて考えて考えた末に、こう答えた。

「フィーよ、おめは肉は好きだっぺ? 生きていくためには仕方のねえことなんだ」

「仕方がねぇってなんだ? なんで、生きていくためには他の動物を殺さねえどいけねえんだ?」

「よく聞け、フィーよ。この地球上には、たくさんの生き物が住んでいるんだ。強い生き物に、弱い生き物。自分の身を守れるもんに守んねえもの。肉を食べるもんに草や果物を食べるもん」

「人間は肉以外にも、色んなものを食うんだろ?それなら、動物を殺さなくでもいいんじゃねえのか?」

「いいか? フィー。この世界はな、強いものと弱いもので成り立っているんだ。強いものが弱いものを食べ、弱いものは土さ帰る。そうしで、木や花になるんだ」

「俺達も土になるのか?」

「ああ、そうだ、俺もフィーも、今はこうして生きてるけんど、今にきっと死に絶えて、土さ戻って木や花に代わるんだ」

「だからって、強いものが弱いものを殺しでもいいのか?」

「違う、フィーよそうじゃねえ」

「じいちゃんの言っていることはそういう話だ」

「強いものが弱いものを殺しで、それを食べる。兎も草や木の実を食べるし、魚だって同じ魚を食べで生きる。わがるだろ? 大昔から決まっている自然の摂理なんだよ。仕方のねえことなんだ」

「だけんど」

「よく聞くんだ、フィーよ。先に話したように、俺もお前も、いずれはみんな死んじまうんだ。死んじまうから、今こうして生きでいる間に、頑張って、精一杯生きていかねばなんねえんだ。鳥や兎や狐や勿論他の動物も、みんなそれをわかっているから、精一杯生きているんだよ」

「だったら余計殺してはいけねえんじゃねえのか?」

「けれども俺だちは生きでいくためにどうしても兎や鳥を殺してそれを食べでいがなくちゃならねぇ。そんだがら絶対に無駄に楽しむためだけ殺しては駄目だ。感謝をしなぐちゃいけねえ。どうしてかわかるか?」

「……鳥や兎も生きてるからか?」

「ああ、そうだ。俺らはみんな、命あるもんがらその命を貰って生きながれえでいるんだ。わがったか? フィーよ」

 ポポは宥めるようにそういって、フィーの銀髪をくしゃりと撫でた。フィーは、頭に感じた手の暖かさに目を細め、それからこくんと頷いた。頷いただけだった。フィーの赤い瞳も銀色の眉も、なんとも不満だというようにしてくしゃくしゃに曲がり歪んでいたし、赤い唇は何か言いたげにぷっくりと尖っていた。

 結局その話はそれで終わり、フィーもポポもそれ以上その話に対して口を出すことはなかった。フィーは聞き分けのよい子供だったけれども、納得がいっていたわけではなかった。

 フィーは弓矢を用いて、的当てをして遊んだり練習をすることはあっても、決して鳥や兎や動物に向かって矢を射ることはなくなった。

 ポポは、弓矢の代わりに剣を教えることにした。

「弓矢は鳥や兎を傷つけることしかできねえけれど、剣なら傷つけるだけじゃなくて、守ることもできる。おめは優しいから、生き物を殺すことは耐えれねえべ。それならおめは剣を覚えろ。そしで、弱え動物を守ってやれ」

 ポポの腰ほどの大きさもあるような大きな剣は、フィーにとってとても大きく使いにくいものだった。「剣を持っているのか持たれているのかよくわからない」とポポは笑った。ふらりと麓の村へ降りたポポは、馴染の鍛冶屋に短い剣を注文し、フィーの背中に括りつけた。

「こんなもんだっぺ」

 ポポはしがないただの老人だったのだけれど、剣を扱うことに関して右に出るものはいないと言われるほどの達人だった。

 ポポの剣が宙を切り裂き、的確に獲物を狙う様を、輪舞のように舞う様を見て、フィーは感嘆の息をついた。

「じいちゃん、どうしでじいちゃんはそんな剣が上手なんだ?」

 ポポは、今はただ田舎の山奥で農作を営み狩りをするだけの老人であったが、若き頃は、帝都にある騎士団に属し、王の命に従い剣を奮っていたことがあった。部下を従え、馬を引き、勇敢に敵をなぎ倒した。ポポの口から語られる事実は、勇敢な騎士による勇ましい戦いの記録であり、ひとりの男による心躍る冒険の話でもあった。

フィーは、ポポの口から溢れ出る言葉の一つも零れ落とさぬように耳を澄まし、きらきらと瞳を輝かせた。

「なぁじいちゃん。俺も、一生懸命練習しで、うまくなれば、じいちゃんみたくなれるのか?」

 頬を真っ赤に紅潮させて両手を握るフィーの問いかけに、ポポはこくんと頷いた。

 ポポは、フィーに対して色々なことを教え、色々なことを話した。

 地中深くに国を作り、そこで生活をする親指程度の大きさの地底人。

 炎から生まれ、悪の巨人や巨大なサソリと戦って世界を救い、星となり遠い空からこの世を見守る英雄の話。

 どの話も見事にフィーの心を見事に射止めることに成功したが、最もフィーの興味を引いたのは「東の国」の話だった。

 フィーの暮らす地域から遥か東の方向に、「ジパング」と呼ばれる国がある。それは、遥か東の海に浮かぶ小さな島国で、豊かな自然と温暖な気候に恵まれたとても美しい国なのだという。麦や野菜など農作物が豊かに採れるのだけれど、莫大な金を産出し、莫大な財宝で溢れているというのだ。

「ジパング」には、眩暈がするほどの宝がたくさん存在をしているのだけれど、その中でも一番の宝とされているのは「命の花」と呼ばれる幻の花なのだという。

 一度話を聞いたフィーは、その後も何度も何度もポポに同じ話をねだった。東の国はどこにあるのか、その「命の花」というのは、一体どういうものなのか。

 小さなフィーが暇を見つけ、まるで猫のようにして足元にちょこちょこと纏わりつくたび、ポポは苦笑をしながら何度も何度も同じ話をした。 「命の花」は百年に一度しか咲かない花で、茎は黄色で葉はオレンジ、根は空色で蕾は桃色で出来ている。咲いた花はまるで雨上がりようにしっとりと濡れていて、まるで宝石のように7色にキラキラと輝くのだ。

 フィーはポポの足もとにしがみ付き、隣に座り、そして時に膝の上に乗りまた時に布団の中でうとうとと夢心地になりながら、未だ見ぬ「黄金の国」と「命の花」に思いを馳せた。

 フィーは幸せだった。

 ポポの元で「人として」の暮らしをし、知識を手に入れ、一身に愛情を受けてすくすくと育った。あの時、養護院にいたときのようなぼろぼろの服ではない綺麗な服を身に纏い、足底の擦り切れていない靴を履いた。もう、いくら掃除をし忘れても口答えをしたとしても、鞭で打たれることも石で殴られることもない。

 ポポの元で生活を営むことで、フィーは「人」に近づきつつあった。

 そしてその頃にはもう、ポポは、フィーが普通の人間ではないことに気が付いていた。

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